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ヴァルソリオの名にかけて


「嘘でしょ…………、勝っちゃったじゃないの…………」


 いまだに映像が波打つように揺れ、時折り目障りな黒い線が走るクリスタルモニターの大画面を見つめたまま、“お嬢様”はポツリと呟いた。


 言葉につられてレエモンが画面から視線を移して“お嬢様”を見ると、彼女は片方の手をあごに添え、その手の肘をもう片方の手の甲で支える形で腕を組み、変わらず画面に見入ったままだった。


「やはりあれは…………“魔法”、なの?……でも…………いいえ、そうでもないと、こんな結果、有り得ない。説明がつかないわ…………」


 “お嬢様”は興奮と熱中のあまり、いつの間にか腰掛けから立ち上がっている。直立不動で画面を見つめたまま、真剣な表情でブツブツと何事か呟いている彼女は、完全に自身の思考にどっぷりとかっているようだった。


 クリスタルモニターの画面に吸い込まれてしまうのではないか?そう思ってしまうほどに、彼女は食い入るようにして映像を凝視している。



 レエモンはクリスタルモニターの画面に視線を戻す。


 画面には《ドラセルオード・チャンピオンシップ》の舞台となったダンジョン、大会の最終目標地点である“首の無い女神像”が鎮座する空間が、変わらず表示されていた。

 冒険者たちが使用した照明ボルトの、すっかり弱くなったそのあかりが、頼りない光量で薄暗い空間の様子をおぼろげに照らし出している。


 空間の地面にはいくつもの冒険者たちの亡骸なきがらが無造作に横たわり、弱まっていくあかりに照らされている。そのせいか、なんとも空虚な静寂が薄暗い画面全体を覆い、物悲しい雰囲気を漂わせていた。


 しばらく前までは、あの亡骸なきがらたちは確かに生きて動いていた。しかし、まるでそんな事は嘘だとでも言わんばかりに、乱れて荒れたままの画面は、時間が停止してしまったかのような空間を、ただただ無機質に映し続けている。



 “怪人”ことヒャクリキの姿は、すでに空間から消えていた。



 やはりレエモンには目の前で起きた事が信じられなかった。

 どう考えても冒険者たちに捕縛、もしくは“制圧”される結末しか用意されていなかったはずなのに、ヒャクリキはその結末から逃れたばかりか、彼を追っていた冒険者たちのほとんどを、逆に返り討ちにしてしまったのだ。


 “お嬢様”が注目しているであろう、あの「黒い霧の発生」という謎の現象から全ての流れが逆転、反転してしまい、そこからの展開はまるで、この世界における法則が無理矢理にじ曲げられてしまったかのようだった。


 画面の中で繰り広げられた惨劇の犯人があのヒャクリキであるという事実にも、レエモンは全く実感が湧かないでいる。

 レエモンがヒャクリキに抱いていたイメージと、画面の中で暴れていた“怪人”との間には、想像を超えた乖離かいりが存在していた。


 あの夜、レエモンの前に座って仏頂面を浮かべていた寡黙かもくな男。

 見た事も無い意匠の祭壇の中で燃える炎。その炎に向かって祈る、野蛮で未開な、原始的とも言えるその信仰心。

 取引の現場で羊皮紙に記入された内容をきちんと確認するという、密猟者とは言え職業人であればやって当然である事を、面倒なのか文字が読めないのか、あの男はやろうともしなかった。

 そのくせ目に見える硬貨の山の大小には、分かりやすく露骨に反応していた。


朴訥ぼくとつ」、とでも言えば良いのだろうか。レエモンの中のヒャクリキ像を述べるなら、「確かに狩人としては有能だが、見るからに不器用な生き方しかできそうにない、小さくまとまった人生を送る男」であり、これほど大それた事をしでかすような予感など、出会った時から今夜に至るまで、全く感じた事が無かったと言える。


 まるで全てが悪い冗談か何かのようだ。奇妙な滑稽こっけい劇を見た時のような不思議な感覚が、レエモンを包んでいた。




「レエモン‼︎‼︎‼︎」



 いきなりその不思議な感覚を割り破るかのようにして、“お嬢様”のハリのある透き通った声が、レエモンの意識を貫いた。


「はっ!はひぃっ‼︎……」


 レエモンは驚きで上擦うわずってしまった返事とともに、バネ仕掛けの器械のような動きで反射的に“お嬢様”の方を向く。

 それと同時に、レエモンを包んでいた不思議な感覚は、強風に吹き飛ばされるちりのように、どこかへとき消されて飛んで行ってしまった。



 見れば“お嬢様”は胸の前で腕を組み、足を肩幅に開いた威風堂々(いふうどうどう)たる立ち姿で、真正面からレエモンの方へ向き直っていた。

 その立ち姿は、“お嬢様”の細いからだには到底不釣り合いな威圧感を全身にまとって、ぐいぐいとレエモンを圧倒して来る。


 自身を押しつぶそうとするかのようなその威圧感に、レエモンは完全に飲み込まれていた。まるで鞭の痛みで調教される家畜のように、その威圧感の感触が、皮膚の上から染み込むようにして刷り込まれていく事を、レエモンの意識もまた、自覚し始めていた。



