第六話・「お前一筋だからな」
倍加速したキースがメイドの背後に回り込む。
躊躇なくメイドの背中にエルボーを入れる音が路地裏に響いた。裏路地に残った水たまりに顔面をこすりつけるメイド。連続して襲うキースの足裏を転がりながら避け、立ち上がり際、苦し紛れの蹴りを放つ。キースはその蹴りをひるまずに左小脇に抱えると、メイドに向かって凶悪な笑みをみせた。迫り来るのは渾身の右ストレート。打ち抜いたのはメイドの頭にあったカチューシャだった。残った片足で飛び上がり、抱え込まれた右足を支えにしての延髄蹴りが、キースの思考を奪いかける。延髄に強打を受け、足下がおぼつかなくなったキースが、自らの危険を察知して飛び退るが、間もなく膝をつく。
「やるわね、あのメイド」
「ああ、なかなかの機転だ。だが、単詠唱魔法を駆使する敵と渡り合うには、今ひとつ決め手にかける。ここで褒めるのならば、キースとやらのほうか。延髄蹴りを受ける瞬間、単詠唱魔法でガードしていなかったら今頃あの世だ。かろうじて魔法が間に合ったからこそ、脳震盪ぐらいで済んでいるのだ」
「…………」
「覚えておくと良い、キズナ。身体では間に合わなくとも、単詠唱魔法であれば間に合う瞬間が戦闘中に確実にある。勝敗、生死、それらを間一髪で分ける機がそこに生じる。それをたぐり寄せるのが魔法使いであり、単詠唱魔法。一般人との圧倒的な戦力差につながっているのだ。まぁ、俺ぐらいになると――ん、あれは……?」
静聴すべき俺の解説が中盤にさしかかろうとしたとき、何者かが物陰のゴミ箱を転がしてしまう。小さい身体をサイズの合わない灰色のフード付コートが覆っていて、いかにも見せたくない、見られたくないという然をした人物だ。自分のしてしまった失敗を理解していたのか、おろおろして一歩後ずさる介入者。
メイドとキースの中間に空き瓶が転がっていく。
唐突な音に、メイドとキースの戦闘も一時中断してしまっている。キズナもようやくそれに気がついたのか、赤い目をこすりながら闖入者を凝視している。……ん、赤い目……充血? さてはキズナめ、ありがたい解説中寝ていたな。よくも数秒で都合よく寝れるものだ。逆に感心するぞ。
「おっと、そこにいたのか。逃げられたと思ってたんだけどな」
キースの優先順位が入れ替わるのが理解できた。魔力の流れが、キースの意思に伴って矛先を変える。殺気を込められた視線に怯える介入者。尻餅をつき、乱れたフードから長めの金髪がのぞく。
女か。
ふむ……残念ながら胸のボリュームはないようだ。コートの上からでも分かる。どんぐりの背比べ。キズナと良い勝負かもしれないな。男の悲しい性なのか、胸ポケットからキズナとコートの女を見比べてしまう。だがキズナよ、案ずることはない。世の中は広い。きっと供給に勝るとも劣らない需要がどこかに、どこかに必ずあるはずだ。そう、いわばキズナはニッチ産業向けの商品なのだ。
「頑張れ、キズナ。道はきっと開けるぞ」
「……何で泣いてるの?」
回答はせずにアパートの屋上からこそこそと戦闘の推移を見守る。
「ここであったが百年目、覚悟してもらうぜ、エリスお嬢様」
……エリス……お嬢様?
「エリス! いけません! 逃げて下さい!」
メイドの無表情に、初めて焦りの色が浮かんだ。叫び声で事態の緊急を伝えようとするが、エリスと呼ばれた小柄な女はずりずりと尻餅のまま後退するのみだ。キースから放たれる本物の殺気に腰を抜かしてしまったのだろう。キースは、メイドの叫び声の隙間に単詠唱魔法を滑り込ませている。声はここまで聞こえてこなかったが、見る限り先刻と同じ速度を増す魔法。メイドの盛大な舌打ちが聞こえてくる頃には、戦闘の趨勢は決しようとしていた。身を投げ出すようにして、エリスに身体をかぶせにかかるメイド。その上から、渾身の力を込めた手刀が振り下ろされる。
分厚い氷でも砕くだろう鋭利な手刀がメイドの身体に食い込んでいた。枝を踏みつぶすような音が屋上まで聞こえてきそうだった。キースの子供っぽい表情が嗜虐的に歪む。メイドはその表情をかき消すように、エリスを隠すようにしたまま、キースの足を払おうとする。キースはそれを軽く跳躍することで避けると、跳躍ざまに跳び蹴りを放つ。メイドはそれを防御することも敵わずに吹き飛び、路地裏に身体を叩き付けられた。
それでも倒れないのは、従者の矜持だろうか。痛みを無表情という仮面に封じ込め、壁に身体を支えてもらいながらもキースを迎え撃つ。口からしたたる血液を拭い、おぼつかなくなりそうな足を叱咤する。
「それで終わりですか? 顔と同じで甘っちょろいのですね。【ハンド・オブ・ブラッド】は子供のごっこ遊び集団ですか?」
エリスに手を伸ばそうとしていたキースの手の動きが止まる。その手が拳を作り、顔面が怒りの形相につり上がる。
