美と凶
“ドラセルオードの怪人”出現のインパクトに、見ている者たちが目を奪われているその陰で、美戦士リリアーネもまた、活躍を続けていた。
“怪人”に対処するため、戦力をそちらに割かざるを得なくなった角鬼たちの包囲は、“怪人”登場以前に比べると、かなり薄弱なものへと変化している。
その変化を好機ととらえた彼女は「ここが決戦の正念場」とばかりに持てる力を振り絞って戦っていた。
彼女は《フーリガンズ・ストライク》の代名詞とも言える連携攻撃の起点、中継点、決着点へとその役割を柔軟に変化させながら、視界に入った角鬼を次から次へと仕留めていく。
彼女は戦う姿も、これまた美しい。
その戦いぶりには、“美戦士”の通り名そのままの彼女の容貌と並べたとしても、それに劣らないほどに見る者を惹きつけるに違いない、ある種の「美しさ」が備わっていた。
時折見せる脅威的な瞬発力、攻撃のタイミングの緩急、連携のリズムに溶け込む自然さ、そして合理的で無駄の無い体捌き。
それらがまとまった一連の動き、その流れは、まるで一流の楽団が奏でる名曲の旋律のようだ。
計算され尽くしたような規則性を維持しながらも、同時に自由な伸びやかさや拡がりを感じ取る事もできる。
彼女の動きそのものが、その曲のメロディラインを構成しているかのようであり、またそれぞれの楽器が奏でる音が持つ響きのようでもあった。
槍の穂先が空を切る音、ブリガンダインに取り付けられた金属板同士が擦れ合う音、履いているブーツの踵が地面を叩く音、戦闘服の衣擦れ音。
そういった音の一つ一つが、彼女の流麗な動きと組み合わさって、見事な調和を保っている。
気付けば《フーリガンズ・ストライク》を囲んでいた角鬼たちは、みるみるうちにその数を減らしていき、すでに包囲とは呼べないほど寂しい有り様になっていた。
元は人間が装備していたプレートアーマーの一部だと思われる、薄い金属板を元に手を加えたと思われるお手製の鎧と、簡易な作りの兜を身に着けた角鬼。
その小さな体を覆っている金属製の装備の隙間を、リリアーネの槍の穂先が正確に貫く。
自らを犠牲にしてでも敵の攻撃能力を封じようとしたのか、角鬼は潰れたような悲鳴を上げながら、シワだらけの喉笛を貫く槍の柄を両手で掴もうとするが、リリアーネはそれよりも速く、穂先を回転させながら無駄の無い動作で槍を引き抜いた。
柄の太さを超えない幅の、先端に向けて細くなっていく穂先は、突き立てた角鬼の喉と、柄を掴もうとした掌を抉りながら、するりと滑るように抜けていった。
その瞬間、リリアーネは自身の右横、やや後方に大きな気配が迫っているのを感じ取る。
彼女は気配がした方向を視認する事も無く、感覚が命じるまま咄嗟に反対方向へ跳躍するとその体を前転させ、左前方に転身。
その瞬間、一瞬前まで彼女が居た場所を、大きなノコギリのような形状の武器の先端が、途轍もないスピードで通り過ぎていった。
「……体が大きいから、感知しやすくて助かるなぁ。残念だったね」
立ち上がりつつ体を反転して振り向きながら、リリアーネは“戦士”に向かってそう言った。そして油断無く槍の穂先を向けて構える。
そんなリリアーネの言葉を理解できるはずもなく、“戦士”は続けて彼女に襲いかかって来た。
大きな、しかし素早い動作で武器を振りかぶっては、次々と体重を乗せた一撃を打ち込んで来る。
脅威的な速さで大きな弧を描いて飛んで来る武器の先端。
その武器自体の、そもそもの大きさ。その単純な視覚的脅威。
並の戦士や冒険者では見ただけで足が竦んでしまいそうなその一撃を、しかしリリアーネは機敏な動作で、次々と難無く躱していく。
「装備が違うのはやっぱり精鋭だから、なのかな。なかなかに鋭い、良い振りだね。まあ、ボクには当てられないようだけど。それに……」
