主催者たちの集い
正午を回った昼下がり、会議は昼休憩を挟んで後半に入っていた。
市庁舎の会議室、その漆喰の壁はパイプや葉巻の煙で黄ばんでいる。
壁に嵌まっているガラスの窓からは、ドラセルオードの街を覆ったどんよりと曇りがちな空が見えている。
午前中に終了する予定だった会議は想定を超えて時間が伸びていき、ついには午後に食い込んでしまっていた。
正午で切り上げて続きは改めて別の日に、というわけにはいかなかった。会議の内容が、一週間後に開催が迫った《ドラセルオード・チャンピオンシップ》についてのものだったからだ。
現在抱えている議題は今日中に片付けなければならない。
冒険者組合の業務主任、マンチェット・トリダーは手元の資料に目を通しながら、両隣に座る会議の参加者に聞こえないように、音を立てない小さなため息をついた。
マンチェットだけでなく、ほとんどの会議の参加者の顔に疲れの色が見て取れる。もうしばらくしたら居眠りを始める者も出てくるだろう。
自分が居眠りをする側になるのが怖くて、マンチェットは昼食を取っていない。代わりに先ほどから細巻きタバコをふかして空腹を誤魔化している。
街をあげての一大イベントとはいえ、情報の共有や統制、準備の進捗の確認や調整など、イベントを主催、運営する委員会が抱えた業務は膨大なものだった。
それらに関する様々な事柄について、この会議のメンバーである彼らが決断、決定していかない事には物事が前に進んでいかない。
毎年の恒例ではあるが、余裕を持って準備期間を取ったはずが、なぜか準備はいつもギリギリになるのであった。
「各会場の設営、クリスタルモニターなどの放映機材の設置は開催二日前までには完了する目処が立ちました。魔導協会の技術者とも緊密に連絡を取り合っておりますが、中枢魔導脳の魔素集積回路の稼働は良好との事でしたので、機材の設置が終了次第、連携して動作チェックを行う予定です」
設備班の担当者からの報告を受けて、何人かの委員が「おお、間に合ったか」「良かった、なんとかなったな」などと、安心したような声を上げた。
「会場に出店する組合もそれぞれがすでに準備に入っている。今のところ問題は発生していない。これでハコの方は形になりそうだな。では中身の話に移ろうか」
委員会の会長であり、メインの出資者でもある「ドラセルオード・レポート」社長のカーモーフ卿の言葉を聞いて、マンチェットはいよいよ自分の番かと緊張が高まるのを感じた。吸っていた細巻きタバコの火を灰皿でもみ消す。
「まずは出場チームについてだが、リストに載っている出場チームのメンバーたちに何か問題が起きていたりはしないか?」
「えー、担当者である冒険者組合主任トリダー殿、報告をお願いします」
カーモーフ会長の言葉を受けて、会議の進行役がマンチェットを指名する。
「はい、ご報告させていただきます。出場予定の12チーム、その全てからの日報に逐一目を通し、特に問題が発生していない事を確認しております。ただ……その内の3チームから、出場報酬をいくらか前払いしてもらえないかとの相談が来ておりまして……」
マンチェットは少し口ごもる。
「前払い?そんなに余裕が無いチームが出場するのか?それも3チームも?」
疑問を口にしたのはドラセルオード市長のチェイミー卿だ。
「理由といたしましては、3チームともが装備の新調および備品購入代金の支払いに充てたいというものでした。各チームが希望している金額を資料に載せているので、出資者の皆様に妥当かどうかのご判断を仰ぎたいと思います」
マンチェットは出資者が固まって座っている席を見ながら報告した。
理由を聞いた委員や出資者たちは次々と「ああ、なるほど」「そういう事か」と納得する様子を見せる。
「まあ、彼らにしてみれば、一年間の集大成ですからね。万全の態勢で臨みたいのでしょう。私としては出資者の皆様には、どうか寛大なご判断をお願いしたいところではあります」
会議のテーブルを挟んでマンチェットの斜め向かいに座っている男が発言する。
