陣地崩壊
金属製の装備に身を包んだ角鬼の集団が現れてからいくらも経たないうちに、冒険者側には戦闘不能になって戦線を離脱する者が出た。
新手の角鬼の集団、そのうちの1体が手にしたクロスボウから放たれた凶弾が、一人の冒険者の胸部に深々と突き立つ。
「げぇっっ‼︎‼︎」
いきなり短く呻いて尻餅をついたのは、冒険者チーム《ホムンクルス・ギミック》の魔術師の一人だ。
魔術師はそのまま苦しそうな呻き声を上げながら、自身の胸に突き立った何かの生物の骨らしき物体を、触るのを躊躇うような様子で注視している。
「ク、クロスボウだ……奴ら……クロスボウを……使ってる……ぞ……」
肺を貫かれた痛みと苦しさに悶えながらも、魔術師は言葉を絞り出した。
異変に気付いた救護役が慌てて駆け寄って、手当を始める。
視界の端にとらえたその光景を見て何が起きたのかを一瞬遅れて理解するとともに、理解がもたらす驚愕と衝撃がコーネリアを襲った。
(角鬼がクロスボウを使う⁉︎ そんな知能がヤツらに有ると言うの⁉︎ 嘘でしょ⁉︎)
どこから撃たれたのかを推測しながら離れた場所にいるであろう狙撃手を探すと、1体の角鬼がクロスボウの先端に取り付けられた鎧を踏みつけながら、これまた取り付けられたレバーを両手で掴んで引いているのが目に入った。
(ゴーツフットレバー付きクロスボウ⁉︎ そんな……弦を引く機構、その仕組みを間違いなく理解して使っている⁉︎ というか何でそんな武器を持っているの⁉︎)
想像以上の知能を見せる角鬼の動きから、コーネリアは目を離せなかった。その角鬼は、弦を引き切ったクロスボウにボルトを装填し始めている。
ボルトは冒険者が一般に使用するものではなく、おそらくは角鬼のお手製であろう、骨と石で作られたと思しき原始的なものだった。
装填を終えた角鬼はクロスボウを持ち上げると次の犠牲者に照準を合わせるべく射撃の構えを取り始める。片膝をついて体軸を安定させる、その人間となんら変わりない射撃姿勢と、角鬼がボルトを自作しているという事実は、さらにコーネリアに衝撃を与え、動揺させた。
さらに追い討ちをかけるかのように、目を疑いたくなるような光景がコーネリアの視界に飛び込んで来る。
クロスボウを構えている角鬼のすぐ近くで、別の個体がその手に持っている物体。
火花を散らす短い導火線が伸びているそれは……
「なっ‼︎ 嘘でしょ⁉︎ 煙幕弾まで⁉︎」
驚愕からコーネリアが思わず声をあげるのとほとんど同時に、角鬼が煙幕弾を投擲する。
大きく山なりの放物線を描いて飛んできた煙幕弾は、橋の欄干をギリギリで飛び越えて橋の上に転がったかと思うと、無機質な乾いた音を立てて破裂した。
勢いよく噴き出した煙幕によって、橋の上の冒険者側の陣地は一瞬のうちに煙に包まれる。
あたり一帯に広がった煙幕に覆われて、冒険者たちの視覚は、その機能がほぼ意味を成さないものになってしまった。
(そうか!おそらく大会前に全滅したっていうチームの他にも、このダンジョンに抜け駆けで潜ったチームはいくらか居たんだわ。それか、もしかしたら“キラー”たちが、ここをアジトがわりに使っていたのかも知れない。角鬼どもはそういった連中を襲って、装備や戦闘道具を剥ぎ取っていたというわけね……)
煙に咽せて、激しく咳き込みながら、コーネリアは角鬼とは思えない敵の装備や戦術の理由に思い当たる。しかし今はそんな事を考えている場合ではない。敵はこの機に乗じて攻めて来るだろう。早く防御体勢を固めなければ……。
「前衛!橋に向かって後退しながら防御を固めて!後衛は橋の欄干や前衛の陰に入って敵の飛び道具から身を守りなさい!煙が晴れるまでは防御を固めて、何とか敵の攻撃をやり過ごすのよ!」
喉を酷使し続け、声は掠れ始めているが、コーネリアは出せる限りの大声で指示を飛ばす。
冒険者たちは指示に従って動き始めた。それぞれが可能な限り密集して、陣地の外から角鬼が侵入して来るのを防ごうと、防備を固める。
煙幕に紛れて、敵はどの方向から攻めて来るだろうか?コーネリアがそんな事を考えていたその時だった。
「おわぁっっ‼︎」
不意に煙の塊の向こうから、冒険者の声がした。何事かと思ってコーネリアが目をやると、未だ薄まる気配の無い煙幕に、声の主と思われる冒険者の影が浮かび上がっている。
いや、影は冒険者だけのものではなかった。まるで大人が子供をおぶっているか、肩車しているかのようなシルエットだ。
そして、その子供のような影の正体、それが角鬼である事は、はっきりと目で見なくても予想できる事だった。
「ぎゃあぁぁぁぁ‼︎」
冒険者の影はいきなり悲鳴を上げたかと思うと、派手に地面に倒れて動かなくなった。
寝そべった状態の影を踏みつけるかのようにして、子供のような体格の影が、ゆっくりとその上に立ち上がる。
一体何が起きているのか?
