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奇跡再臨


 マーテルは思わず声にならない悲鳴を飲み込み、両手で顔を、口のまわりを覆った。


 クリスタルモニターの画面の中で、“凶刃”と呼ばれる冒険者がヒャクリキ目掛けて大きく跳躍し、そのまま彼が振るった剣の斬撃がヒャクリキの上半身を、首元からおそらくは鳩尾みぞおちのあたりまで勢い良く斬り下ろす。

 ヒャクリキの体は、その巨軀きょくがそのまま真っ二つになるかと思われるほどに、縦に深々と切り裂かれた。


 なんとも呆気あっけ無い、一瞬の出来事だった。


 ヒャクリキの背中から“凶刃”が手にした奇妙な剣の先端が突き出して、鈍い光を放つ、その冷たい地金じがねの色をのぞかせている。


 さすがにヒャクリキも即死だろう。

 あれで生きていられるはずが無い。


 マーテルの視界がかすむ。

 意識がどこか遠くへ、飛んで行きそうになる。


 マーテルの周囲、観覧席じゅうから、大きな歓声が湧き上がった。

 同時に放映会場からも、詰めかけた観客による大歓声が巻き上がる。

 大歓声は大きなうねりとなって、会場全体を地鳴りのように揺さぶった。



(ああ、ついに…………やはり、やはりこうなってしまうのね……)



 見ていられない。マーテルは力無く目を閉じる。

 閉じられたまぶたに押し出されるようにして、大粒の涙がつう、とマーテルの頬を伝って流れ落ちた。



 ああ、やはりこうなる運命さだめなのか。

 あの時と同じように、やはり自分は何もできず、こうしてただ見ている事しかできないのか。



 マーテルの心の中に、薄められたような、黄色い感情が拡がっていく。

 悲しみと、無力感と、敗北感と、諦めが入り混じった静かな感情が、心の空間を侵食するように、じわじわと、ゆっくり、それでいて抑えようも無く拡がっていく。

 マーテルは目を閉じたまま静かに、自分の中のその感覚を、ただ見つめているより他に無かった。


 現実はやはり無味乾燥で、非情である。


 まるで水が高きから低きに流れるように、まるで1と1を足せば2になるかのように、疑念を差し挟む余地も無いほど当たり前に、まるで百年前からそう定められていたかのように。


 マーテルの予感は的中したのだった。



「やった!やったぞ‼︎ やりおった‼︎‼︎ まさか《エンシェント・ディバウアーズ》がここに来て逆転勝利するとは‼︎‼︎ まさかまさか、まさかの結末だ‼︎‼︎」


「これが……前大会チャンピオンの意地というわけですな‼︎‼︎ まさか《フーリガンズ・ストライク》の連携攻撃が途切れたわずかな隙を突いて、見事に横から勝利を奪い取るとは‼︎‼︎」


 マーテルの近くに座る運営の関係者が、歓声に混ざりながら高揚した声を上げる。

 状況が二転三転する波乱にまみれた大会が、ついに決着の瞬間を迎えたのだ。彼らにしてみれば感動のフィナーレといったところなのだろう。


(……どうでもいいわ……馬鹿みたい。……本当に……本当に、馬鹿げてる。馬鹿げてるわよ、こんな事…………)


 大勢の観客たちが上げる大歓声の中に身を置きながら、マーテルは周囲の世界から切り離されて、その中にポツンと漂うような心持ちでいる。


 ヒャクリキの身を案じてずっと張り詰めていた緊張が解けたせいだろうか?

 マーテルの心の中を染め上げた静かな感情、それを上から塗りつぶすかのように今度は深い悲しみが、じわじわと何処からか拡がり始めたのを感じていた。



 そのままとどろき続ける大歓声に押し潰されそうなマーテルの意識だったが、変化は突如訪れる。

 急に慌てるような、狼狽ろうばいするかのような声が、あちこちから聞こえて来た。




「‼︎⁉︎……なんだ‼︎⁉︎ 何だ何だ‼︎⁉︎ あの黒いのは⁉︎ ……煙⁉︎ “怪人”から煙が噴き出したのか‼︎⁉︎ 何がどうなってる‼︎⁉︎ 何が起きたんだ⁉︎」



 その声とともに周囲がざわつき始める。


 何か起きたのか?気になったマーテルは閉じていた目を開けた。



 周囲の者たちは困惑した表情で、皆が一点を見つめているようだ。彼らの視線の向かう先、騒然とした空気の原因であると思われるクリスタルモニターの画面をマーテルがつられて見やると、そこには奇妙な光景が映し出されていた。


 “凶刃”ヨーカーに斬られたヒャクリキの大きな体の周囲が、何やら黒い煙のようなものに包まれている。

 その煙のような「何か」は、その大きさを少しづつ増しているように見えた。マーテルはその黒い煙のような「何か」に、奇妙な既視感を覚えながら思う。


(あれは何⁉︎ ……いえ、でも……どこかで……どこかで私は、あれを見た事が有る気がする…………それはどこ?……あれは一体……一体何なの⁉︎ 煙のような、いえ……“黒い霧”と言った方が近いかしら?)