当たれば間違いなく致命傷を負うであろう攻撃の連続に曝されながらも、リリアーネの口調や声に、恐怖や焦りの色は微塵も見られない。
彼女の表情からも、見て取れるのは「余裕」そのもので、落ち着いた口調で話す口元には微かな笑みすらも浮かんでいる。
「気付いてないみたいだけど、ホラ……。キミ、いつの間にか、まんまと“死地”に足を踏み入れてるよ」
リリアーネの視界には“戦士”を挟んでその左右の後方に立っているダイソンと、もう一人のチームメンバーが写っている。
攻撃を容易く躱し続けるリリアーネをムキになって攻撃し続けていた“戦士”は、いつの間にか“三角包囲”の中心に誘導され、その身を囚われていたのだった。
「あの“怪人”が雑魚を引き付けてくれたおかげで“三角包囲”をかけやすくなったよ。一時はどうなる事かと思ったけど、キミたち“戦士”を潰してしまえば、そこで勝敗は決したようなもんだよね」
リリアーネが話し終わるのを待つ事なく、小さくステップを踏んでいたダイソンが不意打ち気味に攻撃を開始する。
“戦士”は身を捩ってその攻撃、突き出された槍の穂先を間一髪で躱す。……が、無情にも続く二撃目が、その腹を真後ろから貫いた。
正中線に近い箇所を貫かれた“戦士”の動きが止まる。
それと同時にリリアーネの繰り出す槍の穂先が、“戦士”の頭部、その眼窩に、吸い込まれるようにして突き立った。
リリアーネは槍を突き立てる勢いそのままに穂先の先端を“戦士”の頭部に向けて押し込みながら、その両手を柄にかけたまま滑らせて握りの幅を広く取る。
「いぃぃ!!やあああぁぁぁぁ‼︎‼︎」
さらに気魄の篭もった掛け声を発しつつ、穂先が突き立った箇所を支点にして、槍の石突で円を描くようにしながら柄を大きく動かした。
まるで“戦士”の眼窩から突き入れた槍の穂先で、その頭蓋の中身を掻き回すかのような動きだ。
「ギョえアラらrrるアァァぁぁぁ‼︎‼︎」
“戦士”は身悶えしながら、その苦痛を充分過ぎるほどに表現する大きな悲鳴を上げた後、その場に膝から崩れ落ちた。
「“終わりを告げる三角形”に囚われたなら、待っているのは“死”だけさ。逃れる事はできないよ。……もっとも、ボクはたとえ1対1のままでも、後れを取るつもりはこれっぽっちもないけどね」
そう言いながらリリアーネが引き抜く槍の穂先に頭から引っ張られるように、“戦士”の上体は地面に倒れて突っ伏した。
力無く地面に横たわるその巨体はピクリとも動かない。頭蓋の中身が混じった赤い血が、ドロリと“戦士”の眼窩から溢れ出ている。
《フーリガンズ・ストライク》を囲んでいた角鬼たちはそれを見ると1体、また1体と、背中を見せて逃げ始めた。どうやら完全に戦意喪失したようだった。
「精鋭の“戦士”と言えども、やはり連携攻撃に持ち込みさえすれば、どうという事は無いな。しかし……」
槍の穂先に付着した血糊を粗布で拭いながらそう呟くダイソンの視線は、もう“戦士”には向けられていない。
「ありゃあ、一体ナニモンなんだ?ダンジョンの奥側から出てきたが……やっぱり人間、なんだよな?」
チームメンバーの一人が続けて言う。ダイソンや彼だけでなく、メンバーの皆が見ているのは、あの“怪人”だった。
「武技や武術を習得しているようには、どうやら見えないな……。となるとあれは我流か、もしくは雑兵戦法と言ったところか。それにしても……凄まじい。凄まじいまでの馬鹿力だぞ、あれは」
他のメンバーが“怪人”の戦いぶりを見て、そこから分析できる推測を述べる。
「“剛撃”、とでも呼べば良いのか?あれは。一撃の破壊力が異常だな。殴られた角鬼どもがゴミのように吹き飛んでいく。しかもその一撃の回転が、早いこと早いこと…………なあ、あれではまるで、“竜巻吹雪”のようじゃないか?」
ダイソンは彼らの祖国だったダイコーン帝国内でよく観測される、脅威的な自然災害に例えて“怪人”の戦いぶりを評した。
