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赤い空、赤い街


 仕込みを終えた最後のアイテム、銅製の鍋を満たすソース・デモニを、さじでひとすくいする。充分にソースの粗熱あらねつが取れているのを確認した僕は、目を閉じて、さじの先をそっと口に運ぶ。


(…………美味い!)


 さすが、国王陛下が招く他国の来賓らいひんや上級貴族も利用するような、王都の一流ホテルの厨房で長年修行を積んだシェフのレシピだ。

 こんなに美味しいものがこの世に存在するのか!僕はここで働き始めてから、何度その驚きと感動にとらわれたか、もう数え切れなくなっている。


(役得とは言え、もしかしたらこうやって味見させてもらえるだけでも、とんでもない幸運なんじゃないだろうか?)


 働き始めて一週間とちょっと。今夜の仕込みの作業の多さはそれこそ初めて経験する膨大な量で、立ちっぱなしのぶっ通しで仕事をしていた僕の足は、疲れのあまり棒のようになっている。

 だけど、そんな苦労も、この一口のソースの美味さで報われた気分だ。


 舌の上にさあっと拡がっていく、骨太でありながらも主張しすぎない確かなうまみ、盤石な土台のような重厚なコク、上品な各種野菜の甘み、そして素材の一つであるカプル牛のあぶらの、芳醇な香り(フレーバー)


 完璧な調和ハーモニーだ。凄い、凄すぎる。


 ぱっと見は山賊の頭目のような、いや、無法者一家の親方か?とにかく、シェフのあのいかつい顔からはこんな味、とても想像できない。

 この味に比べたら、例えば僕が妹と作っていつも家族に大好評だったポドル豆とヒード麦の煮込みなんて、まったく子供のお遊びもいいとこだ。

 そもそも、使ってる食材からして、何もかもが違いすぎる。


 これが……これが、プロの料理の味なのか!


 僕はしばらく目を閉じて顔を少し上げたまま、口の中に残ったソースの余韻よいんひたっていた。



「…………何やってんの?アンタ」


「うわぁっ!!」


 いきなり聞こえてきたララさんの声に驚いて、僕は手に持っていたさじを放り投げてしまう。


「早くそれ、しまっちゃいな。ボヤボヤしてると、ホントに朝になっちゃうよ。このさい言っとくけどね、アンタ。ウチでやっていくなら、今の仕事の速さじゃあ、この先通用しないからね。アタシ、もう全部終わった頃かな?と思って戻って来たのにさ」


 厨房の入り口にもたれかかったララさんは、あきれたような目付きをして、厳しい表情で言う。

 今現在、厨房に残っているのは、僕と彼女の二人だけだった。


「俺は帰るからよ!後はやっとけよ、クソったれども!」シェフがそう言い残して帰った途端とたんに、ララさんは「休憩してくる」と言い残して、ソースと他に残った細かい仕込みを僕に任せて姿を消した。

 ララさん以外の他の先輩たちは、とっくに受け持ちの仕事を終わらせて帰ってしまった。

 仕方なく僕は残った仕事と、さっきまで孤軍奮闘していたのだ。それにしても、ララさんは僕が失敗したり、何かやらかしていたら、どうするつもりだったんだろうか?


「ウチの旦那様だけどさ、お貴族様の仲間入りをするかも知れないって、最近もっぱらの噂だよ。そうなったら夜会だなんだで、しょっちゅう今夜みたいな仕事になるんだ。アンタ、今のまんまじゃ、寝る暇も無くなるよ」


 続けて言いながら、近付いてきたララさんは近くにあったさじを取ると、ソースをひとすくいして口に運ぶ。


 それを見た僕に緊張がはしる。


 先輩たちの話だとララさんは僕の9歳年上、26歳らしいが、彼女は13歳でこの道に飛び込んだベテランだ。この厨房内ではシェフに次ぐ二番手、いわゆるスーシェフを務めており、彼女のチェックと調理中に響かせる怒声には、荒くれ海賊のような先輩でさえも子犬のように縮み上がる。


「……美味いじゃん…………」


 ララさんは真剣な表情で、ポツリとそう言った。

 どうやら合格らしい。僕は心の中で、ホッと胸を撫で下ろす。


「ま、これだけじゃ何とも言えないけど、シェフが“スジが良い”って言ってたのは、あながち買いかぶりじゃなかったって事かもね。確かにアンタ器用だし、丁寧な仕事するよね」


 想定外のお褒めの言葉に、僕は疲れが吹っ飛んでしまうかのような感覚にとらわれる。スーシェフである彼女の言葉は、僕みたいな下っぱにしてみれば天からの声にも等しい。


「だけど手の速さと仕事の要領はてんで話にならないよ。……だからボーっとしてないで!さっさとそれをしまいなったら!」


 一転してお叱りの言葉を頂いた僕は、慌てて動き出す。用意しておいた三つの壺に小分けしてソースを注いだ後、その口を布で封をして紐で縛り、間違っても落としたりしないよう、氷室チャンバーへとひとつづつ慎重に、かつ急ぎ足で運ぶ。


