意外な顔見知り
頭部を覆っていたバシネットを脱いだ事で、ヒャクリキはささやかながらも解放感を感じていた。
呼吸がかなり楽になった。
ヒャクリキは深く、大きな、ゆっくりとした呼吸をする事で、あっという間に乱れていた息を整える。
狭い視界の圧迫感は消えて無くなったが、その広くなったヒャクリキの視界の中で、冒険者たちはどの顔にも強い警戒の色を浮かべながら彼を囲むようにして、ずらりと壁を作って横並びに並んでいた。
見れば冒険者たちは誰も彼も、その全員が、ヒャクリキに比べれば軽装と言える装備に身を包んでいる。
チェインメイルを装備しているような者は一人としておらず、剣や槍などの近接攻撃用の武器を手にしている者たちは、動きやすそうな鎧下の戦闘服の上に革鎧を着けている者がほとんどだった。
中には板金鎧を装備している者もちらほら居るが、そういった者たちも鎧で覆っているのは身体の急所が集まっている胴体がメインで、腕や足の防御はそれほど固めていないようだ。
後衛と思われる者たちはそれに輪をかけて軽装だ。鎧どころかジャーキンやハーネスで済ませている者も居る。
ただ、彼らが身に着けている鎧や戦闘服は、そのどれもが凝った意匠や鮮やかな色の外観をしており、土埃や返り血で汚れてはいるものの、それなりの金額が掛けられている事が一目で分かるほど手の込んだ造りだった。
「異国人か……言われて兜を脱いだって事は、言葉は通じるみたいだな……」
囲みのどこからか、そんな声が聞こえて来る。
バシネットを脱いだ際、冒険者たちはその顔に軽く驚きと動揺の色を浮かべ、小さくどよめいた。
おそらくはヒャクリキの容貌、面相を見ての反応だろう。
「…………密入国して食い詰めた不法滞在者?それとも逃亡奴隷かしら?……まあ、そんな事はどうでも……」
ヒャクリキの目の前に居る、先ほどバシネットを脱ぐように命令した若い女が何か言おうとしたその時だった。
女との間に一人挟んで横に立っていた、妙な形の頭巾を被った仮面の男が、いきなり女の言葉に割り込んで声を上げた。
「おお!やっぱり‼︎ 間違い無ぇ、マンブ野郎じゃねえか‼︎ アンタだったのかよ、“ドラセルオードの怪人”ってのは!何やってんだよ?こんなトコで!」
仮面の男は気さくな明るい声でヒャクリキに話しかけて来た。
しかしその全身は角鬼のものと思われる返り血で赤黒く染められ、その明るい声とはチグハグな、なんとも禍々しい雰囲気を漂わせている。
その手にはギラリと鈍く光る湾曲した刃を持つ、珍妙な形をした剣が握られていた。
「??……」
ヒャクリキは仏頂面を更に硬くさせて怪訝な表情に歪ませる。
当然だ。今のヒャクリキに冒険者の知り合いなど、一人も居ない。
「?……分かんねえのか?俺だよ、俺、俺!俺様だよ!…………って、そりゃそうか!これ被ってるから、分かるわけねぇよな!ハッハッハ!悪ぃ悪ぃ‼︎」
そう言うと男はいきなり頭巾を脱いだ。どうやら頭巾は仮面と一体になっているらしく、男の顔が露わになる。
「‼︎‼︎‼︎」
男の言葉通り、ヒャクリキは確かにその男の顔に見覚えが有った。
やや浅黒い肌に、整った目鼻立ちのその顔もそうだが、横にピンと張り出した、特徴的な長い耳。
ヒャクリキと同じく屠畜場で働く従業員の一人。そう、つい先日、昼休憩に昼食のテーブルでヒャクリキの目の前に座っていた、あのエルフの男だった。
「それにしてもこんな意外なところで顔見知りに会うなんて、いやぁ、世間は狭いとかよく言うけど、ホントその通りだよなぁ。…………って!しまった‼︎ こうやって俺まで顔を晒しちゃあ、職場の連中に俺が“凶刃”ヨーカーだって、バレちまうじゃあねぇか‼︎ 何てこった‼︎‼︎ やっちまったぜ!」
男は大袈裟な身振りで天を仰ぐポーズをする。
意外なのはヒャクリキも同じだった。そして男の名前がヨーカーというらしい事を、ヒャクリキは初めて知った。
ただ、職場でその名を名乗るとは思えないので、おそらく偽名なのだろうが。
最初に話しかけて来た若い女は、ヒャクリキの顔とヨーカーの顔との間で視線を行ったり来たりさせながら、その目を目玉が溢れんばかりに見開いて、分かりやすく驚愕の表情を浮かべている。
「まあ……しゃあねぇか、やっちまったもんは。……しかしアンタ、意外と隅に置けねぇな。職場じゃ黙々と真面目に仕事してるイメージだったけど、裏で“密猟”なんて大それた事してるなんてなぁ。俺様、ビックリだぜ!」
「嘘でしょ……ヨーカー!、あなた、“密猟者”と知り合いなの⁉︎」
心底嬉しそうな、楽しそうな表情を浮かべるヨーカーに、若い女が大きな声で問いただす。
「いやいや、コーネリア。俺も驚いてるんだって。まさか職場の同僚が“ドラセルオードの怪人”だなんて、普通は思わねぇじゃねぇか。こりゃあ間違いなく休業明けの屠畜場はこの話題で持ちきりだろうなぁ。……ああ、楽しみだ、マジで楽しみだなぁ……」
激しい剣幕で食ってかかるコーネリアと呼ばれた女とは対照的に、ヨーカーはニヤニヤしながら答える。そんなヨーカーの態度がコーネリアの神経を逆撫でするのか、彼女の剣幕はますます大きくなっていく。
二人はヒャクリキを放置して何やら揉め始めた。「まさか知り合いだから捕縛できないなんて言わないわよね⁉︎」「執行官にちゃんとウチのチームとは無関係だと説明してよ!聞いてるの⁉︎」などどヒステリックに喚き散らしているコーネリアを、ヨーカーは飄々とした態度でいなしている。
目の前の騒がしいやり取りを表情一つ変えずに見ながら、ヒャクリキは不思議に思う。
(……どうしてコイツらは束になって俺を捕縛しようとしないんだ?)