年齢は四十あたりだろうか、他の会議の参加者の多くが美食に慣れきっているであろうと思われる、でっぷりと太った体型をしているのと対照的に、この男の見た目からは、かつてその肉体を研ぎ澄ませていた頃の名残りがありありと感じられる。
顔つきも精悍そのもので、その鋭い目つきで睨まれようものなら、大抵の者は縮みあがってしまう事間違い無しだろう。
その声の響きからは男の自分に対する確かな自信を感じ取れる。
男の所作には「勝ち抜いてきた者」、言い換えるなら「強者」のみが持つ特有のオーラがあり、それはこの男が只者ではないことを示していた。
そう、この男こそがドラセルオードの街が誇る「英雄」。
数多の難関ダンジョンを攻略し、隣国にまでその名を轟かせた冒険者チーム、《ドラゴン・ベイン》のリーダーだった男、ブランドン・“ハーケン”・エフロイドその人である。
この国の冒険者ならその名を知らない者など居ない。冒険者稼業に関わる者にとって彼はまさに「生ける伝説」と言って差し支えない人物なのだ。
彼の最大の偉業「キュルケゴルダ迷宮の攻略」は物語になり出版され、かなり多くの人に読まれている。
街の英雄であり、名士であり、貴族たちの社交界に顔を出す事さえ許されている彼を、このイベントのオブザーバーとして迎えない理由など何一つとして無かった。
「そうですな、装備の新調をイベントへ向けての投資と考えれば、別段問題は無いのではないでしょうか。ボロをまとってクリスタルモニターに映られてはこちらとしても困りますしな」
出資者の一人が事もなげに言う。どうやらこの件はあっさり片付きそうだと、マンチェットは少しだけ楽になる。
「では次はダンジョンについてだな。思わぬアクシデントがあって発表が遅れているわけだが、そちらはどうなっている?」
ついにこの件が来た、マンチェットの緊張が一気に高まる。
マンチェットは勢いよく椅子から立ち上がり、テーブルに額を打ちつけんばかりに深々と頭を下げた。
「はい、今回のイベントで攻略予定のダンジョンで起きた事故の件につきましては、まずこの場の皆様に、我々冒険者組合の管理、監督が不行き届きであった事をお詫びさせていただきます。まことに申し訳ありませんでした」
マンチェットはこの件について、可能な限り組合の評判を落とさないように立ち回れと、組合長から厳命されている。
「新規のダンジョンを発見した場合、組合に報告する義務がある。そのルールを無視した跳ねっ返りがダンジョン内で全滅していたという報告だったが、発表前に情報が漏洩していたなんて事はないのだろうね?」
委員の一人が痛いところを突いてくる。
「情報の漏洩に関しては今のところそれらしい報告は上がってきておりません」
神妙な表情でマンチェットは答える。そう答えるしかない。
「もう少し早く発表しても良かったのかも知れんな。我々はそのダンジョンの存在をとっくに把握していたが、そのチームは新規のダンジョンだと思い込み、功を焦って自滅したというわけだ。今回のイベントの舞台だとも知らずにな」
カーモーフ会長のその言葉を聞く限り、どうやら委員会上層部は今回の件に関して組合が恐れているほどには悪い印象を持っていないようだ。
マンチェットは心の中で、ホッと小さく安堵のため息を吐く。
「今日の夜には発表いたします。発表では事故の件は伏せてよろしいのですよね?」
広報班の女性の担当者がダンジョン情報の発表について、了承を求める。その時だった。
「はぁい。恐れながらワタクシぃ、提案があるのですがぁん」
企画部長のルナルドが手を挙げる。オカマのような気持ちの悪い言葉遣いで話す小太りの中年男だ。
その話し方と見た目からは想像もできないが、彼はこの街の経済界に大きな存在感と影響力を持つ「ルナルド商会」の代表で、去年からこのイベントの企画部長を務めている。
「ええっとぉ、ワタクシはむしろその事実を宣伝に利用するべきだと思うのぉ。そうすれば観客の皆さんの心をぉ、一発でガッチリ掴めると思うのよねぇ」
会議室の中にざわめきが起こる。
マンチェットはルナルドが何を言っているのか、まるで理解できなかった。