“怪人”を知る者たち、それぞれの思い
レエモンは視線をクリスタルモニターの大画面に釘付けにしたまま、石像になったかのように固まってしまっていた。
(やはり!……やはりアンタだったのか!…………ヒャクリキの旦那‼︎)
画面には“ドラセルオードの怪人”と、それを取り囲む冒険者たちが映っていた。
四分割された画面のうちの二つは、冒険者の視点を通したものだ。そこには“怪人”の姿が大きく映し出されている。
乱暴に脱ぎ捨てられたバシネットの奥からついに現れた“怪人”の素顔。
それは紛れも無くあのヒャクリキの、厳つい、無愛想な仏頂面だった。
(いかんぞマクシアラ!現実から目を背けるな!事ここに至ってはもう、“怪人”の正体がヒャクリキの旦那だったという現実を、認めて受け入れるしか無い‼︎)
嫌な汗がレエモンの顔を伝ってダラダラと流れ落ちていく。
「しかし旦那……どうしてそんな場所に……それも、よりによって最悪のタイミングで……」
レエモンの疑念が、思わず口から漏れ出す。
なぜヒャクリキは“ダンジョンコンクエスト”の、それも最大級のイベントが開催されている期間中に、ダンジョンに潜るような愚行に及んだのだろうか?
確かにヒャクリキの家で「潜る」計画を聞いた時点では、レエモンもそこまで考えが及んでいたわけでは無いのだが。
それでも大会における攻略対象のダンジョンに関しては、大会に興味を持たないレエモンでさえ知っていたような情報なのだ。
まさかヒャクリキは自分が潜ろうとしているダンジョンが、大会の攻略対象になっていた事を知らなかったのだろうか?
レエモンのこれまでのイメージ、ヒャクリキと彼がレエモンに見せてきた仕事に対するイメージ、印象は、「寡黙で気難しいが、他者にはできない仕事をやってのける職人気質の男」というものだった。
そのイメージからすると、画面の中で起きている状況、ヒャクリキが陥っている状況はあまりにも「お粗末」というか、イメージとかけ離れたものと言わざるを得ない。
自分の見込み違いだったのだろうか?自分が勝手に「有能な取引相手」と誤解していただけで、想像以上にヒャクリキは無能で愚鈍だったというだけの話なのだろうか?
しかしレエモンには、やはりどうしてもそうは思えなかった。
(違う‼︎ こんな事を考えている場合では無い‼︎ 肝心なのはこの問題に、俺がどう対処するのかという事だ‼︎)
起きている現実をやはり認めたくない気持ちと、自身が陥っている窮状を打開しなければ、という思いが、レエモンの脳内で葛藤となってぶつかり合う。
想定される最悪の結末。それはヒャクリキが冒険者たちに捕縛され、そこからレエモンと密猟組合にまで、執行官の捜査の手が伸びる事態になる事だ。
取引をしているとは言え、あくまでそれはシビアな商売、そこに有るのはドライな関係性だ。
「刑罰を軽くしてやる」という法務官の甘い言葉の誘惑を前にして、レエモンや組合を守るために口をつぐむような義理や動機は、ヒャクリキのどこにも無いはずだった。
つまりヒャクリキが身柄を拘束されて執行官に引き渡されてしまえば、そこで全てが終わる。そうなってしまえばヒャクリキの自白を未然に防ぐのは不可能だ。
ならばヒャクリキが冒険者たちに捕縛されなければ良い。
しかしそんな考えはナンセンスだ。今の状況においては何の意味も無い。
クリスタルモニターに映し出されている、今まさに問題が発生している現場から遠く離れたこの場所で、現実的にレエモンがヒャクリキを助けるためにできる事など、何一つとして無いからだ。
そうなると、もしこのままヒャクリキが捕縛された場合、その後にどう行動するべきか?
それこそが今、レエモンが考えなければいけない事だった。
(組合の“掃除屋”に話を持ちかけて、執行官に引き渡される前に隙を見て旦那を仕末してしまうか?……ダメだ!時間が足りない。そもそも“掃除屋”が組合の上層部に情報を漏らす事無く個人的に仕事を引き受けてくれるとは思えない。仮に引き受けてくれたとしても、旦那の殺害が成功するかどうかについては不確定要素が多過ぎる‼︎)
レエモンの脳は、最適解を見つけようとして高速回転を続けている。
間違いなくこの場での決断に、組合内での今後の自分の立場と、自身の身の安全がかかっている!
