第三十九話・「ご機嫌ですね」
しばらくして目を開けるとキズナがベッドにうつぶせになっていびきをかいているのが見えた。
その上には部屋に明りを灯す魔法球がある。電気がまだ供給されていないこの宿では、電球の代わりに、魔力によって魔法球を灯すことでしか明りを得ることができない。もちろん火を使うこともできるが、身体からあふれる魔力を使わずに、わざわざオイルを買うのは懐古主義の奇特な人間だけだ。
魔法球は【恩寵者】であるキズナの魔力を得て、内側のフィラメントが青白く輝いている。ちなみに、普通の人間の魔力ならば、発光する色は白い。
(ふむ)
魔法球の青白い光。
一点の染みもない背中の流線。相乗し、非現実的な美麗さを演出する。
我が弟子ながらなかなかのものを持っている。これで胸があれば俺も……。
……ん? 別にキズナに胸があったからなんだというのだ。
キズナはキズナでしかない。俺の足を引っ張ってばかりの馬鹿弟子ではないか。
俺は外の闇に目をはせる。太陽は完全に落ち、道を挟んで電灯が輝いている。それほど発展した町ではないが、電気という発明は日を追うごとに広がっているのが分かる。魔法灯ではない電灯……昔は、人が自らの魔力を使って全ての火を灯し、それを明かりとして利用していたものだが。
進歩とはまるで駆け足だな。耳をすませば、進歩の足音というものが聞こえてきそうな程に。
「ご機嫌ですね、エリス」
鼻歌でも歌うように歩くエリスに気がつけば、いつのまにか俺は脱衣場に連れてこられていた。記憶が抜け落ちてしまったかのようだ。必要がないから抜け落ちたからなのか、あえて抜かしたのかは定かではないが、目の前では服を一所懸命に脱ごうとするエリス。
って、おいおいおいっ!
「エリス、またそうやって中途半端に。エリスの悪い癖です」
男らしい大胆な脱ぎっぷりのキズナとは対照的。
少しずつ露わになっていく小さな肩口や、肩胛骨、胸元に隠されたわずかなふくらみ……さらには地面にまで届きそうな長くきめ細やかな髪が、真っ白な肌にさらさらと寄り添う。
俺の顔が、自分の意志に反して熱くなってくる。
なんだというのだ。俺にそんな気はないというのに。
偶然なのかわざとなのか、着崩すように脱いでいく。着崩したエリスはなにか、汚されてしまった乙女画のようであり、墜ちていく天使のようでもある。あるいはその最中であるような……。
とにかく、加害者でもないのに加害者の心境にさせられてしまう。
でなければ、エリス以外が全て悪であるかのような……ああ、もう、訳が分らん。俺は何で、こんな子供にドキドキしているんだ。
否定するように半裸のエリスを睨めつける。
『早くリニオと』『洗いっこ』
おい、パンツを微妙に下ろすところで止めるな。なぜ最後まで脱がないで、言葉を書こうとする。お前は、おもちゃに目移りする子供か。
『ごしごしして』『リニオのお肌』『すべすべにするの』
「エリス、言いたいことは分かりました」
『ふきふきして』『リニオのおひげ』『ぴかぴかにするの』
「ですから、書きながら脱ごうとするのは止めて下さい。下手をすれば転んでしまいます」
『きゅっきゅして』『リニオのお鼻』『つるつるにするの』
ああもう、見てられん!
俺は熱くほてった顔をもてあましながら、エリスに背中を向けた。
「エリス危ない!」
禁忌を侵犯したような罪悪感が俺の心の大半を占める中、エリスが驚いたような声を上げる。着崩した脱ぎ方が災いしてか、下ろしたパンツに足を取られ仰向けに転んでしまったようだ。
ほら、見たことか――ギャうおッ!
刹那、俺は天地がひっくり返るかのような痛みに飛び上がる。
転んだエリスのお尻が、俺の美しいしっぽを押しつぶしたのだ。
「――ッ!」
ここで叫び声を上げなかった俺は、本当に偉大であると思う。
自分で自分を褒めてあげたくなる。
さすが俺、よくやった。
立派だ。格好いい。惚れる。
寂しそうなエリスの顔など記憶の片隅にも残らない。
俺は痛みのあまり脱衣所から飛び出していた。