 そう、あの雰囲気。


 獲物を前にした肉食獣のような雰囲気。


 生まれついての“捕食者”が哀れな“被捕食者”に対して放つ、心臓を鷲掴わしづかみにするかのような、あの威圧感の感触だ。



 “お嬢様”は形の良い唇を小気味良く動かしながら、ハリのある透き通る声で言葉を続ける。


「私の目を見て答えなさい‼︎ 先に言っておくけど、いかなる嘘も私には通用しないわよ‼︎ レエモン、あなたはあの“怪人”が何者なのかを知っている。それは間違い無いわね⁉︎」


 途端とたんにレエモンの視線は“お嬢様”の両目に釘付けになった。

 まるで「目を見ろ」という“お嬢様”のその言葉が、威圧感を通してレエモンの体に侵入し、体の自由を奪ってしまったかのようだ。


「は、はい。あの男……冒険者たちを蹴散らしたあの“怪人”こそが……商品をお見せした際にお伝えした、私が抱えている“狩人”でございます……」


 レエモンは震える声で答えた。我ながら情けない声を出していると自覚はしているが、“お嬢様”の威圧感を前に、声の震えを抑える事ができない。


「そう……それは上々(じょうじょう)上々(じょうじょう)だわ。ならばあなたにはできる。できるはずよ!」


 そう言うと“お嬢様”はるようにして少しだけあごを上げる。彼女が勢い良く鼻から空気を吸い込むかすかな音が、レエモンの耳に届いた。


 “お嬢様”の翡翠ひすい色の瞳が輝きを増し、突き刺すような視線でレエモンを貫く。


 レエモンの心臓が“お嬢様”の威圧感に圧迫される。

 呼吸は浅く、息苦しい。

 レエモンの体は石のように動かない。


 このまま“お嬢様”の威圧感に押しつぶされて死んでしまうのではないか?

 そんな恐怖を感じたその時、レエモンは視線を釘付けにされた“お嬢様”の両目、その中心に輝く翡翠ひすい色の瞳、そこにあらわれた、ある特徴に気が付いた。


 瞳の中心に開く瞳孔どうこうの形が、普通の人間とは明らかに異なっている。


 それは普通の人間の瞳孔どうこうに見られる丸い形、いわゆる真円ではなく、縦長に割れて開くような形をしており、爬虫類や猫科の肉食獣が持つ瞳孔どうこうの特徴と、そっくりそのまま同じだった。


(あの瞳は何だ?……まさか……彼女は普通の人間では無い、のか?)


 レエモンがそう思った次の瞬間だった。


 “お嬢様”は、まるでたける竜を思わせるかのような、爆発的な大迫力で咆哮ほうこうした。



「“竜王”ヴァルクェイガーの末裔すえにして!暴君ドゥアボラの血脈たるこの私‼︎

エミーリア・ルゥ・ウリアネス・ヴァルソリオが!その名にかけてあなたに命じるわ‼︎‼︎ 良いこと?私の命令を、しっかりとその頭に焼き付けるのよ‼︎‼︎」


 

 レエモンは頭を巨岩で殴りつけられでもしたかのような衝撃を受ける。

 “お嬢様”が、彼女の真名まなを名乗った事に。


 “お嬢様”はレエモンの正体をすでに暴いているという事実を告げた上で、彼に対して自身の真名まなを名乗り、しかもその名にかけて命令を与えると言うのだ。


 それが一体どんな意味を持つのか?


 貴族社会に多少なりとも関わりを持つ者として、

 法に背いて生業なりわいを立てる犯罪者として、

 レエモンは当然その意味を理解していた。


 それはすなわち、「絶対命令」である。


 “お嬢様”の命令とやらがどんな無理難題だったとしても、彼女ほどの立場の人間に弱みを握られた上で、さらにその名にかけて命じられてしまっては、もはやレエモンにはその命令に従う以外の選択肢は存在しなくなってしまうと言えた。


 レエモンの動揺をよそに、“お嬢様”は言葉を続ける。



「あの“怪人”を、どんな手段を講じてでも私の前まで連れて来なさい‼︎ もちろん五体満足の状態で、よ!決めたわ!私はあの“怪人”を何としてでも手に入れる‼︎ そして私の“従士”として従えるわ‼︎ あの“怪人”に、私の“剣”として!私の“盾”として!その命尽きるまで身を捧げ、働いてもらうのよ‼︎」