そのままコーネリアが影を見つめていると、ふっ、と目の前を流れている煙の一箇所が途切れて、影の正体が露わになった。
やはり角鬼だ。薄い金属製の、兜というよりはハットと呼ぶのが相応しい防具を被り、小さな体に合わせて仕立てたかのようなチェインメイルを着ている。
(いつの間にこんな近くに?一体どこから陣地に侵入したというの⁉︎)
驚きと共にコーネリアがそう思った瞬間、角鬼はこちらに顔を向けた。
コーネリアと角鬼の目が合った。
薄黄色く濁った白眼の中心に爛々と光る、迸るような暴力衝動を宿らせた瞳が、コーネリアに焦点を合わせる。
人間が原始へと向かって退化したかのような、粗野で醜い角鬼の顔は、新しい獲物を見つけたのが嬉しかったのか、卑しく、薄気味悪い笑い顔を浮かべた。
薄く開いた角鬼の唇の隙間から、黄ばんで汚れた大きな歯が覗いている。
(しまっっ‼︎‼︎……)
自分が危機的状況に陥っている事にコーネリアが気付いた時には遅かった。
目の前の角鬼は、手にした鎌のような武器、今しがた犠牲になった冒険者の血で刃を赤く濡らしているそれを振り上げ、甲高い雄叫びを上げながら飛びかかってきた。
「おいおい、煙幕弾を使ったぜ。戦闘道具まで持ってんのか、一体何だってんだよ?コイツら。分かっちゃあいたけど、ただの角鬼じゃねえな」
ヨーカーは自分たちのまわりを取り囲んでいる角鬼たちに、“刀”の切っ先を油断無く向けながらそう言った。
大空間の橋の上を覆っている大量の煙の塊が、冒険者側が使用した煙幕弾のものでない事は、陣地を離れて戦っている彼らが今居る場所から見ても一目瞭然だった。橋の上での視界を完全に塞いでしまうような煙幕弾の使い方を、冒険者側がする筈が無い。
「ああ、今までの角鬼どもとは段違いに厄介だな。1体を仕留めるのにもやたら手こずっちまう。こんなのが数も揃ってるってのに、それを迎え撃つこっちは既に疲労困憊一歩手前の状態だ。こりゃあ、ちょっとマズいかもな……」
ヨーカーと背中合わせになって、お互いの死角をカバーしているシュベルツが応えて口を開く。
二人を取り囲んでいる角鬼たちは、そのほとんどがやはり金属製の装備に身を包んでいる。
ランキングトップチームの攻撃の主軸を担う二人を持ってしても、それらの角鬼に一撃で致命傷を与えるのは困難を極めていた。装備だけではない、戦闘の立ち回りの上手さにおいても、新手の角鬼たちは今までの角鬼と比べて遥かにハイレベルだった。先ほどからヨーカーとシュベルツを囲む角鬼の数は、一向に減っていく様子が無い。
日頃の訓練の賜物だろう。ヨーカーもシュベルツも会話しながら、その呼吸を少しづつ整えている。しかし、二人が話しているその声色には、今までの戦闘中には有った「余裕」というものが見出せなくなっていた。
「んん?なんだありゃ?あのでかいの、一体何やってんだ?」
ヨーカーの何気ない呟きを聞いて、シュベルツがヨーカーの仮面が向いている方向を見やると、離れた場所で例の“戦士”2体が、両側から向き合って1体の角鬼を挟んで立ち、その手足を掴んで持ち上げるのが見えた。
“戦士”2体はそのまま、動きを合わせて持ち上げた角鬼の体を、まるで振り子のように揺らし始める。
初めはゆっくりと、少しづつ勢いをつけて振り子が揺れる速さを上げていく。大人が小さな子供を喜ばせようとするときにする、遊びのような行動だが、それを見たシュベルツは角鬼たちが何をしようとしているのか、すぐに理解できた。
「マズいぞ!あいつら、仲間を直接あの橋の上まで放り投げるつもりだ!こっちの陣地を内側から突き崩す狙いか‼︎」
