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夜明けの“非人窟”で


 男は“非人窟ひにんくつ”の入り組んだ裏路地を歩いていた。


 底に指一本分ほど中身が残った酒瓶を片手に、ふらふらと覚束おぼつかない足取りで、特に目的地も無いのか、どこへ向かうともなく当てなく歩いている。


「ちっきしょう……くそったれ……結局、とんだ大損だったじゃねぇかよ」


 男は小声でボソリと呟く。

 小声ではあったが、その声には男が今現在その胸のうちに抱えている苛立いらだちが、ありありと表れていた。


「なんであそこでクソッタレな衛兵どもが戻って来るんだよ。ちきしょう、ほんと、ツイてねぇぜ」


 男は自分でも意識しないままに、ぶつぶつと恨み言を半開きの口から垂れ流していた。



 男はなけなしの給金を、さらには彼の家じゅうくまなく引っき回してかき集めた金を、昨晩の《ドラセルオード・チャンピオンシップ》での賭けに突っ込んだ。


 別に大穴を狙ったわけでもない。“非人窟ひにんくつ”の住人へとその身をとすよりも以前から、初期の頃から“ダンジョンコンクエスト”を観戦してきた男は、今大会の優勝は間違い無く《フーリガンズ・ストライク》だと踏んでおり、その全財産を彼らにたくしたのだった。


 結果は……思い出したくもない。


 急な決着方法の変更により、大会は“ドラセルオードの怪人”を“制圧”したチームが優勝すると決まった。

 それは男にとっては、どちらかと言えば幸運な流れであるはずだった。

 “怪人”の“制圧”に関しては完全に早い者勝ちの状況で、そうなると明らかに《フーリガンズ・ストライク》に分が有ると思ったからだ。

 事実、彼らはチャンスと見るや他の冒険者チームを見事に出し抜き、得意の包囲と連携で“怪人”をあと一歩のところまで追い詰めてみせた。


 しかし、最後は《エンシェント・ディバウアーズ》の“凶刃”ヨーカーが、あの跳躍からの一撃で、呆気あっけなく横から勝利をさらっていったのだった。


 男は納得できなかった。あんな一瞬の出来事で、男が手にするはずだった払い戻しの金は、無惨にもその手からこぼれ落ちてしまったのだから。


 確かに誰がどう見ても、あれで決着になるだろう。あの時本当に《フーリガンズ・ストライク》の攻撃が途切れていたかのについては審議の余地があるかも知れないが、結果的に“怪人”は死んだのだ。今さらやり直しができるわけでも無い。


 しかし、男は納得できなかった。

 だからこそ、中途半端に終わってしまった大会のすぐ後に発生した暴動に、暴徒の群れに、男は加わったのだった。



 火災が発生してからしばらくは、男も混乱する群衆の中を逃げ惑っていた。


 だが男はしばらくすると、煙に巻かれさえしなければ、自分一人で火の手から逃れる事はさほど難しくないという事に気付く。

 それと同時に、火の手が巻き起こる街のあちこちで暴力と、それに伴う略奪が発生している事にも。


 これは……大会の賭けでこうむった損失をチャラにするどころか、むしろこの混乱に乗じて、まとまった金を手にするチャンスかも知れない。


 そう考えた男は、略奪に参加した。

 男は誰かに奪われる側から、自分が奪う側へと、あっさりとその身を転じたのだった。



 男の判断は正しかった。

 商店や民家を襲う暴徒の群れに、しれっと混じってすみっこの方で略奪する。それを何回か繰り返した後には、男は硬貨や貴金属の延べ棒、宝石をあしらった装飾品などをポケット一杯に詰め込んでいた。


 ほつれたポケットの穴から硬貨が数枚(あふ)れ出るのを見た時には、それこそ笑いが止まらなかった。


 しかし、いよいよパンパンにふくらんだポケットに略奪品が入らなくなり始めた頃だっただろうか。状況は一変する。

 それまで姿を見せなかった衛兵たち、街の守備隊が、いきなり姿を現したのだ。

 そして暴徒たちを圧倒的な数で押し包んでは、次々と彼らを縄にかけ始めた。


 捕まらないように必死で逃げる男のポケットからは、せっかくの収穫がみるみるうちにこぼれ落ちていった。

 男はそのたびに身を切られるような思いをしながらも、衛兵に捕縛されるという最悪の結末を回避するため、なんとか必死で街から“非人窟ひにんくつ”へと、追われながら身を潜めながら、逃げて来たのだった。