ヒャクリキはぐるりと自分を囲んでいる冒険者たちを見回す。そしてその中に全身を黒い装備で統一した五人組を見つけると、ピンと気付く。
(そうか、冒険者チームは何チームも大会に参加しているんだったな。他のチームは競争相手でもあるから、コイツら全員が足並みを揃えて行動するわけでは無いという事か……なるほどな……)
その事実に気付くと、そこに微かな希望が見えたような気がして、ヒャクリキはほんの少しだけではあるが、心が軽くなったように感じた。
現金なもので、希望が有ると分かるとそれまでぼうっとしていた彼の脳は、彼を捕縛しようとする冒険者たちからの「逃走」を可能にする有効な方法を見つけようとして、勢いよく回転し始める。
……体はどうだ?
……悪くない。呼吸を整えた事で、少しづつだが力が戻り始めている。
(どうにかして囲みを破るか抜けるかして、とにかく一旦冒険者たちから離れなければ……。しかし先ほどの“戦士”との戦闘でほとんど力を出し尽くした俺とは違い、コイツらはまだまだ余力を残しているように見える。……ダンジョン入り口側に逃げるのはおそらく悪手だ。確実に追いつかれて囲まれるだろう……であれば……)
「だーかーらー!チームにゃ迷惑かけねえって!別にこのマンブ野郎と“仲良しこよし”ってわけじゃねぇんだからよ。なあ、アンタからもウチの心配性のリーダーに、なんか言ってやってくれよ」
コーネリアの追及にうんざりした様子のヨーカーが、ヒャクリキに話を振って来た。
当然ヒャクリキは何も答えない。冒険者たちがすぐさま動かないのであれば、彼らが揉めているのはヒャクリキにとっては好都合だ。せいぜい今のうちに体力を回復させてもらうとしよう、そう考えたヒャクリキは押し黙ったままでいる。
「……ったく。まあ、とにかくそんなわけだから、同僚のよしみって事で大人しく俺たち《エンシェント・ディバウアーズ》のお縄を頂戴してくれや。……あ!でも別に抵抗してくれても、それはそれで全然良いんだぜ。アンタのそのでかい図体、斬ったらどんな感触なんだろうなぁ?」
「な!何言ってんのよ!あんたは‼︎ 生け捕りにするに決まってるでしょう⁉︎ あんたが斬ったら手加減なんかしないから絶対に殺しちゃうじゃない‼︎ 死体の状態で執行官のところへ連れて行ってどうすんのよ‼︎」
また二人が揉め始めた。こんなふうにヒャクリキの目の前で悠長にやり合っていられるのも、それを止める者が居ないのも、大人数でヒャクリキを囲んでいる今の状況に、どこかで冒険者たちが余裕を感じているからだろう。
(生け捕りにする……絶対に殺してしまう……か。……何と言うか…………やはり、面白くは……無いな……)
ヒャクリキは腹の底で黒い塊が小さくチロチロと、ドス黒い炎を上げ始めたのを感じている。
角鬼どもは殲滅した。後はこのまま当然のようにヒャクリキを捕縛して、街に帰還するだけだ。
冒険者たちは何の疑いも無くそう考えているのだろう。
チロチロと上がるドス黒い炎は、少しずつ大きさを増していく。
「いやだってよ、考えてもみてくれよ、コーネリア。コイツはマンブ野郎なんだぜ?しかも“非人窟”の住人ときてる。そんなやつが“密猟”の疑いをかけられるんだぞ。裁判する意味なんて有ると思うか?そんなのやったところで、法務官のクソどもは全員一致で“縛り首”を言い渡すに決まってんじゃねぇか」
「そ、それは確かに……そうでしょうけど…………」
「だったらコイツに抵抗してもらってよ、俺の“刀”の餌食になってもらった方が、まだ何かしらの意味が有るってぇもんじゃねぇか?俺様が楽しむオモチャになってもらった方がよぉ」
ヨーカーのその発言に、ヒャクリキはピクリと反応する。
先ほどからあの二人のやり取りを聞く限りでは、まるで一対一で戦っても、ヨーカーがヒャクリキに後れを取る事など有るはずが無い、とでも言いたげな口ぶりだ。