 “お嬢様”は荒れ狂う河川の奔流ほんりゅうのような、怒涛どとうの言葉の勢いで、それでいてよどみ無く、その命令をレエモンに下した。

 彼女が発した命令が、言葉が、その声が、その音が、叩き付けられるかのようにして、レエモンの鼓膜を振動させる。



 レエモンの脳は“お嬢様”の命令の内容を理解するまでに、若干じゃっかんの時間を要した。

 いや、理解したというのは正確では無いのかも知れない。

 何を命じられたのかについては理解できるのだが、命令そのものが持つ意味は、レエモンにとって圧倒的な理解の範疇はんちゅう外だったからだ。



 それは狂気の沙汰さたと言って良かった。



 それはつまり、名門ヴァルソリオ家の次期当主が、よりにもよって“ドラセルオードの怪人”を“従士”として従えるという事。


 密猟に手を染めていたであろう反社会的な無法者を、

 あまつさえ《ドラセルオード・チャンピオンシップ》という大舞台で、参加した冒険者たちを無惨に殺戮さつりくした、残酷で不気味な殺人鬼を、


「天空の住人」とさえ呼ばれるヴァルスラッグ一族に連なり、「高貴の中の高貴」とされるヴァルソリオ家の次期当主が、その誉れ高い“従士”としてあの“怪人”を従えると、そう言っているのだ。



 それはまさに前代未聞。まさに狂気の沙汰さただった。



「決めたわ‼︎ 私、決めたわよ‼︎ 絶対に!絶対に、手に入れてみせる‼︎ 良いわね、レエモン‼︎ 首尾しゅび良くつとめを果たして、私の期待にこたえてみせなさい‼︎」


 レエモンは体を流れる血液が沸騰ふっとうして逆流するかのような、それでいて体が背骨から凍っていくかのような、そんな感覚に包まれ始めた。


 無茶苦茶だ。何もかも全てが滅茶苦茶だ。

 常識も良識もへったくれも何も、有ったものでは無い。

 これは本当に、現実なのだろうか?



 “お嬢様”は命令を伝え終わると、ついっ、と横を向いて再びクリスタルモニターの画面に向き直る。

 それによって突き刺すような視線と押しつぶすような威圧感からようやく解放されたレエモンは、自身の体重を支えきれず、力無く膝から床に崩れ落ちた。


 ゼエゼエと聞こえて来る自身の呼吸音に、レエモンは自分が呼吸をするのも忘れていた事に気付く。

 少し呼吸が落ち着いたところで、四つんいの体勢のまま頭をもたげてゆっくりと顔を上げると、視界の中に執事アントニオと、“道化”と呼ばれたあの小男が写っていた。


 アントニオは卒倒しそうになった時と変わらず苦しそうな様子で、座った椅子の背もたれに体を預けたままでいるのだが、その枯れ木のような体を何とかして動かそうとしているのが分かる。

 離れた場所に立つ“お嬢様”の背中に向かって、そのプルプルと震える手を必死に伸ばしていた。

 それと同時に白いひげに覆われた口をモゴモゴと重たげに動かし、何事かを“お嬢様”に伝えようとしているようだが、どうやら声に出せないでいるようだ。


 “道化”の方はと言うと、その全身をおおう着ぐるみのような衣装の、頭に被ったフードの部分を小さな手でぎゅうっと押さえたまま、これまたただでさえ小さな体をより小さく丸まらせて、床にうずくまってブルブルと震えていた。


 画面を見つめる“お嬢様”は、そんな二人の様子にはまるで気付かないでいる。

 二人だけではなくレエモンも、さらにはこの食堂の壁を背にして並んで控えている使用人たちさえも、まるで彼女の意識の中には存在していないかのような立ち姿だ。


(笑っている……?)


 レエモンが床に這いつくばった位置から見える“お嬢様”の横顔は、あたかも自身がこの世界の支配者であるかのような不敵な笑みを浮かべ、その目には燃え上がるような野望の光をたたえていた。


 レエモンの体が、急激に重くなるような感覚にとらわれる。

 その重さの正体が尋常じんじょうでない疲労感である事に気付くと同時に、これまた尋常じんじょうでない強さの睡魔が、レエモンの意識を襲い始めた。



「面白くなって来たじゃない‼︎ 燃やし尽くしてみせるわよ!この命‼︎ 衆生しゅじょうは皆、べて瞠目どうもくするが良いわ!私がこの世の一切いっさいあまねくすべてを、この命のきらめきで照らしてみせる、その姿を‼︎‼︎」



 “お嬢様”のハリのある透き通った声が、食堂に響き渡る。


 その声を聞きながら、レエモンの意識は昏倒こんとうの海の、その深く、深くへと、沈むようにして消えていった。


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