「ちっきしょう……やってらんねぇぜ……」


 最後にポケットに残っていた数枚の銅貨と交換した酒をあおりながら、男はボヤく。


 結局のところは一文無しだ。

 “非人窟ここ”に住むようになってから、何度も同じ状況におちいってすっかり慣れっこになってしまったとは言え、やはり腹立たしい。

 すべてが徒労に終わってしまった結末に対して、酒ではその荒れる胸の内を慰めるには到底不足であるという現実に対して、男の不満はピークに達しようとしていた。


「衛兵どもさえ表れなけりゃ……いや、そもそもあんな大会さえなけりゃ…………んん?」


 さらにボヤきが口をついて出ようとしたその時、男の目にあるものがとまった。



 女だ。


 胸に猫を抱いた、白髪の少女だった。



(な、なんなんだぁ?ありゃあ……まだ若いのに、まるで婆さんみたいな髪の色じゃねぇか……)



 歳の頃は、15、16のあたりだろうか?

 少女もまた、遠くから男をじっと見つめていた。



 少女のその腰まで伸ばした白髪だけでも男の目を引くには充分だったが、続けてその全身を見るにつけ、男の意識はあっという間に彼女の虜になっていく。


 少女の肌はまるで、冬の雪を思わせるかのような白さだった。

 手足が長い。腰に帯のような布を巻いており、着ているチュニックのような服のすそから、スラリと長い足が伸びている。

 帯で締めている腰の細さと、それとは対照的な、骨盤の存在を確かに感じさせる、年相応に厚みを増し始めているであろう腰付き。

 その長い腕で汚い野良猫を抱いているが、猫を抱いている胸には彼女が“少女”から大人の“女”へと変わりつつある証である、服の上からでも分かる確かなふくらみが見て取れた。



 男の胸の内で、自分ではコントロールできない、もう一人の自分に突き動かされるような、そんな衝動がむくむくと頭をもたげる。


(へへ……良い、良いじゃあねぇか。丁度良いぜ。このムシャクシャする気分を、何かで解消しねぇとなぁ……)


 男は自然と、少女に向かって歩いていた。



「どうしたんだい?お嬢さん。こんな“非人窟ところ”で、何をやっているのかな?」


 男は自身の中に湧き上がった獣欲を悟られないように、意識して優しい声色で少女に話しかけた。


 そしてふと気付く。男を見つめる彼女の瞳が赤い事に。

 燃えるような、しかし同時に、透き通るような赤い色だ。

 どこか焦点の定まらないような、不純物の混じらない硝子ガラス細工のような、それでいて濡れているようなツヤで輝くその瞳は、見ているだけで吸い込まれてしまうかのような、何とも言えない怪しい光をたたえている。

 よく見ると、目の上の眉毛も目のふちに並んで生えている睫毛まつげの色も、彼女の髪と同じ、霜のような白い色をしていた。


 近付いて改めてよく見てみると分かるが、その白髪と赤い瞳だけでなく、少女が着ている服もまた、この場所には不釣り合いなものだ。


 柔らかな乳白色の、チュニックのようなその服は、一目で高級品だと分かる滑らかな布地で仕立てられている。

 腰に巻いている帯も、これまた独特な織り目をした紫の布地に、金糸で細かい刺繍ししゅうが施してあった。

 足に履いている、足首までを編んだ革紐で覆うサンダルは、これまたどう見ても安物には到底見えない。

 かけている首飾りは……そう、おそらく珊瑚サンゴだ。磨いた小さな色とりどりの珊瑚サンゴたまを、丁寧な職人仕事で繋いでいる。かなりの高級品であるに違い無い。


 男が目を引かれたのも道理だった。

 少女のその見た目はハッキリとした違和感を伴って、完全に“非人窟ひにんくつ”の薄汚れた裏路地の風景から浮き上がっていた。



「もしかして、一人なのかい?父ちゃ……お父さんとお母さんは、一緒じゃないのかな?」


 そう問いかけると、少女は男が驚いてしまうほどの無警戒さで質問に答えた。


 その話し方、幼い子供のような少女の口調と、話す時の表情に、男はさらなる違和感を覚える。


 しかし男は会話を続けるうちに、少女の素性についての彼なりに納得できる、とりあえずの推測を導き出した。


(……ああ、なぁるほどな。ちょっとばかし、オツムに問題を抱えてるタイプの人間か。きっと、街の方に住んでる可哀想な金持ちのお嬢さんか何かが、何かの間違いで“非人窟ここ”に迷い込んだんだな)