 何が起きているのだろうか?


 喉に魚の小骨が引っ掛かるような既視感を感じながらマーテルが映像に見入っていると、突然クリスタルモニターの画面が波打つように乱れた。

 同時に放映会場に設置された「公示人の口」から、耳障りな雑音が会場中に響き渡る。

 そして……


 クリスタルモニターの画面に映し出される乱れた映像は、一際大きく波打つかのようにして乱れて揺れると、いきなり黒一色に塗り潰されて消失ブラックアウトした。



「「‼︎‼︎‼︎」」



 突然起きた謎の現象への驚きで放映会場を満たしていた歓声が途切れ、ざわめきの声がところどころから上がり始める。


 設置された6台の巨大なクリスタルモニターは、それらの観客の動揺などまるで気にも掛けないかのように、真っ暗な画面に再び映像を映し出す事もなく、ただそのまま、沈黙を続けるだけだった。







「はあ、はぁ、はぁ…………あぁ〜、気持ち良かったァ。やっぱ人間を斬った時の感触は独特で、そんで文句無しに格別だなぁ。あぁ、たまんねぇ。職場の同僚相手ってのがまた、良い刺激スパイスになってんのかな?こんなの、マジで初体験だぜ」


 ヨーカーの意識は、まるで脳髄を蜂蜜に浸けたまま火花に焼かれているかのような、甘く、それでいて強烈な快感から解放されて、段々と現実へ戻りつつあった。

 両手の中には“怪人”を切り裂いた時の感触が、まだわずかに残っている。


 ……たかぶり過ぎて思わず果ててしまった。自分とした事が、どうにも我慢できなかった。


 股間にぬるりとねばつく感触。ヨーカーは申し訳程度に湧き上がった羞恥しゅうち心に、何とも体がむずがゆくなるような感覚を覚える。

 しかし次の瞬間、「カタナ」を握る両手に黒いモヤが絡み付いているのを見ると、彼の意識は快感の余韻よいんから急速にめ始めた。


「……って……んん?なんだコリャ⁉︎ 何だこの黒いの?……何だよ?一体、何がどうなってんだ?」


 ヨーカーは、そこでようやく異常事態が発生している事に気付いた。

 目の前で動かなくなった“怪人”。その大きな体には、跳躍から落下する勢いにまかせて斬り下ろし、途中で止まった状態になっている「カタナ」が、挟まったままになっている。


 その“怪人”の大きな体を中心にして、包み込むように、絡みつくように、煙のように見える黒い「何か」がまとわりついていた。

 注視してみれば、その「何か」はまるで砂のような細かく黒い粒子の集合体のようだ。煙というよりは霧のようにも見える。

「黒い霧」とでも呼ぶのが最も相応ふさわしいと思われるそれは、“怪人”だけでなくヨーカーの体をも包み込まんとするかのように、少しづつその大きさを増しているようだった。


「何なんだよ、これ。なんか気持ち悪ぃな……」


 ヨーカーは嫌な予感を覚える。この「黒い霧」が何かは分からないが、なぜか見ているだけで生理的な嫌悪感を感じるのだ。


「んー?……こいつの傷から出てんのか?そもそもなんで血じゃなくて、こんなのが噴き出してるんだよ?…………???」


「黒い霧」の発生源は、どうやらヨーカーが切り裂いた“怪人”の体のようだった。縦に豪快に裂けているその傷口から、漏れ出すかのようにして湧き出ている。


「‼︎‼︎‼︎…………なっ‼︎……何だコリャ‼︎⁉︎」


 ヨーカーは驚愕する。


 そのまま様子をうかがっていると、傷口から湧き出ていた「黒い霧」の粒子の動きが変化したのだ。

 煙のように動いていたそれらがいつの間にか、切り裂かれた“怪人”のブリガンダインとチェインメイル、さらにはその下の戦闘服からのぞく傷口のまわりへと集まるかのような、奇妙な動きを見せている。

 さらに霧のように分散していた粒子の一つ一つは、それら同士で引き寄せられるかのように集まって収斂しゅうれんし、まるで糸のような形を成したかと思うと、気付けばパックリと開いた“怪人”の傷口の、離れ離れになった皮膚と皮膚とを、まるで吊り橋のような状態でつないでいた。


