表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/99

第二十二話・「……ゼェ……ハァ……」

 俺は小柄な身体を最大限に活かして、露天の多い市場へ。所狭しと品物が陳列されており、行き交う人も含め、逃げるには障害物が多い。活気は天候に左右されないようだ。雨上がりというのにこの状況。俺にとって好条件となる。

 敢えて煩雑な場所を選んで通り、並べられている野菜や、果物の隙間をぬっていく。身体をひねり、数々のアスレチックフィールドをくぐり抜ける。猫もそこは然る者、負けじと柔軟な身のこなしで追跡してくる。生死をかけた逃走劇。


「小賢しいねずみだ――ウニャ!?」


 リンゴの摘まれていた箱にぶつかったのだろう。人々の行き交う道に真っ赤なリンゴがぶちまけられていた。怒鳴る店主の顔が、さながら色付いたリンゴのようであった。

 息を切らして一目散に逃げた先は住宅街。雨上がりの公園に入り、周囲に危険がないか確認する。安全であることが分かると、ブランコの上で大の字になる。

 駄目だ、もう走れん。


「み、見たか馬鹿猫め……。俺はまだハムスターとしての経験値は低いかもしれんが、貴様のようなゆとり世代の猫に負けるほど落ちぶれていないぞ。せいぜい、お婆ちゃんとやらにご馳走でも恵んでもらうのだな……ゼェ……ハァ……」

「だいぶ息が上がってるわね、リニオ。必死になって探すほど一人じゃ寂しかったの?」


 何という僥倖。馬鹿弟子の方から現れるとは。


「馬鹿を言うな、貴様こそ寂しかったのだろうが」

「そうね。いつもそこにあるものがないと、寂しくもなるわ」


 真面目な顔のキズナと、勝手に嬉しいと判断する自分の顔の筋肉。

 恨めしい。自分もキズナも。


「たとえそれが……どんなにウザイものでもね」


 キズナ、破顔。


「今のリニオの顔、面白かったわよ?」

「黙れ馬鹿弟子! 俺がその気になれば、その減らず口を閉ざせるのだぞ!」


 キズナが俺の隣のブランコに腰掛ける。左右二つに結われた髪の毛には、雫がいくつも付着していた。傘も差さずに出て行くからだ。無計画で無鉄砲。あきれて言葉もない。


「はいはい、分かってるわよ」

「はいは一回だ」


 しっとりと濡れたキズナが足を組めば、見えそうで見えない絶妙のラインが現れる。恋愛に頓着のないキズナだからこそ可能な天然の誘惑。この所作に誘われ声をかけてきた男が何人痛い目を見たことか。

 世の男性諸君よ。綺麗な薔薇には刺があると知れ。


「ねぇ、リニオ、大胆に寝そべっているけど、猫に襲われても知らないわよ」

「ふん、猫ごとき……俺が返り討ちにしてやるはずだ」

「文法がおかしいわよ」


 な、何だ、考えただけで身体の震えが止まらないぞ。これが生き物の持つ第六感……危険予知という奴なのか。

 聞いたことがある。

 ネズミが家から一斉に出ていけば、その家に火事が起こるとか、地震で家が壊れてしまうことを予測しているとか。

 う~む……動物とは不思議なものだな。ぶるぶるぶる。


「怖いなら怖いって言えばいいのに。また助けてあげないこともないのよ?」

「結構だ」

「ふ~ん……」

「なめるなっ! 俺を誰だと思っているのだ? 遠からん者は音にも聞けっ! 近くば寄って目にも見よっ! 我こそは偉大なるリニ――」

「あ、猫」

「助けてくれっ!」


 ジャンプ一番、キズナの足下にすがりつく。そんな俺を胡散臭そうに見下すキズナの目があった。


「そ、その目は何だっ!」

「嘘よ。いないわよ、猫なんて」

「……し、知っていたさ。なんだ? 疑っているのか? いいか、勘違いをして欲しくないのだがな。今のは俺が緊迫の演技を見せてやっただけなのだぞ。お前がどんなリアクションを返すかと思ってな。ちょっとからかってやっただけだ。決しておれが猫に対して恐れを抱いているわけではないぞ、本当だぞ」

「宿屋で思いっきり九死に一生を得ていたけど、全部私の夢だったのかしら」

「あ、アレは……そう、相手の力量を計っていたのだ。古人曰く、敵を知り己を知れば百戦危うからずと言ってだな、攻防にギリギリ感を演出することで……ま、究極の所、俺程の猛者ならば、聞かなくとも撃退可能なのだが、それでも、まぁ、情報が多いにこしたことはなかろう? たとえ数匹で襲ってこようと、猫など俺が数秒でギッタギタのケチョンケチョン――」

「あ、猫」

「助けてっ!」


 キズナのふくらはぎに飛びついていた。

 しっぽを縮めて恐る恐る周囲を見回しているが、猫の姿はどこにもない。血に濡れた鋭い爪も、狂気に揺らめく炯眼も、狩りに適した柔軟な身体も、どこにも見あたらなかった。あるのは、公園を薙いでいくそよ風と、ブチ猫模様のようなまだらな水たまり群。


「リニオ」

「……はい」


 木の葉からしたたる雫が水たまりに落ち、ぴちゃんと瑞々しい音をたてる。


「怖いんでしょ?」

「怖いんです」


 キズナのふくらはぎを、力なくずるずると滑り落ちる。

 何か今、俺の中で大事なものを奪われた気がした。

 威厳か、主導権か。

 ……いや、両方か。


「ここにいましたか、キズナ。子供でもないのですから、もう少し行動に規則性を持たせて欲しいですね」


 公園の入り口に立つのはうるわが、足音もなく歩いてくる。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