 それにしても、少女の答えは男にとって、出来過ぎなほどに好都合だった。どうやら彼女は保護者も連れておらず、一人でここに迷い込んだものらしい。


 男の呼吸が少しだけ荒くなるが、少女は気付かないようだった。


 そのまましばらく話していると、急に少女の腹から音が鳴った。

 どうやら腹を空かせているようだ。


「お腹が空いているんだね。かわいそうに。どうだい?おじさんのうちに来ないかい?」


 男の声は、少女と言うよりは、童女に対するものへと変わっていた。

 しかし彼女は気にしないようだし、気付かないようだ。これまた驚くほどあっさりと、男の提案に同意する。


「よーし、じゃあ、おじさんに着いておいで。美味しいお菓子を、たらふくごちそうしてあげよう」


 男が歩き出すと、少女は無邪気にお礼を言ってから、これまた無邪気な、満面の笑みを浮かべて着いて来る。警戒しているような素振そぶりは、まったく見えなかった。


(へへへ、そうさ、たんまりと、お腹いっぱいになるまで“ご馳走”してやるぜ。俺の股間に付いている、この特別製の“お菓子”をなぁ。コトが終わった後は、身ぐるみ一式()ぎ取っていただいちまおう。ありゃあ売ったら一体どれくらいの値がつくのか、想像もできねぇぜ……)


 後ろに着いて来ている少女からは死角になって見えない男の顔には、獣欲にまみれて歪んだ、下卑げびた薄ら笑いが浮かんでいた。





 いくらも歩かないうちに、男は手頃な廃屋を見つけると、そこへ少女を連れ込んだ。


 通りから一本外れただけの裏路地に面している廃屋だったが、中へ入る前にあたりをキョロキョロと見回した限り、周囲に人影は見えなかった。

 それにここは“非人窟ひにんくつ”だ。自分の事で精一杯で、他人には無関心な人間ばかりが住む場所だ。これから起きる事によって、少女の悲鳴や助けを求める声が聞こえたところで、誰かがやって来るとは思えない。


 少女は多少の違和感を覚えるのか、廃屋の中を落ち着きなく見回しているが、やはり警戒しているようには見えなかった。


 ふくれ上がるばかりの衝動、獣欲を抑えるのは限界を迎えていた。

 自制のタガが外れ、き出しの衝動が暴発する。



 獲物を追い詰めたけだものがそうするようにして、男は少女に襲いかかった。



 少女の細い腕をつかんで力ずくで地面に引き倒し、その上にのしかかる。

 そして男は間髪かんぱつ入れずに腕と足と、それから自身の体重で少女を地面に拘束する。

 少女は予想通り抵抗して来たが、想像以上にか弱いその筋力では男の拘束から逃れる事が不可能なのは明らかだった。


 驚いて少女の腕から飛び出した猫は、そのままどこかに走り去って行く。


 男の急な豹変ひょうへんに驚き困惑する少女の顔が、その表情が、ますます男の獣欲をふくれ上がらせていく。

 男の頭の中で、激しい火花がバチバチと発火する。


 男は少女が着ている服のすそを、彼女の太ももにわせる手でまくり上げた。

 そして自身も下半身を露出させようと、ホーズ(ズボン)の留め具を外し、荒い呼吸とともに身をよじるようにくねらせながらずり下ろしていく。



「だれか、たすけて! たすけてください!!」



 突然少女が大声で叫んだ。


 それまで少女が「やめて、やめて」と言うばかりなので、すっかり恐怖にすくんで怯えてしまっていると思っていた男は、その意外な大声に心の中で舌打ちする。


(チッ!余計な事を…………まあ、2、3発殴れば大人しくなるさ)


 ここは“非人窟ひにんくつ”だ。助けを求めたところで、誰かが来るとは思えない。

 男は少女の太ももの間に腕を割り込ませると、力尽くで股を開かせる。

 そしてそこへ自身の腰を押し付けるように潜り込ませてから、とりあえず1発殴っておくかとばかりに、少女に密着させていた上体を引き起こした。


 少女は、男が肩まで持ち上げた握り拳を見ると、その顔に驚いたかのような表情を浮かべる。

 そのいまいち焦点の合わないような目を大きく見開いた表情を見た瞬間、男の頭の中の火花がより一層激しく発火し始めた。


 少女が抵抗する動きが小さくなる。

 いよいよ諦めたのか、少女の力が弱くなる。


(おう、そうだぜ、良い子にしてろ!大人しくしてりゃあ、そんなにひどくはたないでおいてやるよ!)


