第四十七話・「試してみますか?」
――昔の夢を見た。
「カーティス殿、我が屋敷の心地はいかがですかな?」
ソファにどっかりと巨体を沈める男が、空のワイングラスを差し出すと、背後に控えていたメイドが素早くワインを注ぎ足す。デキャンタから注がれるワインは熟成されていて、豊潤な香りがグラスに注がれた瞬間から漂い出す。
男はまるで水でも飲むかのように、ワインをあっと言う間に飲み干してしまう。
「何不自由なく快適です、エラルレンデ侯。このような美味しいワインも出てきますしね」
言いながら、目の前に置かれたワインに口をつけて、果実味のある液体を味わうように口の中で弄ぶ。
「では、おかわりはいかがですかな? うるわ、カーティス殿にワインを」
空になったグラスを目に留めると、ワインを勧めてくる。うるわと呼ばれたメイドが隙のない所作でデキャンタを傾けようとする。
「酔いやすい質なので、これ以上は結構です」
「それは残念。天才魔法使いも酔いには勝てぬと来ましたか」
「まぁ、そういうことです。魔法を使うなら酔うな、酔うなら使うながポリシーです。何よりも、酔うなら自分自身に限ります」
「ぬははっ、さすが天才は言うことも達者だ。これが天才でなければ、狂言師らしく剣のサビにしているところですぞ」
豪快に笑うエラルレンデ。破顔した顔だが、冗談を言っているようには感じられない。
「しかして、一つ気になることがありましてな。この私、エド・エラルレンデは今でこそ領主という立場にあるが、剣には多少の覚えがある。例えば、私がここでカーティス殿に斬りかかった場合、果たして私の剣が早いか、貴公の魔法が早いか……それが気になって仕方がないのです」
「そうですね……一般的には、剣は魔法に劣ると言われています。単詠唱魔法は、一言言葉を発する時間さえあれば即座に発動する。それは剣を手に取り、抜剣する時間を考えると相当に有利な状況。いわば、単詠唱魔法は膠着した状態でありながら、すでに相手の喉元に抜き身の剣を突きつけているのと同義です」
「それは恐ろしい。時に、カーティス殿、倭国には抜刀術という技がありましてな。これがまたすごい。納刀したまま一瞬の踏み込みで抜刀、その神速さ故に、敵は刀に手をやる暇すら与えずに斬首されるといいますぞ」
「倭国の抜刀術ですか。興味深いですね」
「単詠唱魔法、いやはや興味深いものですな」
「……。……試してみますか?」
挑戦的な言葉に、エラルレンデの眉がぴくりと動く。
半分ほどワインの残ったグラスを置き、鋭い眼光で威嚇するように見つめてくる。剣はソファに立てかけてある。剣を手にとって抜刀……手練れであるならば一秒とかからず首を落とせる位置。エラルレンデはその域に達している。
勇猛のエラルレンデ、と言えばこの地方では有名だからだ。
部屋を走るぴりぴりとした緊張。
火がつけば即座に爆発するような濃厚な密度のガスが充満しているようであった。
そんな息が苦しくなるような状況下にあっても、メイドは指一本動かさず、主人の背後に控えたままだ。しばらく張り詰め続けた緊張の後、エラルレンデは突然くつくつと笑い出し、ついには吹き出すように大声で笑い出した。
「いや、止めておきましょう」
ひとしきり笑い終えると、残りのワインを一気に喉に流し込んだ。
味わうと言うにはほど遠い飲みっぷりには、ワインのヴィンテージがどうの、産地がどうのとか、些細なことがどうでもよくなってくるから不思議であった。