第六十一話・「――そういうのは時と場所を考えてやれよ」
「ふん、だったらこうしてあげますよ!」
キズナの怒りへの八つ当たりか、ウエイトレスの身体を強引に引き寄せた。その勢いで、ウエイトレスの持っていた料理が傾いてこぼれてしまう。掃除が行き届いた真っ赤な絨毯に、フォアグラのソテーが転がった。バルサミコ酢ソースの豊潤な香りが、無残にも絨毯に吸い込まれていく。
地面を転がった皿がキズナのブーツにぶつかって倒れる。すでに皿の上には何もなく、バルサミコ酢ソースのしたたり落ちた後だけが残酷な事件現場のように付着しているだけだ。
「これでお嬢さんが私達に干渉してくる理由はなくなっ――」
俺が禿頭男の間違いにため息をつく暇もなかった。
禿頭男は自分に何が起こったのかも分からないまま、地面に仰向けに倒れていた。
キズナの高速の拳が炸裂したのだ。ジャブ程度のものではあるが威力は推して知るべし。折れた前歯が口内に入り込み、歯肉からはわずかに血が滴る。男は訳も分からず口元に手を持っていき、口内の異物を手元に吐き出す。
転がり出てきたのは、先程まで自分の身体の一部だった前歯が二本。
気が動転して眼を白黒させている禿頭男に、キズナは非情にもブーツのつま先をめり込ませた。肋骨がまとめて粉砕される音が響き、男は絨毯を転がる。
服装同様に派手に転がった禿頭男は、テーブルの脚に身体をぶつけて気絶する。その先で成り行きを見守っていたご婦人方が、泡を噴く禿頭男の姿に悲鳴を上げた。
哀れ、禿頭男。セットした髪の毛も台無しだ。
全く持って馬鹿な男だ。料理目当ての卑しい弟子に対して、そのような振る舞いは、死神に斬って下さいと首を差し出すようなものだぞ。
「てめぇ、親父に何しやがる!」
なんと、禿頭男が親とは……背中を見て育つのも大概にして欲しいものだ。
親父を倒された息子は目を血走らせて、ウエイトレスを突き飛ばす。キズナは胸に飛び込んでくる形になったウエイトレスを胸で易々と受け止める。
「これが終わったら、すぐに同じ料理持ってきて。今度はあんな馬鹿に絡まれるんじゃないわよ。もし絡まれでもしたら、泣きわめくほどお尻ペンペンしてやるから覚悟することね」
「は……はい、キズナ様っ……!」
ちょうど耳元でささやく形になってしまったキズナに、メイドは顔を真っ赤にして答える。
なにやらお尻ペンペンに異常に反応を示しているようだが……人というのはどこに特異なものが隠れているか分からんな。女には隠し事の一つや二つ……は、嘘ではないらしい。
「どこ見てる! これは親父の敵だ!」
あんな親でも敵を取る気持ちは備えているらしい。怒りの形相で派手な衣装をひるがえらせる。
キズナに向けて右の手のひらを突き出し、魔力を変換させようと口を開く。
「古代より我々を守護する火の精霊よ、力を与え――」
……詠唱魔法とは、これはこれは悠長なことをしてくれる。詠唱を無事に終えるほどの時間があれば、キズナはお前の首を切り飛ばし、ゴミ箱に放り込むぐらいのことは容易に出来る。
結局、蛙の子は蛙でしかなかったと言うことか。
キズナは詠唱の文言が続くのを、余裕を持って聞きながら、踏み込みの第一歩に力を込めようとする。二歩で男の背後に回り、得意の制裁バックドロップ。そんな構図が何となく描けていた。
ところが、それは意外な闖入者によって阻まれることになる。
「――そういうのは時と場所を考えてやれよ」
声は息子の背後からだった。