(最悪の想定通りにコトが運んだ場合、俺が取れる最善の行動は、どこか辺境の小国にでも逃げて身を潜める事だけだが…………冗談じゃない‼︎ 密猟組合に入ってから今の地位を手に入れるまで、一体どれだけの時間と労力を投資したと思っているんだ‼︎)
いっそ今からすぐにでも組合に駆け込んで、事情を説明して協力を求めるか?
そんな選択肢もレエモンの脳裏に浮かぶが、そんな組合に尻拭いをしてもらうような、組合に「借り」を作るような真似をすれば、「組合の上層部へと昇り詰めて、それなりの権力と財力を手に入れる」というレエモンの野望は、そこで永久に断たれてしまう事になる。
(ダメだ!上層部の連中相手では、どう上手く言い繕ったとしても、結局は取引相手として旦那を抱えていた俺の責任問題へと、話が転がっていくだろう)
完全に思考の袋小路にレエモンは迷い込んでいた。
彼は思わず頭を抱えて下を向き、脳みそに血が滲みそうなほどに思考を回転させているが、事態を打開する妙案は一向に浮かんでくる気配が無い。
もはやレエモンには周囲に気を回すような余裕さえ無くなっている。
その時だった。
自身の思考に囚われて身動きできなくなっているそんなレエモンに、まるで雷が落ちるかのように衝撃的な言葉が飛んで来た。
「レエモン……あなた、もしかして…………あの“怪人”を、知っているの⁉︎」
いきなり聞こえて来た“お嬢様”の言葉に、レエモンは下げていた頭を反射的に跳ね上げる。
(しまった‼︎ 思わず考えている事を、口に出してしまっていたのか⁉︎)
レエモンはそこでようやく、自分が致命的なミスを犯してしまった事に気付く。
恐る恐る“お嬢様”の方を向くと、彼女の顔には抑えきれない驚きと興奮がそのまま形を持ったような、狂気的な笑顔が浮かんでいた。
その歪に歪んだ笑顔はまるでキラキラと怪しく輝いているようであり、笑顔の中心に光る両目は大きく見開かれている。
“お嬢様”の翡翠色の瞳は瞳孔が開いた状態で爛々と輝き、まるで肉食獣が獲物を前にした時のような雰囲気を漂わせていた。
レエモンは即座にヒャクリキとの関係性を否定するべきだった。しかし“お嬢様”の狂気的で歪な笑顔に睨まれた、思考が混濁している今のレエモンでは、残念ながら否定する事ができなかった。
「やっぱり‼︎ あの“怪人”が何者なのか、あなたは知っているのね⁉︎ ……嗚呼!信じられない‼︎ こんな偶然って有る⁉︎ 私はなんて幸運なのかしら‼︎⁉︎」
“お嬢様”はレエモンの反応から、自身の推測に対する絶対的な確信を得たらしい。ヒャクリキがレエモンの知己であると、完璧に見抜いているようだ。
レエモンの耳に、更にはこめかみと首筋のあたりに、どこからか「サーーーーッ」という、板の上で細かい砂を流すような音が聞こえて来る。
それは「蛇に睨まれて絶体絶命に陥った蛙」のようなレエモンの、いわゆる「血の気が引いて行く音」だった。
「う、嘘……嘘よ……そんな、そんな事って…………そんな事が、本当に有り得るの?……」
マーテルの体はカタカタと震えている。
彼女の足からは力が抜けて、床にペタリと膝をついてしまっていた。
目の前を横切っている観覧席の手すり、それ越しに見える、クリスタルモニターに映し出された“怪人”を、“怪人”の顔を、彼女はじっと見つめている。
「ヒャクリキ……やっぱり……やっぱり“怪人”は、“怪人”の正体は……貴方だったのね!ヒャクリキ‼︎」
間違い無い。あの顔は、決して他人の空似などでは無い。
そこに在るのはマーテルの記憶の中に埋もれていたヒャクリキの、いつもムスッとした表情を貼り付けた、あの仏頂面だった。
あの頃から比べると少しだけ痩せたようにも見えるし、老けてもいる。
10年ほどは経過しているのだから当然ではあるが、その顔にはかつては無かったシワが刻まれており、顔全体も、ゴツゴツと骨張った感じがより強くなっていた。
だがマーテルは、あれは間違い無くヒャクリキだと、絶対の自信を持って断言する事ができる。
画面を越えてこちら側を睨みつけているあの頃と変わらない目付き、あの眼差し。
何よりその顔、表情を覆う、あのギラギラとした意志の力、その熱量は、あの頃のヒャクリキそのままで、何一つとして変わっていなかった。
今のマーテルの心の中にはさまざまな感情が入り乱れ、ごちゃ混ぜとも言えるような状態になって、ぐるぐると掻き混ぜられている。
あの男を助けられなかった己の無力さに対する憤り、そして罪悪感。
奴隷出身という、似たような境遇に置かれた過去を持つ者への共感、微かに滲む親近感。
10年以上の時を経て、こうして再び会えた事への驚きと喜び。
人智を超えた「奇跡」とも言うべき事象に、彼女は今、立ち会っていた。
しかしながら、あの男は今まさに「密猟者」という呼称の犯罪者として誰からも認知され、絶体絶命の窮地に立たされている。
このままではヒャクリキは冒険者たちにあえなく捕縛され、執行官に突き出され、無機質で温もりなどカケラも無い「法」の光に照らされた挙句、凄惨な厳罰に処されてしまう事だろう。
先行する“怪人”としてのイメージだけでなく、そこから更に“裁きの場”でヒャクリキの出自が判明してしまう事にもなれば、法務官に与える心証や彼らの差別意識からもたらされるマイナスイメージによって、「極刑」を科される可能性すら充分に有ると言えた。
マーテルはクリスタルモニターの画面から、やはり目を離せないまま思う。
ヒャクリキの心中には、果たして今、どんな思いが渦巻いているのだろうか?