 少女の綺麗な顔をわざわざ血で汚すなどというのは無粋ぶすいだ。殴るのは一旦いったんやめて、ゆっくりと下着をぎ取る作業を楽しむとするか?

 いや、それとも……やはり1発くらいは殴りつけてその顔を血と涙で歪ませておいてから、痛みと恐怖に泣きわめく少女を犯した方が……その方がより楽しめるだろうか?


 そんな思考。一方的な優位、優越感。圧倒的な強者側に立ったゆえの嗜虐しぎゃく的な思考に男が動きを止めた、その瞬間だった。



 いきなり男の襟首えりくびを何者かがつかんだような感覚とともに、男の体はそれまでのしかかっていた少女から、一瞬で引きがされた。



「グェっ!」


 着ている服のえりに首を締められて気道を圧迫された男の口から、絞り出されるような声が出る。


 さらには少女から引きがされただけでなく、男の体は信じられないような馬鹿力で、空中に高々と持ち上げられた。


 男は踵を地面に着けようともがくが、足はバタバタと虚しく空中を彷徨さまようばかりだった。明らかに男の身長以上の高さまで、男の体は持ち上げられていた。

 男の踵が何かに当たる。それは男の体を持ち上げている、この怪力の正体に違いない。


「な……なん、なんだよ?一体」


 襟首えりくびから釣り上げられているような体勢のまま、怪力の正体を知ろうとして、男は体と首を無理やりにひねりながら肩越しに後ろを振り返る。



「あああああ‼︎‼︎ テメェは!……嘘だろ‼︎ なんでだ⁉︎ 死んだんじゃなかったのかよ⁉︎」



 男の視界に映った怪力の正体。


 それは《ドラセルオード・チャンピオンシップ》で、“凶刃”の刃によってたおされたはずの、“ドラセルオードの怪人”の姿だった。



(何でだ?どうしてコイツがここにいるんだ?一体何が起きてやがる⁉︎⁉︎⁉︎)


 男は混乱するばかりだった。


 どうして、“怪人”が生きているのか?


 どうして、“怪人”がこんなところに現れたのか?


 どうして、“怪人”は少女の声にこたえるようにして、自分を少女から引きがしたのか?


 男には何ひとつとして、分からなかった。



 急に男の首を締め付けていた襟首えりくびと力が、ふっとゆるむ。


 男の体は重力に引き寄せられるようにして落下し、男はしたたかにその顔を地面と衝突させた。


「あが!……痛ってえ…………」


 男は顔面を襲ってくる痛みの中で、自分を持ち上げていた“怪人”の手が、襟首えりくびつかみ上げていたその拘束を解いたのだ、と状況を理解する。

 そして慌てて顔を上げると、そこにはやはり見間違いなどでは無い、確かに放映会場のクリスタルモニターの画面に映っていたあの“怪人”の姿が、男を見下ろすようにしてそびえ立っていた。


(何が起きてるのかはわ、分からねぇが……とにかく、逃げ、逃げるしかねぇ‼︎)


 “怪人”の顔を見た男は震え上がってしまった。

 クリスタルモニターの画面に映し出された顔からも凶悪な印象を受けていたが、間近で見る“怪人”の顔はそれ以上だった。

 にらみつけるかのような“怪人”の眼は、無機質な、ザラついた光をたたえたまま、乾いた眼差まなざしで男を射抜いている。


 たまらず男は立ち上がって逃げようとするが、膝までずり下ろしたホーズが足に絡まってすぐに転倒してしまった。


「ち、ちくしょう!」


 地面に寝そべった状態のまま、男はずり下ろしたホーズを履き直そうとする。

 しかし、ホーズの布地が膝で引っ掛かり、震える手で必死にホーズを引き上げようとしても、どうしてももたついてしまう。


 悪戦苦闘する男の耳に、足音が聞こえて来る。

 “怪人”が近付いて来る足音が。


 男が再び顔を上げると、“怪人”はすぐそばに立っていた。

 見上げる“怪人”の巨体は、まるで天を突いてそびえ立つ“巨人”のようだ。


 天へ向かって振り上げた“怪人”の片腕には、あの大きなハンマーのような武器が握られている。


「や、やめ!!…………」



 男の言葉を待たずに、ウォーハンマーは振り下ろされた。


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