橋の上の陣地に向かってシュベルツが警告を発しようとするよりもワンテンポ早く、角鬼の体が宙空に投げ出される。空中を飛んで行く角鬼の金属製の装備が、大空間の柱に取り付けられた水晶が発する青白い光に照らされて、鈍く輝いた。
角鬼はそのまま、まるで計算されたかのような正確さで、目標である橋の上に広がった煙幕の中へと飛び込んで行った。
“戦士”は続けて次の角鬼を放り投げようと、その小さな体を持ち上げて再び振り子のように大きく揺らし始める。
「クソッ! ヨーカー‼︎ 陣地に戻るぞ!このままじゃチームのヤツらが危険だ‼︎」
「まあそれは!俺様も!分かってんだけど!よ!こうも囲まれてちゃ、そうすんなりとは戻れねえ!と、来てやがる!」
二人の注意が逸れている事などお構いなしに襲ってくる角鬼の攻撃をいなし、反撃しながら、途切れ途切れの言葉でヨーカーはシュベルツに応える。
二人を囲んでいる角鬼たちの手数の多さに押されて、どうにも思うように動けない。
「畜生どもめが!一丁前に、人間様の邪魔をしてんじゃねえぇぇぇ‼︎‼︎」
シュベルツは焦りに身を焼かれながら、目の前の角鬼に向かって怒声と共に、渾身の槍のひと突きを繰り出した。
「攻撃中止だ‼︎ “五芒星陣”を組め‼︎ 一旦防御に徹して、隙をついて押し出して行くぞ‼︎」
ダイソンが《フーリガンズ・ストライク》のメンバーたちに向かって指示を飛ばす。
すると、お互いにある程度の距離を保って離れていたメンバーたちは一箇所に集まり、それぞれが内側に背を向けた小さな円陣を組んで固まった。
「今までの角鬼と違って、こいつらはなかなか孤立してくれないようだ。連携攻撃の効率が著しく落ちている。焦りは禁物だ。今は1体ずつ、確実に敵の数を減らしていく!」
ダイソンの指示を受けたメンバーたちの動きは、即座に防御を重視した、慎重なものへと変化する。
全方位からの攻撃に対応できる陣形を組んだ事で、先ほどまで交錯していたお互いの攻撃が止まり、戦闘は膠着状態へと移行した。
「装備が違う奴らは防御も上手いね。何体かで死角を作らないように動いて、なかなか隙を見せてくれない。おまけに煙幕弾まで使ってる。厄介だなぁ……」
リリアーネの口調は普段と同じだ。新手の角鬼たちの予想外の手強さにも、動揺している様子はまるで無い。
そんな彼女の様子を横目で見たダイソンは、
『もし仮に“不死隊”がその歴史の中で生み出した芸術作品を挙げろと言われたとして、戦術であれば“三角包囲”、隊員ならあの女になるだろうな』
と、隊長を始めとする“不死隊”上層部が口を揃えて言っていた事を思い出す。
上層部の者たちはリリアーネの容姿には欠片も興味を示さなかった。「芸術作品」というあの発言は、単純に彼女の戦闘能力に対する評価と考えて良い。
事実、戦闘においてリリアーネが発揮するパフォーマンスは、“優秀”という枠に分類される隊員たちの中でも頭ひとつ抜きん出ていた。彼女が時折見せる驚異的な身体能力もさることながら、過酷な状況の中にあっても冷静さを失わない精神力、連携への調和、それ以外の要素においても、彼女以上の能力を持つ戦士に、ダイソンはこれまでお目にかかった事が無い。
「確かにこいつらも厄介、なんだが、俺がさらにまずいと思うのは、爆発で戦意を挫かれていた雑魚どもが、また戦闘に加わり始めている事だ。その一方で、こちら側はかなり疲弊している」
ダイソンは隣のリリアーネの落ち着いた様子とは対照的に、自身の中に焦りが生まれ始めているのを自覚しつつ、独り言のように呟いた。