「あの攻撃の勢いだと、角鬼どもお得意の“まとわりつき”も簡単にはできないね。っと!いよいよ見かねて角鬼の精鋭たちと、“戦士”が包囲に加わったよ‼︎ 果たしてあの“怪人”は、今までと同じように対処できるのかな?」
リリアーネの声はやや弾んでいる。まるで放映会場の観客たちのような口ぶりだ。
大空間内の戦況はまたしても逆転し、あちこちで息を吹き返した冒険者たちの反撃が角鬼を蹂躙している。
明らかに冒険者側の勝利の色に染められた空気感が、大空間内に拡がり始めていた。
そんな空気の中、《フーリガンズ・ストライク》の面々もまた、一仕事終えた後の安堵感と達成感、そして高揚感に包まれているようだ。
「そうだな、お手並拝見と行こうか。……見せてもらうとしよう、“ドラセルオードの怪人”とやらの、その実力のほどを」
離れた場所で繰り広げられる戦闘を視界に収めたまま、ダイソンは楽しげな声色でそう言った。
何かが爆発するかのような派手な音を立てて、ボードゥアンが構えるカイトシールドが“戦士”の巨体を吹き飛ばす。
「カウンターシールドバッシュ」で後ろに弾き飛ばされた“戦士”は、しかし尻餅をついたりする事はなく、たたらを踏んでニ、三歩よろけながらもなんとか2本の脚で踏み留まった。
だが、シュベルツはその隙を見逃さない。腰にためて構えた槍を、低い姿勢から勢いよく突き出す。
“豪槍”の二つ名に相応しい、激しく鋭いひと突きは、“戦士”の太腿を勢いよく貫いた。
“戦士”は堪らず手にした鉈のような大きな武器を振って、木製の槍の柄を斬り払おうとするが、それよりも一瞬早く、シュベルツは槍を引き抜いて後ろに飛び退る。
そこへ飛び出す一つの影。
「ちぃえぇぇぇぇすとぉぉぉぉぉ‼︎‼︎‼︎」
ヨーカーは武器を体の外側に振り払った事でガラ空きになった“戦士”の懐に飛び込むと、奇声を発しながら袈裟斬りに“刀”を振り下ろした。
白刃がキラリと光を放ちながら“戦士”の体を直線で通り抜ける。
その途端、“戦士”の大きな体、その動きがピタリと止まる。
ヨーカーが振り抜いた“刀”の切っ先を体の後ろに引いて残心の構えを取ると、その瞬間から一拍置いて、“戦士”の体から真っ赤な鮮血が噴き出した。
大きな体に、斜め一直線に引かれた線。
そこからぶしゅう、ぶしゅう、と心臓が拍動するリズムで、とめどなく赤い血が噴き出して来る。
ヨーカーは残心の構えを取ったまま、“戦士”の体から噴き出る返り血を避けることもなく、降りかかるままにその全身に浴びている。
次の動作に移る様子を見せないその体は微かに、ブルブルと震えているようだ。
“戦士”は反撃しようとしたのか、武器を持ち上げようとするかのような動きを見せる。が、ヨーカーの“刀”に切られた傷は、どうやら致命傷だったようで、次の瞬間、その大きな体から力が抜けていくようにして仰向けにどう、と大きな音を立てて倒れると、そのまま動かなくなった。
「よっしゃ!仕留めたぜ‼︎ ……勝ったな!このデカいのさえ片付けちまえば、あとは雑魚ばっかりだ……って、ん?」
シュベルツは高らかに勝利宣言しようとするが、すぐに目の前のヨーカーの様子がおかしい事に気付く。
ヨーカーは“戦士”が明らかに継戦能力を失い、息絶えたのが丸分かりの状況であるにも関わらず、残心の構えのまま固まり、身じろぎもしない。
「おい、どうしたんだよ、固まっちまって……デカいのの攻撃なんて、お前は一発も貰ってねえだろうが?」
そう言いながらヨーカーに近付いて、その震える肩を掴んだ瞬間。
「あっはぁ……あああぁぁ。……き、気ン持ち良いぃィィ〜〜〜」
蕩けるようなだらしのない声が、仮面の奥から聞こえて来た。
(うわ、出たよ……)
その声を聞いたシュベルツは、思わず顔を顰めてしまう。
これは戦闘に酔ったヨーカーが時折見せる、醜態と言うか痴態と言うべきか……とにかく他人の目に触れさせる事は、あまり歓迎されないと言って良い状態だ。
