第二十六話・「これが興奮するの!」
本来、魔法ではなく体術で攻めるのはキズナの真骨頂である。
魔法はからっきしだが、近接戦闘は一流。不利とも思える状況に厭わず挑んでいく、恐れることを知らない意思。ブレーキペダルが壊れているのは、どうやらキズナだけではないようだ。
あえて言わせてもらおう。恐怖に勇んで飛び込んでいくのは、相当の愚か者か、切れ者のどちらかしかない。
キズナの場合は前者で、うるわの場合は後者だろう。
エリスを守る、それは力なくしては達せられない目的だ。強いのも頷ける。
「そうですか。では、泥仕合も次で終わりにします。やはりエリスの買いかぶりだったようですね。エリスの方には私から伝えておきます。キズナは敵が怖くて逃げ出したと」
「あ、そうそう。うるわ、その前に一ついい? 万が一、負けなら負けでいいわ。でも、私が勝ったら、あの子のお守りをしなくてはいけないのよね? あのチビで弱々しくて」
悪戯心を満載した嫌らしい笑み。キズナお得意の悪ふざけの始まりだった。
「【恩寵者】っていう宝を持ち腐れた、状況判断も出来ないお嬢様」
うるわの拳が引き絞られる。射る寸前の弓。限界まで絞られた弦。
この先の言葉を俺は知っていた。うるわもおそらく分かったはずだ。
「一言で言うなら――」
キズナの唇がたわむ。
「――足手まとい」
ぶちり、と何かが切断される音がした。うるわがむき出しにした歯がぎりりときしむ。恐ろしいほどの鬼気がうるわから放出される。歯はまさに猛禽類の牙の如く。
「その口を……!」
うるわの腕を伝導する淡い光。まるで血流のごとく血管を渡っていく白光。
「キズナ、これは――」
俺の思考は許されず、憤怒の拳が巨木の幹を叩いた。人が二人でようやく手をつなげる太さの幹に、びきびきとひびが入る。身体に似合わぬ恐るべき怪力。傾き、徐々に自重を横たえさせていく巨木。盛大に悲鳴を上げる巨木の音が、雨上がりの公園を騒乱へ変貌させる。
「エリスを侮辱するその口を……!」
うるわは幹に足をかけると、倒れつつある巨木の頂に向かって走り込んでくる。キズナは口内にたまっていた血を唾液ごと吐き出すと、倒れ行く巨木をくだっていく。
バランスとスピード。
その二つを纏い、両者は巨木のちょうど中央でぶつかり合った。
「今すぐに塞ぎなさい!」
闘争心をむき出しにしたうるわの攻撃は苛烈を極める。冷静さを失い、技のキレは失われたが、手数と威力は格段に増している。
巨木が倒れ、ブランコをバーごと踏みつぶすのと同じくして、二人は木から飛び降りて、飛散する泥の中を疾駆する。
飛び散る泥の一粒一粒がきっちりと見えるような、時間の引き延ばされた戦い。
うるわのパンチがキズナの頬を捕らえた。よろけるキズナ。痛みを押しつけるようにキズナはニヤリと笑って、お返しとばかりにうるわの頬を殴り返す。
続けざまに跳躍し、うるわにお見舞いする連続の蹴り。滞空時間の長いキズナだからこそ可能な足技。右の回し蹴りから、左の後ろ回し蹴りへ、さらに強引に身体を回転させて二度目の右回し蹴りにつなげる。一般人が見たら空中で高速回転しているようにしか見えないだろう。
うるわはそれを肩口に受けて膝をつく。キズナのブーツは鉄板入りだ。重いなどという言葉はお世辞しても足りなすぎる。
言うなれば、一撃一撃が致命的なものなりかねない蹴りだ。うるわもそれは身をもって知ったのだろう、震える足に明らかな舌打ちをしてみせる。それでも歯を食いしばらせて身を奮い立たせると、うるわは猛獣が如く地を這うように駆け出してくる。キズナは避けるつもりは全くなく、迎撃の構えを取った。
「これよこれ! これが興奮するの!」
「お前の道楽に付き合わされる身にもなれ……」
あっけのない侵入。
侵犯される互いの間合い。残像の残る視界の中で、キズナの自信過剰を注意すべきか、うるわのスピードを称賛すべきか迷う。
交差する拳、交差する足。
うるわのメイド服に泥が飛び散り、スカートがひるがえれば、キズナの身体に衝撃が広がる。遠心力や急制動が生み出す揺れに翻弄される俺。胸ポケットは特等席だがこういうのが玉にきずだ。頭蓋骨の中で脳が跳ね回る気持ち悪さを感じながら、俺は必死にポケットにしがみつく。
うるわの徒手空拳に身体を痛めつけられるのと並行して、キズナもうるわにブーツの足形や靴紐の形を身体のあちこちへ乱雑に残していく。
やられたら、やり返す。
ただそれだけのようにも見えてしまう攻防。いや、攻防ではないか。両者共に攻めることしかしていないのだから。
終わりのない殴り合いに進展が見られたのは、互いに息も荒げ始めた頃合いだった。馬鹿弟子が一言つぶやいた。
「やば」
おい。