ヴァルスラッグ虹貨
レエモンは通された部屋の窓から外の景色を眺めている。
かつて難攻不落を誇ったドラセルオード城を現代の建築技術で改築したヴァルソリオ城は、ドラセル山の頂上にその優美な姿を横たえていた。
窓から見下ろす山の麓には、ドラセルオードの街が広がっている。
地方都市としてはかなりの面積を誇るドラセルオードの街すべてが、ここからならレエモンの視界に収まってしまう。
そう、まさにここは天上の別世界と言えた。
組合のネットワークや有力者たちとのパイプによって生まれた取引のために、レエモンも結構な数の貴族の邸宅を訪れているが、ここはそれらと比べても、まるで次元が違う。
先ほどまで居た謁見の間も、この城を訪れて最初に目に入る城門も、案内される途中に通り過ぎた庭園も、その全てが彼の想像を軽々と超えてくるものばかりだった。
レエモンは不敵に笑う。
この城を見る限りヴァルソリオ家の力は期待以上だ。このまま取引を続けてあの“お嬢様”に取り入り、上手く売り込めれば組合の後ろ盾になってくれるかも知れない。
そうなれば非合法な密猟品を扱う彼の組合は、今よりも遥かに商売がやりやすくなるだろう。
挨拶がわりとして厳選に厳選を重ねて持ち込んだ商品はどうやら気に入ってもらえたらしい。
しかしその商品のうちの半数以上がヒャクリキから購入した素材を加工した物だった。
(やはりあの旦那との取引はできるだけ長く続ける必要があるな……)
ヒャクリキから聞いた予定通りであれば、彼は昨日からダンジョンに潜っているはずだ。
密猟組合の一員として、レエモンはこれまで数千種の野生生物や脅威生物から剥ぎ取られた素材を見てきた。なので彼の持つ知識と経験を頼って、素材の鑑定を顧客から依頼される事もよくある。
しかしヒャクリキが持ち込んでくる素材には、そのレエモンをして鑑定不能な、まるで見た事の無い素材がちらほらと混じっているのだ。
それはつまりヒャクリキが通常の密猟者や冒険者では到達出来ない深度までダンジョンに潜り、得体の知れない生物を狩っている事を示している。
(俺たちの稼業、詮索は御法度とは言え……一体何者なんだろうな、あの旦那は)
ダンジョンは深く潜れば潜るほど、奥へ進めば進むほど、危険度が倍増していくと聞いている。
今のままではヒャクリキもいつ姿を見せなくなるか分からない。何より彼は「“ソーマ”依存症」という難点を抱えているのだ。
(やはり組合に掛け合って、あの旦那のバックアップをさせた方が良いな。俺の取り分はいくらか減ってしまうかも知れんが、長いスパンで旦那と取引できる確率を少しでも高めた方が、結局は俺と組合両方の利益になる)
レエモンがそんな考えに耽っていると、部屋のドアがノックされ、“お嬢様”にアントニオと呼ばれていた執事の老人が現れた。
「お待たせして申し訳ございません。こちらが今回お支払いする代金でございます。どうぞお受け取りください」
そう言って執事は銀製の盆に乗せた小さな袋をレエモンの目の前に差し出してきた。
「???……頂戴いたします」
レエモンは代金の入った袋を受け取りながらも不審に思う。あまりにもその袋は小さい。小さ過ぎる。
「お確かめください」
執事はレエモンにこの場で中身を確認するように促す。
中身は袋の外から触った感覚だと、硬貨一枚のようだ。これではたとえこの中身がヴァルスラッグ金貨だったとしても、まるで割に合わない取引になってしまう。
こちらの買い取り希望価格は事前に伝えてあるというのに。
(どういう事だ?やはり紹介が有ったとは言え、得体の知れない商人相手では信頼関係が築けるまで、おいそれと代金すべては支払えないという事なのか?)
疑問を顔に出さないようにしながらレエモンは袋を開き、中に入っている硬貨を恐る恐る取り出す。
「‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」
心臓が口から飛び出るかとレエモンは思った。
彼の掌にある一枚のやや大きめの硬貨は、白銀の表面に光を反射して、虹色に輝いている。
「こ、これは…………まさか……ヴァルスラッグ虹貨‼︎⁉︎」
まさかではない。彼は一度だけ組合の本部で見た事があった。このサイズ、この輝き、間違いなく本物のヴァルスラッグ虹貨だ。
レエモンは今自分の身に起きている事が現実なのか、疑わしくなって来た。無意識のうちに彼の手が震え始める。
「左様でございます。ヴァルスラッグ銀行発行の、ヴァルスラッグ虹貨でございます。裏面には発行番号も刻印されております。“お嬢様”はレエモン様とのお近付きの印として、これを支払いに使用するよう命じられました」
事も無げに執事が言う。
(これはとんでもない事になったぞ……)
無意識のうちに目玉が飛び出んばかりに目を見開いて、掌の上に乗っている硬貨に目を釘付けにしてしまっているレエモンは、そう思いながらまた脇の下に冷や汗が滲むのを感じていた。
ヴァルスラッグ虹貨はヴァルスラッグ一族が生業として経営するヴァルスラッグ銀行が、独自に発行している希少硬貨である。
ヴァルスラッグ一族が独占、秘匿している高度な魔導技術を使用して製造されるその硬貨は、使用されている金属自体が大変貴重な素材であり、特殊な技術で加工されたその表面は虹色に輝く。
世界中の大国が持つ技術を結集しても、同じ物は造れないと言われている。
つまり多くの硬貨が悩まされる複製や偽造は不可能なのだ。
流通量はヴァルスラッグ銀行によって厳密に管理されており、一族で大国に匹敵するとまで言われるヴァルスラッグ一族の力が、硬貨が持つ信用力を保証していた。
商人ならばその存在を知らない者は居ない。しかし実物を取り扱った事がある者は、商人の中でも王族や上級貴族を相手に商売をするような、ごく限られた少数しか存在しなかった。
「ヴァルスラッグ虹貨一枚で屋敷が建つ」。そんな噂は決して大袈裟なものではない。この虹色に輝く硬貨は「硬貨」と言うよりは、極めて小さなサイズに反比例して極めて大きな価値を持つ「資産」と考える方が相応しい。
とにかく初めて会った得体の知れない商人にポンと渡せるような代物でない事だけは確かだった。
レエモンは自分の体が微かに震えている事に気付いている。
とんでもない物を渡されてしまった。
頭の弱い人間なら飛び跳ねて喜ぶかも知れないが、彼にとってこれは未だかつて経験した事の無いプレッシャーに他ならない。
(こんな物を渡されては、次回以降も今回に劣らない商品を持ち込まない事には、俺だけでなく組合の評価まで損なう事になってしまう)
いや……それだけでは無い。とレエモンは続けて思う。
彼女はこのヴァルスラッグ虹貨一枚で、自分が何者であるのか、どれだけの力を持っているのかを、これでもかと明示して来たのだ。
おそらくはレエモンだけではなく彼を通して、背後に居る組合にもやんわりと圧力をかけるつもりなのだろう。
“怪しい奴らめ、妙な真似はするなよ”、と。
「それと“お嬢様”から言伝を預かっております。レエモン様を気に入ったので、夕食に同席するように、との事でございました。レエモン様にもご都合がお有りかとは存じますが、ぜひご同席いただけますよう、私からも重ねてお願い申しあげます」
震える掌に乗った虹色に輝く硬貨から目を離せないまま、レエモンは彼の古い知り合いであり、海千山千の奴隷商でもあるシカロが、なぜあれほどあの“お嬢様”を恐れていたのか、少し理解出来たような気がしていた。




