第六十六話・「なんて嫌らしい師匠なのかしらね!」
エリスとうるわが入れ違いに食堂車へと向かったため、部屋にはキズナと二人っきりだ。
あくびを噛み殺そうともしないで喉の奥まで惜しげもなく見せつける馬鹿弟子は、ごそごそと部屋に備え付けのドレッサーの引き出しを開け始めた。遠慮なく引っかき回しては背後へと投げ捨て、道具やボトルのラベルを確認してはドレッサーの上へ並べていく。大好きなおもちゃが見つからずに必至になって探す子供のようだ。ミニスカートの尻を振り振りと揺らしながら、これでもない、あれでもない、とぶつくさと文句をたれていた。
ベッドの上の俺からは、見えそうで見えないスカートの角度。
その絶妙さが何となく誘っているように思えなくもないが、相手は残念ながら馬鹿弟子だ。普通の男ならば、鼻の下を伸ばしながら、屈んでスカートの秘奥のぞき込みたくなるシチュエーションだろう。
「そういえば、今日はまだ講義をしていなかったな」
「今、捜し物中なの。邪魔しないで」
可愛いらしい小瓶に入ったフレグランスが、俺の頭の上に放物線を描く。かすかに香った香りはなフルーティーなもの。余りフレグランスには詳しくないが、どうやらベルガモットや、アップル、スターフルーツなどを混ぜた若々しく瑞々しいトップノートのようであった。
俺の知るある女性は、香水は女性と同じであると言っていたことを思い出す。
トップノート、ミドルノート、ラストノートと、香水は時間によって三種の顔を見せる。主張の強い香りが、時間を経ることでやがてクリアになり、最後にはソフトな香りへ……といったように。
つまり、長く付き合っていくことで女性は様々な顔を見せ、そのどれもに抗いがたい魅力があるというのだ。深い含蓄のある言葉であると感心せざるを得ない。だが、残念ながら、この馬鹿弟子においては例外であったようだ。
この馬鹿弟子は、どれだけ長く付き合おうと変わりゆく気配を見せはしない。自己中心的で猪突猛進。ゴーイングマイウェイもいいところだ。
引き出しの最奥に手を突っ込んだ拍子にミニスカートがふわりと揺れる。ちらりと見えたのは黒。飽きもせずに似合わぬ黒だ。
「さっきのは……聞こえなかったことにしてやろう」
深呼吸。俺は痙攣する頬の筋肉に気がつかない振りをして、肺を冷静で満たそうとする。
テイクツー。
「今日はまだ講義をしていなかったな」
「あ、やっと見つけた」
鏡の中のキズナが、爪切りを手にして声を上げる。捜し物を見つけた笑顔に、俺の中の冷静が、立ち上った火にあぶられて熱くぐつぐつと煮え始めた。
「あえて問おう。俺は何だ、お前は何だ。互いの立場を言ってみるがいい」
「あんたはペット、私は飼い主」
「違う! 俺は師匠で、お前は弟子だ。弟子ならば、師匠の教えは頭を下げて乞うものだぞ!」
「そういう昔の因習にとらわれてばかりだと、時代に取り残されるわよ」
ドレッサーの鏡に向かってため息をつくキズナに、俺の頭が痛み出す。
馬鹿弟子は自分の発現の根拠など考えない。思いついたことを思いついたときに口にする。ここで律儀に一つずつつっこんでいたら毛細血管が何本あっても足らない。だが、俺はつっこむ。あえてつっこむ。だってそうだろう。つっこむのを止めてしまったら、きっとこの馬鹿弟子は正しいレールの上を脱線するばかりか、暴走特急と化してしまう。ここは身を粉にして俺が正しいレール(人の道)へと導いてやらねばならんのだ。
なんて素晴らしい自己犠牲精神。人の鏡だな俺は。
……ま、今はハムスターであるが。
「師弟関係には過去も現代もない。いつだって、弟子は師匠を敬うものだ」
「なら、ここから新しい師弟関係を始めればいいじゃない。師弟関係でありながらペットと飼い主の関係でもある……なんか禁断ね。想像するに――」
キズナがドレッサーの椅子に片足を乗せる。靴底に鉄板の入ったブーツを脱ぎ去ると、見せつけるように俺の眼前に素足をさらす。
白く染みのない締まった足だ。
つま先から太ももの付け根までが外気にさらされ、ゆるやかな流線が美しくなだらかな山の稜線を思わせた。
「ねぇ、師匠……これがいいんでしょ? ほらっ……ほらっ! 私の生足で強く踏みにじって欲しいんでしょ? こんなふうに、強く乱暴にっ! そんな声を出して、なんて嫌らしい師匠なのかしらね!」
「ああ、弟子よ……それでは足りないぞ! もっと、もっとそのおみ足で……この偉大なる師匠を強く踏んでくれないか! おおっ、いいぞ、いいぞぉっ! さらに強く、さらに強烈にだっ! ……って、何をやらせる」
「あんたが勝手に乗ってきたんじゃない。でも……悪くないかもね」
「何が悪くないかもだ。そんな関係は、徹頭徹尾お断りだ」