「俺のことだけなら、まだ大丈夫だったけどな……俺の背負ってるものを馬鹿にされたら、黙っちゃおけないんだわ、これが」
レザージャケットから怒気を立ち上らせながら、メイドを見下す。
「キースに同感だ。今の台詞は取り消してもらわねばならない」
路地裏の反対側から先程キズナが撃退したはずのアルフが現れる。キズナの攻撃は生易しい物ではなかったはずだが……。侮りがたい頑丈さだ。
「お、アルフ。遅いぜ。こっちは今からお楽しみだ」
怒りに眉をぴくぴくさせながら軽口を叩くキース。
「好きにするが良い。だが、我々の本懐はあくまでエリスの命だ、忘れるな」
「忘れねーよ。けど、コイツの言った台詞も忘れられそうにねー」
腕をぐるぐると回しながらメイドに近付いていくキース。ため息をついたアルフはメイドをキースに任せるつもりなのか、エリスに向き直ると嫌がるその身体を捕まえる。巨体と腕力を生かしたのど輪のまま、エリスの身体を宙ぶらりんにする。
「エリスからその汚らわしい手を離しなさい!」
内側の感情が、蓄積されたダメージをリセットさせるのだろう。メイドはエリスに駆けつけようとするが、走り出した腕を素早くキースに取られてしまう。
「お前は俺とだろ? ごっこ遊びの恐ろしさを味わわせてやるよ」
キースへの返答は回転力をつけた裏拳だった。ぱっと手を離して身をかがめるキース。メイドにとってそれは牽制に過ぎないのだろう、かわされた裏拳も、かわしたキースも関係ないようにエリスへと疾走するメイド。
「俺を無視するっ!?」
キースの怒号はどこ吹く風。地を這うような助走の後に、華麗に舞い上がると、メイドは空中で身体を縮める。両足の裏をエリスの首を絞めるアルフに照準すると、アルフの顔面に見事なドロップキックをお見舞いする。
助走、跳躍力、体重。三位一体の一撃に、アルフの身体がぐらりと揺れ……ない。
エリスをつかんだ手の力も緩めず、大地に根を張ったようにその場に止まっている。無表情の代わりにメイドが舌打ちにいらだちを乗せると、ドロップキックから一転、宙返りをして着地。続けざまの第二波がアルフに襲いかかる。
「……お前、今思えばよくあの男を吹き飛ばしたな」
「馬鹿にしないで。私を誰だと思ってるのよ。キズナ・タカナシよ。曲がりなりにもアンタの弟子だし、それぐらいはしてみせるわよ。リニオの見てる前で何も出来ない自分でありたくないもの」
「そ、そうか、そうだな……」
戦闘を見つめながらつぶやくキズナ。いつもと違う凛とした横顔。珍しくキズナがそんなことを言うものだから、俺は二の句を告げなくなる。
……コイツ、戦闘に夢中になっていて自分が何を言っているか分かっていないな。それに一人気がついてしまった冷静な自分が恥ずかしいではないか。ああ、くそ、これだからキズナは馬鹿で困る。
熱くなった顔を太陽のせいにしようと空を見上げれば、あいにくの空模様で、太陽は隠れてしまっていた。ぬう、太陽も照れ隠しとは。
「アルフはそんなんじゃ倒れないぜ! 何たって全身筋肉だからな!」
「それには私も同感ですね。身体ではなく頭も固そうです」
エリスの救助を邪魔されたメイドが口撃を飛ばす。
「キース……褒め方にも色々あると思うが」
大きい顔をむっとさせるアルフ。
「安心して下さい、この清掃員は頭が空っぽのようですから。似たり寄ったりです」
「誰が清掃員だコラ!」
第二波、第三波とアルフに拳をぶつけるも、アルフの巨躯はびくともしない。涼しい顔をして息も絶え絶えなエリスをかかげている。口から苦悶の声をもらしながら、じたばたともがくエリス。コートからはみ出す細い手足で最大の抵抗をしてみせるが、アルフの鋼のような身体にはあまりにも無力。抵抗の拍子に首からぶら下げていたペンダントらしきものがコートからこぼれ落ちて、わずかな光を放つ。手帳より一回り小さい金色のケースだった。
俺はそれに少なからず見覚えがあった。幾ばくか昔の淡く温かい記憶。
「エリスお嬢様、か……このようなところでまた会うとはな」
「リニオ知ってるの?」
「ああ」
「私は知らないけど」
「お前とあう前の話だからな。気になるか?」
「別に。全然気にならない。これっぽっちも気になんてならないわよ」
否定を連呼すると、嫌よ嫌よも好きのうち理論になるぞ、キズナ。
「安心しろ。何もなかったさ。俺はお前と出会ってからは、お前一筋だからな」
「な、な、な、何を言ってるのよ、馬鹿っ! だから私は気にならないって言ってるでしょうがっ! それに、ひ、一筋ってこっちから願い下げよ!」
普段は小憎らしいことしか言わない口が、なんて初々しい噛み具合だろう。これだから、キズナをおちょくるのは止められない。
興味を持って下さった方、読んでくださった方、ありがとうございます。明日は海岸清掃をしてきます。なので、ゴミは捨てないでくださいね。
それでは、評価・感想はもれなく作者の栄養になります。