「ソーマ」
天幕から連れ出されたヒャクリキは、体を抱えられたままキャンプの外れまで引きずられて行き、乱暴に放り出されると、彼を引きずってきたメンバーたちに袋叩きにされた。
メンバーたちのヒャクリキに向けられる暴力は、曲がりなりにもチームのメンバーである者に対してのものとは思えないほどに激しく、悪意のこもったものだった。
彼らはひとしきりヒャクリキに暴行を加えると去っていった。ジョエルなどは去り際に唾を吐きかけるというおまけ付きだ。
ヒャクリキは身体中の痛みのために、しばらくその場を動けなかった。
どうやら先ほどの暴行で、脅威生物との戦闘でできた傷がまた開いてしまったらしい。
ヒャクリキは仰向けに転がって痛みに耐えながら、そのまま青い空を流れる雲を見ていた。
不意にクスクスと女たちの笑い声がどこからか聞こえて来る。
声の主はチームのキャンプにひっついて来た娼婦たちだろう。ボロボロになったヒャクリキを見て笑っているようだ。
(……笑えるだろ、いいぜ、笑えよ……笑え)
なぜこんな目に遭わなければいけないのだろう?
そう思いながらも、ヒャクリキは問題の本質がどこにあるか、実のところ良く理解していた。
結局、自分のチーム内での立場と扱いが悪いのは、他のチームメンバーたちの心の底にある、根深い差別意識に原因があるのだ。人種、民族、出自に関わる問題は、個人の努力や心掛けや行動では解決しない。
ヒャクリキは一般の者が就くような仕事で長く働いた経験も無く、傭兵稼業から足を洗った後、仕方なくこのチームの“従士”の仕事に応募したのである。
つまりチームに入ったのは、ヒャクリキの元奴隷という出自と、この国の人々とは大きく異なる容姿からマンブサイジ出身である事を知られると、まともな仕事では雇ってもらえず、大抵の場合は門前払いを食らってしまうからだった。
中には雇ってくれるオーナーも居たが、結局は職場内にはっきりと存在する差別意識が原因で、辞めさせられるか、自分から辞める羽目になるのだ。
その度にヒャクリキの心には、小さく裏切られた傷が増えていった。
奴隷狩りに殺されてしまった父親は、幼いヒャクリキに、自分達はマハイ・ベージの戦士の末裔だ、その戦士としての誇りを忘れるな、と常々言い聞かせた。
ヒャクリキはその教えの通りに、少なくとも戦士の誇りを傷付けるような生き方はして来ていないつもりだった。
しかし現実は、彼を取り巻く環境は、いくら戦っても、いくら困難に立ち向かっても、彼を戦士としては扱ってくれない。
その事が、何よりも彼の心を傷付ける。
「ザラスよ……これも全て、あなたから与えられる試練だと言うのか……」
ヒャクリキはゆっくりと流れていく雲を目で追いながら、彼の神に向かって呟いた。
地平線に飲み込まれ始めた太陽の光が夕焼けになって、キャンプのそこかしこに設置されたテントを照らし、地面には何本もの黒い影が伸びていた。
自分のテントに戻ったヒャクリキがランタンの灯りを頼りに簡単な傷の手当てをしていると、酒保商人のケチャロがひょこっと顔を見せた。
「あーあぁ……こりゃあまた、派手にやられましたねえ、旦那。駄目ですぜ、話し合いなんかしようとしても。あいつら文明人を気取ってあたしらみたいな人間を蛮族扱いするけど、心の中はあたしら以下のケダモノなんですからね」
ケチャロもまた、差別される側の人間だった。そのためかいつもヒャクリキに同情的な態度を見せる。
「痛むでしょう。そんなにやられちゃあ。…………“あれ”、要りますか?」
媚びるような表情で聞いてくる。正直なところ、ヒャクリキは卑しさにまみれた彼の態度を嫌っていた。
「……よこせ」
ぶっきらぼうに手を差し出す。
「毎度ありい。どうぞ、特別なルートで調達した“ソーマ”です。品質は保証しますよ」
そう言ってケチャロはヒャクリキの手に、人間の小指のサイズにも満たない大きさの、液体の入ったガラス製の小さな瓶を五つ、渡して来た。
瓶の先端には、固めた樹脂がくっついている。
ヒャクリキから“ソーマ”の代金を受け取ると、ケチャロは「今後ともご贔屓に」と言い残して去っていった。
ヒャクリキは瓶の一つを残して他の四つを鞄にしまうと、瓶にくっついている樹脂をちぎり取る。
すると樹脂の下から、瓶の先端に付いた小さな針が現れた。
ヒャクリキは瓶を逆手に握ると、ズボンの上から自分の太腿に突き刺した。
針から瓶の中身である“ソーマ”がヒャクリキの体内に注入されていく。
するといくつも数えないうちに、あれほど強く全身を蝕んでいた痛みがまるで嘘のように、溶けるようにして消えていった。
数日前、ケチャロに勧められて初めて使った時もそうだった。ヒャクリキは改めてその効果に驚く。
さらには“ソーマ”の副作用だろうか、痛みが消えていくと同時に、うっとりとするような安らぎが脳髄を浸していくような、そんな感覚に彼は包まれ始めた。
ああ……痛みも、怒りも、悲しみも、そんなつまらないものが、俺の中からすうっと溶けて消えていく。
こんな良い物が有ったのか。今まで知らなかったとは、なんという損をしていたのだろう。
ぼんやりし始めた頭でヒャクリキはそう思う。
「ヒャクリキ?ヒャクリキ、大丈夫?」
柔らかな快感に包まれて、その感覚に浸っていたヒャクリキの耳に、いきなり誰かの自分を呼ぶ声が聞こえて来た。




