第四十話・「おぐっ!」
屋根の上に座って星空を眺める……なんていうのは一体どれほどぶりであろうか。
物言わぬ人形にたとえるにしても、あまりにも造形美が過ぎるエリス。
夜空を彩る星々に願いをかけるとすれば、この美少女は一体何を祈るのであろうか。
命を狙われる自分自身への救いか、言葉を話せなないことへの救済か、はたまた先天性魔力失調症という病気によって、いつ果てるとも知らない魔力への渇望か。
いずれにせよ、星空は願いを叶えない。願いを叶えるのは叶えたいと思った本人の力によってのみだ。叶えられるのを願って待つことは、伏して死を待つのと同義である。俺もキズナもそういった旅を続けてきたし、おそらくはこれからも続いていくのだろう。
気絶寸前のしっぽの痛みから二時間。
おもちゃ扱いされることにいい加減に疲れ果て、寝静まった頃合いに俺は部屋に戻ってきた。キズナは天井からぱらぱらとゴミが降ってきそうな程にいびきをかいていたし、うるわは耳栓をして下着姿のままで就寝していた。うるわのガーターベルトはおおいに魅力的だったのであるが、残念ながら堪能することはできなかった。
うるわの布団の中に潜り込もうとしたところ、細い指先にまんまとかすめ取られてしまう。
それがエリスだった。
どうやら寝付けなかったらしい。
拉致されるように部屋の外へと連れ出され、ベランダから手すりを使って器用に屋根の上へと到達する。背負っていたリュックを下ろすと、額に浮かんだ汗を拭った。病人とは思えぬ活発さに、うるわの困った顔が容易に想像できてしまう。
困ったご主人様だ。
俺はエリスの纏う漆黒のベビードールの胸元から顔を出し、エリスの動向をうかがった。
エリスは特に俺に遊びを仕掛けてくるでもなく、ただじっと空を眺めている。俺はエリスに気がつかれないようにあくびをし、胸元の生地にぶら下がったまま夢の中に落ちようとする。
薄目でエリスを見れば、どうにもこうにも狙ったとしか思えないナイトウェア、ベビードールが目の前に大写しになる。まるでスポンジケーキに生クリームを大量にくっつけたように、フリルはふりふりでふっくら、かつ、ゆったりとした出で立ち。右肩、鎖骨、左肩というラインを大胆に見せるから、肌の白と生地の黒が目に鮮やかだ。
小さな肩の上でこれまた小さなリボンがかろうじて服を支えている。その両肩を支える二つのリボンをちょいとつまんで引っ張ってみれば、すとんとベビードールは足下に落ちてしまうだろう。そして、そこに現れるのは、下着一枚纏っていないエリスなのだ。
……小悪魔め。
なまじ純真だから手に負えない。純真な小悪魔なんて、考えただけで卒倒ものだぞ。
悶々とした考えにとらわれてしまっているせいで、睡魔はいつまで経ってもやってこない。あくびをするにはするのだが、まるで自分は眠いのだと無理矢理信じ込ませようと自演をしているような気にさえなってしまう。
うぬう、これは本格的に不眠症の前触れか。だとしたら原因は馬鹿弟子によるストレスで決定だな。考え得るストレスへの対処法は……。
ガーターベルト。
やはり、ふっくらとした優しさに包まれることであろうか。
ガーターベルト。
心地よい温もりに全身をゆだねて思いっきり眠ってしまおう。
ガーターベルト。
うん、それがいい。
ガーターベルト。
なんて健全な結論だろうか。これがジェントルメンとして名高いリニオ・カーティスの本来の姿なのだ。エロなどは敵を欺く仮の姿でしかないのだ。
ガーターベルト。
エロなどは敵を欺く仮の姿でしかないのだ。エロなどは敵を欺く仮の姿でしかないのだ!
ガーターベルトガーターベルト……。
エリスの肌に触れないように、ベビードールから離れて、こっそりと天窓から中へ戻ろうとする。
(おぐっ!)
俺の首根っこがひっつかまれた。
エリスを見れば口をへの字に曲げてぷりぷりしているようである。
ええい、離せ! 俺がストレスでおかしくなってもいいというのか! 俺のためを思うのなら今すぐこの手を離さんか!
宙ぶらりんのままじたばたと暴れる。思えばエリスとのやりとりは、なんだか思考が読まれているようで、不思議な感覚である。
もしかして俺は表情に出やすいのか? いやいや、俺はハムスターの姿だぞ。そんな表情豊かなハムスターなど聞いたことがない。
表情筋が発達しているのは人間くらいのはずだが……。
キズナが俺を見て何が言いたいか伝わるように、エリスにも伝わってしまうのだろうか。
いや、俺はそもそも例外中の例外か。
俺があきらめて脱力すると、エリスは安心したのか、ベビードールの胸元に俺を戻した。
俺の負けだ、エリス。今宵はお前の気が済むまで付き合ってやろう。感謝するのだな。
星空の元で敗北宣言をしていると、エリスがリュックから日記帳を取り出していた。月明かりに照らされた日記帳は、エリスの小さな文字を細かに映し出すほど光量に優れていた。
もしや、ランプを使うことでうるわを起してしまわないように気を遣ったのだろうか。
エリスよ、そうやって他人を気遣えるというのは大事にしていいぞ。中には気を遣うことなんてすっかりすっぽり頭から抜け落ちている奴がいるからな。
うんうん、と腕を組んで感心していると、エリスは腰掛けた屋根の上で日記帳を広げていた。
胸にぶら下げた金色の紙ケースからペンを取り出すと、つらつらと出来事を綴り始める。
俺はそれをリスの胸元から見下ろしながら、ペン先の行く末を眺めていた。
興味を持って下さった方、読んでくださった方、ありがとうございます。
今回で、四十話目ということで、久しぶりに後書きを書いてみます。
私の小説が面白いと思ってくださっている方がどのくらいいるのかは分かりませんが、もしそのような方がいたらオススメするのが、安井健太郎著『ラグナロク』という小説です。角川スニーカー大賞受賞作で、とても面白い小説ですが、残念ながら作者は完結する前に物語の執筆を放置してしまいました。個人的にとても大好きな小説で、いくつか影響も受けているくらいですので、痛恨です。
今更、また一から読み直しています。完結することなどもうないというのに……。
ああ、お願いですから続きを書いて下さい、安井健太郎先生……。ということを反面教師に、自分は毎日書き続けて、そのままの調子で完結させようと思います。
評価、感想は作者の栄養になります。