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“非人窟”の朝


 家を出たヒャクリキは職場へ向かう。


 ドラセルオードの街の二割ほどの面積を占める、彼が住んでいる貧民居住区、

 通称“非人窟ひにんくつ”。

 その外れにある屠畜場が、彼の職場である。


 “非人窟ひにんくつ”とはそこ以外に住んでいる街の住人が使うひど蔑称べっしょうだが、そう呼ばれるのもやむなし、と思ってしまうほどにはすさんで、すすけて、くたびれた情景が広がっていた。


 道は昨日降った雨のせいでぬかるんでおり、どれだけ注意を払ったところで足が汚れてしまうのは避けられそうにない。


 そもそも道などは有って無いようなもので、朝日が登っても起きる様子などまるで無い酔っぱらいたちがところどころに横たわり、そのまわりには彼らの吐瀉物としゃぶつがトッピングされたゴミが、あちこち乱雑に散乱している。


 家屋の中に入りきらない何に使うのかよく分からない道具や雑貨、家具などを、玄関から家の前、さらには道にまであふれさせているような家も多い。


 真っ直ぐに進んでいくことすら困難な道を辿たどって職場へ向かうヒャクリキは、職場に到着するまでに疲れ切ってしまいそうな気がして、憂鬱な気分がふくらんでいくのを抑える事ができないのだった。


(いつも思うがひどい有様ありさまだ……)


 “非人窟ひにんくつ”は「持たざる者」が住まう場所だ。


 住人は今日の食事にどうやってありつくか、それしか頭の中にない者たちばかりである。

 そんな人間ばかりが住む場所だけに、ここで法や秩序や良識などといったものを見出すのは困難を極める。


 そして住人たちは大抵の場合お互いに無関心だった。


 彼らはたむろして酒瓶を片手に猥雑わいざつな会話を楽しんだり、賭け事にふけったりはするものの、そこには深く親しく付き合う人間関係などというものはほぼ存在しない。

 酒場や路上でダイスゲームにきょうじている、同じ卓を囲んでいる者たちも、お互いの名前すら知らないのが普通だった。


 ここでは扉に鍵が付いている家の方が珍しいため、家主が不在の家屋への不法侵入や窃盗などが発生するのは日常茶飯事である。

 一歩裏路地に足を踏み入れて、強盗や殺人といった犯罪に巻き込まれて被害者になったとしても、どこにも訴えて行きようがない。

 街の執行官は、“非人窟ひにんくつ”の住人の言う事など、まともに取り合ってはくれないからだ。


非人窟ひにんくつ”とはそんな場所で、ヒャクリキは良くも悪くもその場所に自身の生活を落ち着けてしまっていた。

 ここはすねに傷持つ無法者や犯罪者が身を潜めるにはうってつけの場所で、それは日の当たる場所を歩いて生きて来たとは言い難いヒャクリキにとっても同じ事であった。


 ヒャクリキはやや背中を丸めて、気が滅入るようなものをなるべく視界に入れないように、道に視線を落として歩いて行く。


 ふと通り過ぎる家屋から何かしら物がぶつかって壊れるような大きな音が聞こえて来たかと思うと、男が野太い濁声だみごえで怒鳴るのが続く。

 女が叫ぶように何か言い返しているようだが、小さな子供が泣き叫ぶ声がそれに混じっている。


 こんな騒音もここではあちこちから、うんざりするほど聞こえてくる。


 ここに住む「持たざる者」たちは誰も彼も余裕というものを持ち合わせておらず、いつも負の感情を溜め込んでいた。

 そのため皆がお互いを信頼することができず、「他者への思いやり」や「優しさ」といったものには、ここではまるで金貨と同じくらいにお目にかかれない。


 そんな瘴気しょうきがよどむような街の空気の中を憂鬱な仕事に向かって歩いて行く。

 それは気も滅入ろうというものだ。


 職場に近付くにつれ家屋が減り始め、それに合わせるかのように耳障りな騒音も小さくなっていく。


 それと入れ替わりになんとも不快な、独特の臭いが漂い始めている。

 血や臓物の臭いに家畜の体臭や排泄物の臭いが混じり合った、むせかえるような悪臭だ。


 ふと顔をあげたヒャクリキの目に、職場である屠畜場が小さく見えて来ていた。


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