彼らは先ほどのヒャクリキと“戦士”の戦いをおそらくは見ていたはずで、その上でああいった発言をするという事は、彼らは明らかにヒャクリキよりもヨーカーの方が強いと、そう思っているという事だろう。
(若造どもが……面白く無いぞ…………)
黒い塊から上がるドス黒い炎が、段々と大きくなっていく。
客観的に見れば、冒険者たちがヒャクリキを捕縛するのは赤子の手を捻るくらい容易な事に思えるだろう。何しろ二十名以上居る冒険者に対して、囲まれているヒャクリキは、たった一人なのだから。
そしてヒャクリキは自分が犯罪行為に手を染めている事を重々承知している。この状況において、完全に正義が冒険者たちの側にある事も、理解はしている。
しかし、だからと言って、むざむざと捕縛されるわけにはいかない。
侮られたままで、黙っているわけにはいかない。
状況や正義の在処がどうであれ、ヒャクリキの戦士としての矜持がそれを許さない。
「だから抵抗してくれた方が、お役人様は手間が省けるし、俺様はコイツを斬って楽しめる。誰も損をしねえ、完璧な話じゃねぇか。なぁ?そうだろ?」
「だからそういう問題じゃ……」
まるで自説を曲げないヨーカーに、コーネリアが反論しようとしたその時だった。
大空間内に、いきなり雑音の混じった大きな音が鳴り響く。
『えー、冒険者各位に告ぐ。繰り返す。冒険者各位に告ぐ。聞こえるか?聞こえたら誰でも良い、手を挙げて応えてくれ……』
その大きな音は誰かが話す声だった。
大人の男の、低く重い声が、大空間のどこかから、ところどころ割れるような、耳に突き刺さるような酷い響きで聞こえて来る。
その声は空間内で反響する具合によるものなのか、まるで天から聞こえて来るかのようだ。
ヒャクリキは思わず目を見開いて顔を上げる。
驚いた事に、その声はヒャクリキが聞いた覚えのある……いや、あの時から10年以上たった今でも忘れはしない、あの男の声だった。
『うむ……聞こえているか。良し。……では自己紹介といこう。私はブランドン・エフロイドだ。私を知らない者は、まさか居ないだろうな。……コホン、冒険者諸君、まずは“大攻勢”の撃退、見事だった。そして攻略開始以降、ランキング上位チームの肩書きに恥じない活躍を見せてもらった。それに対して、心からの称賛を送らせてもらう』
その言葉を聞いた途端、ヒャクリキを囲む冒険者たちから「おお……」「マジか……」「本人なのか⁉︎」といった声が、いくつか漏れ出した。
『さて、本題に入ろう。……今大会では“大攻勢”だけでなく数多くの波乱が巻き起こり、結果的には、やむなく全チームを一箇所に集結する事態となってしまった。諸君の中には大会の順位がどうなるのか、疑問に思っている者も少なくないだろう』
冒険者たちはそこに声の主が居るわけでもないのに、やはりヒャクリキと同じように天井を見上げて話を聞いている。
『大会運営は先ほど今大会の決着方法を変更し、決定した。この私、ブランドン・エフロイドがその方法を発表させてもらう。よく聞いてくれ……』
ヒャクリキの奥歯が、ギリっと軋む音を立てる。
『今大会は目標地点への到達は決着には無関係とし、代わりにそこに居る“ドラセルオードの怪人”を制圧したチームをチャンピオンとする事に決定した‼︎ 2位以下の得点の加算、減算については従来通りだ!』
冒険者たちからどよめきが湧き上がる。
彼らの何人かは、ヒャクリキへと視線を移す。
『繰り返す!今大会は“ドラセルオードの怪人”を制圧したチームをチャンピオンとする‼︎ そしてもうひとつ、重要なポイントだ!制圧に際して、“怪人”の生死については一切不問とする‼︎』
冒険者たちのどよめきが大きくなった。
それと同時にヒャクリキの目付きが鋭くなる。
ヒャクリキの眉間のまわりが歪み、深いシワが刻まれる。
『繰り返す!制圧に際して、“怪人”の生死は問わない‼︎ どのような手段を講じてでも、“ドラセルオードの怪人”を制圧するべし‼︎‼︎』
その言葉を聞いた瞬間、ヒャクリキの腹の底に沈んだ黒い塊から、ドス黒い炎が勢い良く噴き出した。