恐慌状態
完全に虚を突かれてしまった!これはマズい‼︎
少しづつ弱まっていく煙の中、僕は周囲の状況を確認する。
見れば離れた場所で、ベランが敵と戦っている。
僕とルーシア、セリエは近くに固まっていて、そこから少し離れて、キドルとカーラが敵の攻撃から僕らを守っていた。
敵は角鬼だった。
さんざん見慣れた痩せて小柄な体を見れば一目瞭然なのだが、今までのダンジョンで出くわしてきた角鬼とは少し違って、どの角鬼も仮面のようなもので顔を隠している。
奴らは手に持った棍棒や粗末な槍を振りかざし、数にものを言わせて次々と襲いかかってくる。
僕はクロスボウのトリガーを引く。
高速で飛び出したボルトはキドルを死角から攻撃しようとしていた角鬼の腹に命中した。
そいつは床に倒れると、苦しそうに身をよじってもがいている。
命中を喜ぶヒマも無く、僕はクロスボウの先端に取り付けられた鎧を踏んで床と体で台座を固定し、ゴーツフットレバーを引いて弦を引き絞ると、左手のボルトを素早く装填する。
次に狙うのは……クソッ‼︎敵の数が多くて的を絞れない‼︎こんな数は予想外だ‼︎
チームの後衛である僕とルーシア、セリエを守ろうと、キドルはショートソード、カーラは槍で角鬼たちの攻撃をいなし、防ぎ、近付けまいと牽制している。
ルーシアもセリエの背中側に立ってメイスを左右に振り回し、なんとか敵を近付けないように奮闘している。そうする事で「マナの矢」を放てるようにセリエを援護していた。
セリエは精神集中のための詠唱を終えて、スタッフを角鬼に向けて狙いを定めると、彼女の十八番である「マナの矢」を放つ。
収斂された魔素のエネルギーは僕のクロスボウから放たれるボルトさえも凌駕する速さで発射され、輝く軌跡を描いて角鬼を貫通した。
「マナの矢」に胸を射抜かれた角鬼は即死して床に倒れ伏す。いつ見ても彼女の「マナの矢」の威力は絶大だ。魔導学院修了者の肩書きは伊達じゃない。
ただ……
「数が多すぎるわ‼︎これじゃいくら撃ってもキリがないわよ‼︎」
セリエが叫ぶ。僕も同感だ。
こんなとんでもない数の角鬼なんて、今までのダンジョンでは遭遇した事が無かった。
それに彼女の「マナの矢」と僕のクロスボウ、そのどちらとも、こうも敵に距離を詰められてしまっては、遠距離からの攻撃という最大の強みを活かせない。
「撤退だ‼︎撤退するぞ‼︎元来た通路にみんな移動しろ‼︎」
キドルはたまらず撤退の指示を飛ばす。その時、まわりを見回していた僕の視界は絶望的な光景を捉えた。
三つある通路の入り口から、一体、また一体と角鬼たちの増援が表れたのだ。
いよいよマズいぞ‼︎このままでは体勢を立て直す事もできないまま、圧倒的な数の敵に揉み潰されてしまう‼︎一刻も早く、ここから撤退しなければ僕達の命は無い。
「ベラン‼︎撤退だ‼︎早くこっちに合流しろ‼︎」
増援を確認したキドルの、ベランに向けた叫びにはヒステリーじみた響きが混じっている。
「うっせえな‼︎分かってんだよ‼︎でも数が多すぎて……うわあっ‼︎」
大声を出したベランに視線を向けると、彼の体に角鬼がおぶさるようにしてまとわりついていた。追い打ちとばかりにそこへ次々と角鬼たちが飛び付いていく。
ダメだ‼︎ああなるともう、彼自慢のバスタードソードを振る事さえできない。
そのまま地面に引き倒されていく、恐怖一色に染まったベランの表情を、僕は見てしまった。引き攣ったような彼の顔は角鬼たちの体に隠れてすぐに見えなくなっていく。