戦局全体を俯瞰して考えた場合、自分たち冒険者側がすでに「死地」へと片足を突っ込んでいる事は間違い無い。
「煙幕で揺さぶられているあの陣地が崩されたら、めでたく乱戦に突入というわけだ。俺たちはともかく、他のチームの連中はそれに耐えられないだろう。贅沢を言えるのであれば、今のうちにできる限り敵の数を減らしたいところなんだが……」
目の前の角鬼たちの動きを警戒しながら、煙幕に包まれている橋の上もチラチラと確認しているダイソンの視線の動きは忙しい。
この場所で戦況が膠着しているまさに今この間にも、少しづつ薄くなり始めている煙幕の中へと、“戦士”が放り投げる角鬼が1体、また1体と飛び込んで行く。
冷たい汗が、顔を伝って落ちていく。
ダイソンは無意識のうちに、槍の柄を持つその手に力を込めるのだった。
飛びかかってきた角鬼が手に持った武器を振るう。
その勢いに思わず目を閉じて固まってしまったコーネリアの、黒い視界のその先で、何かがぶつかるような、弾けるような衝撃音が聞こえた。
「間に合った。大丈夫か?コーネリア」
そう彼女に話しかけて来る落ち着いた声は、“守護神”ボードゥアンのものだった。
「ボードゥアン!ゴホッ……助かったわ!角鬼がいきなり襲って来たのよ。陣地は今、どうなってるの?」
目を開いたコーネリアは、鎧の上にマント替わりの“聖鎧布”を翻すボードゥアンの背中に向かって尋ねた。
「陣地はとっくに崩壊した。“戦士”が次々と角鬼をここへ投げ込んで来て、そいつらが内側から陣地を引き裂いたんだ。冒険者側は既に乱戦に突入している。もう指示を出しても無駄だ、誰も聞いていない」
ボードゥアンの説明を聞いたコーネリアは、自身の作戦が陣地と共に崩壊し、彼女の指揮官としての役割が終了した事を即座に理解する。
それと同時に、彼女の耳の中へ、あちこちで繰り広げられている戦闘の音が飛び込んで来た。
そしてコーネリアが状況を把握したその瞬間にも、まわりを囲んだ角鬼たちが襲いかかって来る。
ボードゥアンは前方から襲ってきた角鬼を「カウンターシールドバッシュ」で弾き飛ばす。さらに体を返してコーネリアに襲いかかる角鬼の攻撃をカイトシールドで受け止めると、反対の手に握ったメイスを振り下ろして反撃する。
打撃武器であるメイスの一撃は金属製の装備に守られた角鬼にも有効なようで、ボードゥアンは続け様に2体を鋭い一撃で殴り飛ばした。
「すぐに“戦士”がここに突っ込んで来るだろう。今はとにかくチームの連中と合流した方が良い。ここから移動するぞ」
「そうね、そうしましょう。こうなってしまってはもう、戦術をどうのこうの言ったところで、全くの無意味だわ……コホッ……」
コーネリアはチームメンバーを探そうとして、周囲を見回す。
彼女の視界に、あたりの光景が飛び込んで来る。
戦闘不能に陥ったチームの負傷者を庇いながら、必死で武器を振るっている者。
果敢にも“戦士”に挑むが、その勇気も虚しく“戦士”が持っている大きな鉈に似た武器で、無惨に斬り潰される者。
詠唱を終えて魔術を発動させようとしたその瞬間、角鬼に飛びつかれて地面に引き倒される者。
そこへ追い討ちとばかりに、まわりに居た角鬼が次々と飛びついて、哀れな魔術師は全身を角鬼たちが手にした武器でメッタ刺しにされていく。
「ゴホッ…………そんな……なんて事なの、煙幕弾たった1個で、こんな……こんな事になるなんて…………」
コーネリアの眼前には、戦闘開始前に彼女が予想した通りと言って良い、絶望的な光景が広がっていた。