第六十二話・「ここは禁煙です」
声の主は痩身痩躯。男が息子の背後にゆらりと立っていた。
くわえていたたばこを指先で挟むと、右手で息子の首を締め付ける。踏みつぶされた蛙のような声を喉元からもらす息子。詠唱が半端になってしまったせいで、集まりかけていた全身の魔力が霧散していく。
痩身の男は苦しむ息子のあがきなど気にした風もなく、右手の力だけで男を持ち上げる。宙ぶらりんになってしまった息子は、足をばたばたさせて必死に抵抗するが、間もなく白目を剥いて気絶してしまった。痩身の男はつまらなさそうに男を地面に落とすと、再びたばこに口をつける。
一つ大きくたばこを吸うと、吸ったぶんだけの煙を中空に吐き出した。
「ここは禁煙です」
「ん? 悪いな、気がつかなかった」
ウエイトレスのプライドなのだろうか、得体の知れぬ男といえども口を出さずにはいられなかったようだ。
男は携帯灰皿を取り出すと手を広げて謝罪をアピールする。
「にしても、生ゴミが二つ増えちまったな」
「あ、すぐに片付けますので少々お待ち下さい」
落ちたフォアグラのソテーと気絶した人間を混同するとは、このウエイトレスもなかなかの胆力だ。
ウエイトレスは駆けつけた常務員にこの場所で起こった出来事を話し始める。どうやら、ウエイトレスの証言により、キズナと痩身の男のしたことは正当防衛として認められるらしい。せっかくハイザーゼンまでの道程を優雅に過ごせるというのに、強制下車させられてはたまらない。
ウエイトレスよ、良きに計らうのだ。
「ちょっとアンタ」
「ん? おお、なんだ」
キズナが痩身の男に声をかけていた。男は携帯灰皿に先程口をつけたばかりのたばこをこすりつけているところだった。
「こっちはせっかくの料理が台無しにされて、腹の虫が煮えくりかえってるのよ。勝手にしゃしゃり出てきて余計なことしないで」
キズナには助けてもらったという意識はないらしい。
もちろん、キズナはあの場面であろうが一人でも簡単に切り抜けられるだけの実力はあるから、獲物を横取りされたぐらいにしか考えていないのだろう。
男はふてぶてしい態度のキズナを、好奇心のある目つきで見つめると、わずかな微笑みを称えた。
「腹の虫が煮えくりかえる? なんだ、お前は腹の中で虫でも飼ってるのか? それを言うならはらわたが煮えくりかえるか、腹の虫がおさまらないかのどちらかじゃないのか?」
「うっ、ぐぐ……」
お前は本当に叩くまでもなくほこりが充満しているような女だな。
ツッコミどころが多すぎてむせてしまいそうだ。