「ヒャクリキ……逃げて…………お願いだから、逃げて頂戴……。二度も私の目の前で……あの時みたいな、悲しい姿にはならないで…………どうかお願い、お願いだから…………」
絞り出すような、悲痛な願いを込めた声と言葉が、マーテルの口から溢れる。
それと同調するかのように、マーテルの目からも、大粒の涙が零れ落ちた。
ブランドンは彼のこれまでの経験を持ってしても到底理解する事が不可能な、受け入れる事が不可能な現実に戦慄していた。
彼が鋭い視線で睨みつけているクリスタルモニターの中には、忘れもしない、あの「キュルケゴルダ迷宮」で命を散らしたはずの、あの男の粗野な仏頂面が映し出されている。
有り得ない。
あの男が生きているはずが無い。
「キュルケゴルダ迷宮」という最難関ダンジョンの「ダンジョン・コア」を、ブランドンたち《ドラゴン・ベイン》は見事に制圧した。
コアの機能を停止させた後、コアが存在した場所から更に奥へと誘い込むように続いていた通路をブランドンが下した決断に従って進むと、そこには未だその機能を維持する、古びた巨大な昇降機が設置された空間があった。
その昇降機を使う事で、《ドラゴン・ベイン》のメンバーたちは呆気無いと言って良いほど無事に、まるで潜る行程の苛烈さが何かの冗談だったかのように、さして苦労もせずに地上に戻る事ができたのだった。
ただ、カースドラゴンに捕食されてしまった弓手のガースと、壮絶な戦闘の末に「呪い」と推察されるあの黒い液体を浴びて動かなくなったヒャクリキ。
その二人を除いてではあるが……。
つまり《ドラゴン・ベイン》は潜った時の道筋を、再び逆に辿って地上に戻ったわけでは無い。
だから動かなくなったヒャクリキがあの後どうなったか、その目で確かめたわけでも無い。
しかしどれだけ頭を捻ってどんな可能性を想像しても、あの状態のヒャクリキが生きて地上に戻るなどとは考え難い。
有り得ない。
どう考えても、そんな事は不可能だ。
あの黒い液体を左足の足首に、ほんの少量浴びただけの罠師のリョーカでさえ、足首から先はまるで石に変わったかのように動かなくなり、まともに歩く事さえままならなくなったのだ。
ヒャクリキは凶悪な効果を発揮したその黒い液体を、間違い無くその全身に浴びていた。そんな状態から復活できるなどとは考えられない。
よしんば何らかの奇跡が起きてヒャクリキが復活したところで、あの場所は凶悪な脅威生物が多数ひしめく最難関ダンジョンの最深部なのだ。
まともな物資も、明かりさえも持たない瀕死の男が、一体どうやってあそこから地上に、五体満足で戻ると言うのだろうか?
やはりどう考えても有り得ない。そんな事は不可能だ。
目の前の画面の中で起きている現実を、ブランドンはどうしても受け入れる事ができないでいる。
(他に考えられる可能性は……画面の中の“怪人”は、あの男の血縁、兄弟か何かで……だからあの男に瓜二つ、とかか?…………いや、違う。それは違う……)
そう、そんなわけが無い事を、ブランドンはその研ぎ澄まされた本能でも感じていた。
画面の中の“怪人”がまとう雰囲気、その野獣のようなオーラは、紛れもなく記憶の中であの男が発しているそれと、完全に一致しているのだ。
認める事はできない、受け入れる事もできないが、画面の中の“怪人”があの男、ヒャクリキであるのは間違い無い事実だという事を、ブランドンは理解していた。
(‼︎‼︎‼︎)
瞬間、ブランドンの脳裏に、ある考えが稲妻のように駆け巡る。
あの男は知っている!
