第三十話・「泥を吐きなさいよ!」
「今更言っても後の祭りではあるのですが」
話を切り替えるように、うるわがメイド服のスカートをつまみ上げる。
「このような格好で帰ったら、エリスに叱られてしまいますね」
俺の格好もひどいものだ。ひげまで泥だらけになってしまっている。色男が台無しだ。
「ふん、転んだって言えばいいじゃない」
いじめられっ子が先生にする言い訳か。
「あああっ!」
なんだなんだ。突然耳元で怒鳴るな、馬鹿者。いきなり素っ頓狂な声を上げたかと思えば、キズナがヒップバックをあさり始める。ちらりと首を伸ばしてうかがってみれば、なにやらがさごそと紙切れを探して確認しているようだった。激しい戦闘の名残か、紙はしわくちゃだ。……お、どうやら、俺の恋人達(ひまわりの種)は無事のようだな。割れていたりしなくて良かった。
俺が恋人達の無事に溜飲を下げていると、キズナは手のひらをためらいなく服で拭い、手紙のしわを伸ばし始める。あの、紙の大きさ、確か……。
「危なく汚れるところだったわよ」
エリスにもらった紙か。『先天性魔力失調症』『助からない病気です』という文字が心細い筆跡で書かれている。しわくちゃになってしまったそれを、手のひらをあわせて何とか元に戻そうとする。
「キズナ、それはエリスの文字では?」
うるわも俺と同じくのぞき込む。背中を丸めて隠すようにしていれば、おのずとのぞきたくもなるというものだ。やるなら、もう少し考えてやるのだな。
「勘違いするんじゃないわよ! 私は、その……メモ帳にするつもりでとって置いたのよ」
苦しい言い訳だな。馬鹿弟子らしいぞ。
「キズナは物持ちがよいのですね、感心します」
「そ、そう、それよ。捨てられなくて困っちゃうのよ」
お前ほど物事に無頓着で、さばさばしている奴もいないと思うが。
「だ、だから別に、変な意味で持っている訳じゃ――」
穏やかな空気が流れた気がした。
「感心します」
鼻の先がむずむずして、くすぐったくなるような。思わず顔をそらしてしまいそうなほのぼのとした空気感。
「むっ……。そうね、感心するでしょ」
「感心します」
今日、この町に、この公園に雨が降った。
もちろんキズナとうるわ、二人の間にも。来ない明日がないように、止まない雨もない、晴れない空もない。雲間から降りてくる太陽のカーテンは、陽気で町中を包み込み間もなくこの雨の名残を取り払ってくれるだろう。そうしたら、きっと地面は乾き、以前よりも強固なものになるのだろう。
……ああ、なんと言うんだったか。こう言うのを言い表す慣用句があった気がするが……。俺も年を取ったか、いやいや、ド忘れしているだけだ。俺はまだ若いぞ。
「感心します」
「……うるわ、アンタ本当にそう思ってるの?」
「さぁ、どうでしょう」
遠くから聞こえてきた軍靴の足音。あれだけ暴れて音沙汰なしは、あり得ないだろう。
「通報されてしまったようですね。では、それそろ戻りましょう。エリスも私の帰りを待ちわびているでしょうから」
「ちょ……! 待ちなさいよ!」
走るうるわを追いかける。
俺はこの二人に代わって、公園を利用する子供達に謝罪の一礼を済ませる。
すまない、公園を壊されたからといって、ぐれて悪い大人にだけはなっては駄目だぞ。例えば、この馬鹿弟子のような。
「うるわ、本当に感心しているんでしょうね?」
「はい、感心していますよ」
「嘘臭いわね。おとなしく吐いた方が身のためよ?」
お、言い台詞があるぞキズナ。この泥まみれの戯れに終止符を打つ決め台詞だ。
逃げるうるわの後ろ姿に一言こう言ってやるのだ。
俺は胸ポケットからキズナに耳うちをしてやる。キズナは唇をぺろりとなめて、悪戯っ子のように頷いた。
「うるわ――泥を吐きなさいよ!」
意味は……まぁ、各自調べてくれ。
【泥を吐く】……調べられ問いつめられて、隠しきれずに犯罪を白状すること。