「痛えっ‼︎やめっ!やめろ‼︎やめて……ぐるええええええ‼︎‼︎」
ゾッとするようなベランの悲鳴はすぐに聞こえなくなった。
おそらく絶命した彼の体を角鬼たちが棍棒で殴っているのだろう、ベランの姿が見えなくなったあたりから湿った打撃音が鳴り続いている。
「くそっ……、ダメか。こうなったら俺たちだけでも生きて帰るぞ‼︎みんな固まって、少しづつでも通路の方に進むんだ‼︎」
どうする事もできず、キドルが哀れなベランを見捨てる決断をした時だった。
「きゃあっ‼︎」
カーラは突き出した槍を角鬼に掴まれ、そのまま角鬼たちの集団に引きずり込まれた。少しでもベランの仇をとろうとする気持ちの表れだったのだろうか、持っている槍を放さなかった彼女のミスが、そのまま彼女を絶望的な状況へと追いやる。
「カーラ‼︎カーラッ‼︎」
ルーシアの悲痛な叫びが虚しく響く。
「いっ‼︎嫌ああああぁぁぁ‼︎助けて‼︎たすけてえぇぇ‼︎」
カーラは手足を拘束されたまま角鬼たちの集団の中を引きずられていく。無理に引っ張られる彼女の服が縫い目から引き裂かれる音がする。
助けたいけど、こんな数が相手じゃとても無理だ‼︎何なんだよ‼︎この状況‼︎
何もできない僕たちを置き去りにして、カーラの助けを求める声がどんどん遠ざかっていく。
何とかしなければと頭では思っても、足に力が入らない。
「どうすりゃいいんだよ、こんなの……どうすりゃ……」
この状況にキドルも完全に戦意を喪失してしまっているようだ。振っているショートソードに全く力が込もっていないのが分かる。
僕の横で、ルーシアが青ざめた表情でメイスを体の前に構えたまま、ガタガタと小刻みに震えている。
(……全滅……)
その言葉が僕の脳裏をよぎったその時、輝く軌跡を描いて「マナの矢」が、僕たちと通路の入り口とを結ぶ線上、そこに立っている角鬼たちを次々と串刺しのように貫いた。
「ダメよ‼︎諦めては‼︎生きて帰るのよ‼︎こんなところで死んでたまるもんですか‼︎」
セリエの声が響く向こうで、貫かれた角鬼たちがバタバタと倒れていく。
「はっ、走れ‼︎走るんだ‼︎」
キドルの声を聞くよりも早く、僕たちはもつれそうになる足を必死に動かして駆け出していた。かろうじて道ができている今しか逃げ出すチャンスは無い‼︎
余計な事を考えてる余裕なんて無かった。
僕は手に持っていたクロスボウを放り出し、床に倒れた角鬼たちの死体を踏みつけながら、通路の入り口を目指して必死に走る。ポッカリと開いた入り口に飛び込んだ瞬間、僕はつまづいて勢いよく前のめりに倒れ込んでしまった。
早く‼︎早く立ち上がるんだ‼︎死がすぐそこまで迫ってるんだぞ‼︎
倒れた時に床に打ち付けた胸と肩と顎が痛い。でもそんな事どうだっていい‼︎
もつれるようにしながら何とか前を見て立ち上がったその時、
「イーブ‼︎助けて‼︎イーブ‼︎」
ルーシアの悲痛な叫びが僕の背中から聞こえて来た。
彼女は角鬼たちのゴツゴツと節くれだった醜い手から、哀れにも逃れられなかったようだ。
何度も僕に向かって助けを求めて叫んでいる。
「ぎゃあああ‼︎」
「いっ!いやぁ!嫌ああぁぁぁ‼︎」
その場で固まった僕の耳に、キドルとセリエの悲鳴が重なって聞こえてきた。
「うわあああああああ‼︎」
……僕は振り向かないで、大声を出しながらそのまま通路の中を駆け出した。