あの時、「キュルケゴルダ迷宮」の最深部で、一体何が有ったのかを。
そう、あの男は知り過ぎている。あの頃の、《ドラゴン・ベイン》の実像を。
現在、大衆に広く認知され、疑う余地も無く信じられている「伝説」ではなく、
かつて存在した、「現実」としての《ドラゴン・ベイン》を、
あの男は知っている‼︎
《ドラゴン・ベイン》というチームが、冒険者組合のルール、規約に違反して、ただの“従者”であるヒャクリキをダンジョンの探索だけに留まらず、脅威生物や無法者との戦闘にまで駆り出していたという事実を。
「キュルケゴルダ迷宮」の最深部で、動けなくなったヒャクリキを「トカゲの尻尾切り」とばかりに冷徹に切り捨てた、ブランドン自身の決断を。
そして何より、《ドラゴン・ベイン》というチームの「伝説」と、その「名誉」を揺るぎない不動のものにしている、あの「カースドラゴン討伐」に関する真実を!
あの男は知っている……。
ブランドンの耳に、これまで彼が築き上げてきた「栄光」が、ガラガラと足元から崩れ始めていく音が聞こえて来る。
冒険者たちは組合の規則に則って、“密猟者”と思しきヒャクリキを捕縛しようとするだろう。
もし冒険者たちが首尾よくあの男を生きたまま捕縛した場合、一体どうなるだろうか?
その先には一体、どんな未来が待っているだろうか?
執行官の前に突き出され、裁かれるという現実に直面した時、あの男はあの仏頂面を保ったまま、口をつぐんだままでいるだろうか?
いや、そんな事は無いだろう。
おそらく自身の身に降りかかった不幸を呪い、あの男を取り巻く世界の全てを恨むはずだ。
そうなればその恨みに任せて、あの男の口からどんな言葉が飛び出すか分からない。
絞首台に引き立てられ、その首に縄をかけられる時、その最期の時までにあの口から一体どんな言葉が飛び出すか、分かったものでは無い!
もしあの男が「あの世への、行き掛けの駄賃」とばかりに、有る事無い事周囲に喚き散らしたとしたら……
もしその喚き散らされる言葉の中に、《ドラゴン・ベイン》の栄光と名誉を毀損するようなものが含まれていたとしたら……
この街において、いや、この国において、《ドラゴン・ベイン》の伝説と人気は今や不動のものと言って良い。
しかし、だからと言ってこの国の全ての人間が、心に何の引っ掛かりも無く、手放しで《ドラゴン・ベイン》とブランドンを称賛しているわけではない。
上流階級の世界に迎え入れられて初めて分かった事だが、貴族たちの中には自分たちの領域にズカズカと踏み込んできた“成り上がり者”であるブランドンを、快く思わない者も少なくないようだった。
もし《ドラゴン・ベイン》の実像がヒャクリキの口から露見してしまえば、反感を持つ者たちはそれを格好の材料として、ブランドンを攻撃してくる事だろう。
更なる栄達を目指すブランドンにとって、それは致命的な攻撃になる。
上流階級の仲間入りを、ブランドンは見事果たした。
この後は貴族の令嬢を娶る事でその家の力という後ろ盾を得て、それを土台に遥かな高みへと、更なる飛躍を目指す。
そんなブランドンの野望が、こんなつまらない事によって、儚く露と消えてしまう事になる‼︎
そんな未来を、決して認めるわけにはいかない。
「……カーモーフ会長、少し、よろしいですか?」
ブランドンは近くに居るカーモーフ卿へ声を掛ける。
彼は狼狽の色を滲ませた、何とも頼りない表情でブランドンの方を向いた。
この大会の最高責任者である彼だが、次々と巻き起こる波乱、トドメとばかりに起きた“怪人”の登場によって、もはやここからどうするべきなのか、その判断能力を失っているようだった。
(しかし、これは自分の意向を押し通すチャンスだ!)
鋭い眼光をその目に宿したまま、ブランドンはそう考える。
ブランドンはカーモーフ卿の弱っている心につけ込むように、気魄を乗せた声で口を開く。
「大会の決着方法に関して、私から一つ提案させて頂きたいのですが……」
強い意志と力が込められた声でそう言ったブランドンを、彼の背後から、マンチェットの油断の無い光を湛えた目が見つめていた。