 そんな糸が何本も、何本も、

 ある糸は細く、ある糸は紐のごとき太さになって、

 まるで薪割りで割られかけた薪のように、縦に大きく裂けて開いた“怪人”の傷口を、段々と黒い糸が、黒い紐が、じわじわと縫い合わせ、つないでいく。

 そして呆気あっけに取られてヨーカーが見ている間に、傷口の裂け目を埋め尽くすかのようにして、あっという間にふさいでしまった。


「何なんだ?何なんだよ…………オイ!何なんだよ⁉︎ これ‼︎⁉︎ ……もしかしてこのマンブ野郎、化けモンか何かだったんじゃねえのか⁉︎ この黒いのは何なんだよ⁉︎ 気持ち悪ィ!気持ち悪ィよ!これ‼︎‼︎」


 起きている事態がまるで理解できず動揺するヨーカーの目に、さらに驚くべき現象が飛び込んで来る。


 傷口全体をびっしりと埋め尽くして奇怪にうごめくそれらの糸、その糸の一本一本が、今度は何やら収縮するような動きを見せ始めた。


 縮む黒い糸に引っ張られるかのようにして、ゆっくりと傷口が閉じて行く。

 離れていた皮膚と皮膚とが、ぐぐぐ、と音を立てるようにして少しずつ近付いて行く。


 ついに皮膚と皮膚とが引っ付いた。

 すると引っ付いたところに残された傷口の線が、今度は溶けるようにしてみるみるうちに消え始める。

 それと同時に、消えて行く傷の線からあの「黒い霧」が、まるで湯気のように立ち昇る。

 ザックリと切り裂かれていた傷口が、まるで嘘だったかのように消えて行く。


「はああぁぁぁぁぁぁぁあ‼︎⁉︎ 何じゃそりゃ⁉︎ おかしいだろ‼︎⁉︎ 傷がくっついて元通り⁉︎ そんな……そんな馬鹿な事があってたまるかよ‼︎‼︎ 何だよそれ‼︎⁉︎ ズッけぇ‼︎‼︎ ズッけぇぞ‼︎‼︎」


 ヨーカーは思わず、取り乱したかのように落ち着きの無い声で叫ぶ。

 確かに切り裂いたはずだった。この“怪人”の大きな体を。

 確かに斬って、殺したのだ。この目の前の“怪人”を。


 冷たくなり始めた股間の湿りが証明している。確かに俺様はコイツを斬った、斬ったんだ‼︎‼︎

 なのにこれはどういう事だ⁉︎ 一体、何が起きている‼︎⁉︎


 ヨーカーはふと顔を上げて、傷口から“怪人”の顔へと視線を移す。

 そこにある二つの目、両の目の瞳はそのどちらもが、明確な意志に燃える光を爛々(らんらん)ともしていた。

 “怪人”は生きている。殺したはずなのに、死んでいない。


「何なんだよ、アンタ?…………一体……一体、アンタは何者ナニモンなんだ?どういう事なんだよ、こ……」


 震える唇から、絞り出すようにしてヨーカーが言った瞬間だった。


 いきなり“怪人”の両手がヨーカー目掛けて伸びたかと思うと、長い耳を折り潰さんばかりに勢い良く、ガシッと左右両側から挟み込むようにしてヨーカーの頭部を、それこそ万力まんりきを思わせるような怪力で、強く、力強くつかむ。


「え?」


 漏れ出た声に合わせるかのようにしてヨーカーの視界が真横に動く。

 首と頭部が繋がる箇所から、ゴキリ!と鈍い、乾いた音。

 脳髄が焼け付くような、奇妙な感覚。


(???)


 視界の中には《フーリガンズ・ストライク》のメンバーたちが映っていた。

 なぜだろう、皆が皆、引きったような表情でこちらを見ている。


(?あれ?俺様は何をやってたんだっけ?……俺?…………お・れ?……お、お、お、お、オ、オ、オ、ヲ、ヲ、ヲ、ヲ、ヲ…………)


 ヨーカーの意識が何かに吸い込まれるようにしてかすんで行く。


 とてつもない馬鹿力で瞬間的に、頭部を半回転ほど無理矢理にねじられて首を折られたヨーカーの意識は、自身のすぐ側に、何やら“巨大な何か”の存在を感じ取った。


 その存在は細長い腕のようなものを伸ばしたかと思うと、それを巻き付けるようにしてヨーカーの意識を抱きかかえる。


(あ……連れてかれる…………)


 最期に意識に浮かんだのはその言葉だった。


 つい先ほどまで“ヨーカーだった”意識は、とてつもない力と速さで、何処かへと引っ張られるようにして消えて行った。


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