その言葉の通り、ヨーカーが何かしらの快感のただ中に身を置いているのが、その様子からも、その漏れ出て来るかのような声からも良く分かる。
ヨーカーは常々彼自身が言っている通り、「斬る」という行為に異常なまでの執着を見せていた。
彼が冒険者稼業に身を置いているのは、生きて動いている脅威生物を、誰に咎められる事も無く「斬る」事ができるから、に違い無い。
本人は事あるごとに「決して“殺し”を楽しんでいるわけではない」とも主張するが、それもおそらく嘘ではないのだろう。
ヨーカーは今まさに“戦士”を斬った時の感触、その手の中に残った感触の余韻に浸りながら、シュベルツには理解できない種類の快感に、その身を包まれているらしい。
普通の感覚の持ち主なら、今のヨーカーの様子を見れば「気持ち悪い」とか「悍ましい」といった感情が湧いて来るのはごく自然な事だ、とシュベルツは思うのだった。
(そりゃあ、こんなのを間近で何度も見せられちまうと、コーネリアがコイツを便所虫の如く嫌うのも、まあ、理解できるというか、仕方の無い事だとは思えて来るよなぁ……)
そんな事を考えながら、シュベルツはコーネリアの方へ目を向ける。
彼女は逃げていく角鬼たちの背に向かって、「魔素の霰弾」を撃ちこんでいるところだった。
コーネリアがヨーカーが居る方向を向いていない事を確認したシュベルツは、心の中でホッと胸を撫で下ろす。
そして同時に自分たちを囲んでいた角鬼の姿が消えている事に気付くと、槍を構える腕に込めている力を抜いていく。
シュベルツの視界の中で、ボードゥアンやミントが武器の構えを解き、アンネが背負っていた背嚢を地面に下ろすのが見えた。
「何と言うか、最後は呆気なかったわね。まあ、勝ったから良かったけど……」
ミントは大きく一つため息を吐くと、深い安堵の色を湛えた表情でそう言った。
「そうだな、我々、冒険者の勝利だ。波乱に次ぐ波乱、逆転に次ぐ逆転の連続だったが……角鬼の増援が現れる様子も無い。まあ、これで決着と言って良いだろう」
ボードゥアンがいつもの、落ち着いた口調で応える。彼は兜とコイフを脱いで、短く刈り込んだ頭髪をガントレットを嵌めた指先で撫でていた。
「まあ、あそこではまだ戦闘が続いているけどね。……とは言え、どちらが勝っても私たちにとっては同じ事でしょう?」
アンネは背嚢の中を漁りながらも、その目はまるで違う場所を見ている。
その視線の先では例の“怪人”が、10数体の角鬼に囲まれながら未だ戦闘を続けていた。
「やっぱり“密猟者”なのか?あの大男は。……それにしても、よくもまあ、一人であの数を相手にできるもんだよな」
シュベルツも戦闘の様子を眺めながら、感心するかのように言う。
見れば角鬼たちには“戦士”も混じっている。“怪人”は四方八方から襲い掛かる角鬼たちの間を、七転八倒と言った調子で動き回りながら奮戦していた。
「動きに疲れが見えるな。あれが“密猟者”だとするなら、俺たちは捕縛して連れ帰らないといけないわけだが……もしそうなったとしても、あれならさほど骨の折れる仕事にはならないだろう」
ボードゥアンは冷静に“怪人”の戦いぶりを観察している。
確かにボードゥアンの言う通り、シュベルツの目から見ても“怪人”が時折見せる、もつれるような足運びや、大きくぐらつく体幹には、その隠せない疲労が表れていた。
「みんな、今のうちに疲労回復用の水薬を飲んでおいて。角鬼側が勝ったら休む暇も与えず殲滅するわ。もし“怪人”の方が生き残ったら、その時はどのチームよりも先に私たちが捕縛するのよ。アンネ、今は惜しまないで、残っている水薬を全部出しなさい」
いつの間にかメンバーたちに混じっていたコーネリアが、やはり“怪人”の方を見つめたまま、緊張感を保った声でそう言った。