「あと溜まった野菜くずとゴミ、出しといて。アタシが鍵をかけないといけないんだから、早くしてよ」


 調理場と氷室チャンバーを往復する僕を横目で見ながら、ララさんはおもむろに煙草を取り出すと、オーブンに残している種火で火を付けた。そしてゆっくりと紫煙を吐き出しながら、無情にも、あの膨大な作業量で出た大量のゴミを僕一人で片付けるよう指示を飛ばす。


 彼女の指示に対して異を唱えるとか手伝って欲しいとか、下っぱである僕にはそんな事を言える権利など、天地がひっくり返っても存在しない。

 疲れた体に鞭打つようにして、ソースをしまい終えた僕は作業にとりかかった。


「あーあ、旦那様が《ドラセルオード・チャンピオンシップ》の慰労いろうパーティーをウチでやる、なんて言いださなけりゃ、アタシも大会を観戦できたかも知れないのになー。ほーんと、貧乏くじだよ、まったく」


 作業台の上に腰掛けて足をぶらぶらさせながら、くわえ煙草で彼女は言う。


《ドラセルオード・チャンピオンシップ》。その単語を聞いた僕の手が、ピタリと止まった。


「アタシだって《エンシェント・ディバウアーズ》、っていうか、“豪槍”シュベルツ様のカッコ良い勇姿を見たかったのにさぁ…………はあー、もう終わっちゃってる時間だよ。あーあ、残念だなー……」




《ドラセルオード・チャンピオンシップ》……



 “ダンジョンコンクエスト”……



 冒険者だった僕の、


 冒険者だった、僕たちの……目標。



 ああ……


 キドル、

 セリエ、

 ベラン、

 カーラ、


 そして…………ルーシア。



 ごめん。

 ごめんよ。

 本当に。


 本当に、ごめん。




 ダメだ。

 ここの仕事が忙しいのをこれ幸いとばかりに、頭から追い出してたのに。


 ダメだ。

 思い出してしまった。



 そりゃあそうだよ。

 あんなの、忘れられるわけがない。


 あんな、あんな惨劇…………。



 でも、それ以上に、


 みんなと過ごした「冒険」を、


 あの、「冒険」の日々を……



 忘れられるわけなんて、ないじゃないか。



 ダメだ、涙が……

 涙が出てき……



「イーブ!何を止まってんのさ‼︎ 急げって言ってるだろ‼︎」



 あれから何度襲われたか分からない後悔と感傷。


 そこへ沈んで行こうとする僕を、

 ララさんの怒声が力ずくで現実へと引き戻した。


「はっ、ハイ!すびません‼︎」


 僕は慌てて再び動き出す。


 そうだ、動け!動くんだ!


 疲れてクタクタにならないと、後悔と悲しみで、ろくに眠れやしないんだから。



 僕は感傷を振り払うかのように、目に溜まった涙を調理服の袖でぬぐうと、なかばヤケクソのような感じでゴミおけを厨房の外へと引きずって行った。




 重いゴミおけを引きずりながら裏口の扉を開けて、お屋敷の外へ出る。


 ゴミ貯め用の小屋まで進む途中でふと遠くの空を見上げた僕は、その瞬間目に飛び込んできた光景に、思わず足を止めてしまった。


 作業を急がないといけない僕だったが、止まったまま動けない。

 それだけ目に見える光景が、異常なものだったからだ。


 夜の闇がこれだけ深いというのに、その闇とは対照的に、遠くの空が真っ赤に照らされている。


 正確には、夜空に浮かぶ雲が赤く照らされているようなのだが、その雲の下で、遠くに見えるドラセルオードの街が、何とも怪しく、赤い光を放っていた。


(何だろう、あれは?……)


 遠すぎて、街で何が起きているのかまでは分からない。

 だけど、空を照らす赤い光は、言いようの無い不安を心の中に湧き出させるかのような、そんな怪しさをたたえていた。


「だーかーら‼︎ さっさとしなさいったら!まさかアンタ、アタシに手伝わせるつもりじゃないでしょうね!」


 裏口から現れたララさんが僕に向かって怒鳴る。


「ララさん……あれ…………」


 僕は顔だけをララさんの方へ向けて、街を指差す。


「…………何あれ?……えっ?何が起きてるの?」


 ララさんも街の異常に気付いたようだ。

 般若オーガの形相は、たちまち呆然ぼうぜんとした表情へと変化する。


「まさか、あれは……火事?だけどもしそうだったら、あんな……凄い色で…………一体、どれだけの大事おおごとになってるの?」


 ララさんの口から、困惑したような声で言葉が漏れ出す。


 僕たちはそのまましばらく固まった状態で、赤く照らされた空と、その光源である赤い街を、呆然ぼうぜんと眺めていた。


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