“神の代行者”ボードゥアン
ボードゥアンの「カウンターシールドバッシュ」によって空中高く投げ出されたヒャクリキは、そのまま緩やかな放物線を描いて飛んだ後、“首の無い女神像”に叩き付けられた。
「がはっ!」
背中越しに感じられる無感情で硬質な石の感触が、ヒャクリキの体を痛みと共に受け止める。その衝撃によって肺は潰され、空気が押し出される。
巨大な像の上部、かなり高い位置に衝突する事で飛翔運動を停止させられたヒャクリキの体は、今度は重力に引かれて地面へ向かって落下した。
真っ逆さまに落下した先には、幾つもの木箱が像の台座の横に据え置かれたまま積まれている。
“ダンジョンコンクエスト”運営の先遣隊がイベント前に残して行った、物資が詰め込まれている木箱。ヒャクリキが水を探して漁ったので、荒らされたように蓋が開いたままになっている木箱である。
それらの幾つかが、ヒャクリキのその大きな体と、その身に纏った装備を合わせた重量が落下するエネルギーによって、派手な破壊音と共に叩き壊された。
木箱とその中身である物資に叩き付けられ、続け様に痛みがヒャクリキの体を襲う。
しかし、ある意味運が良いと言えるのだろうか。それらがクションとなってヒャクリキを受け止めた形にもなるので、直に地面に叩きつけられたほどには、大したダメージを負わずに済んだ。
木箱の破壊と中身の物資が散乱するやかましい騒音が鳴り響き、土埃が舞い上がる。
ヒャクリキの体は、素材である薄板を派手に割り折られて形と機能を失った無惨な木箱の残骸と、その中身として収められていた散乱した物資に埋もれて、大の字に寝そべるような状態で横たわっていた。
「くそったれが……」
ヒャクリキは軽い苛立ちを覚えていた。
感情が言葉となって、恨めしそうな声と共に口から漏れ出す。
何に対しての苛立ちかと言えば、「トドメにあと一歩」のところまで敵を追い込みながらも結局は攻撃に失敗し、あのカイトシールドに無様に弾き飛ばされ、その結果、無惨に破壊された木箱と散乱した物資に埋もれている自分のその様に対してであり、
それ以上に、そうなるに至った自分の粗忽さに対してである。
あの攻撃の瞬間、ヒャクリキは「攻撃する事」に意識を支配されて、完全にボードゥアンの存在を失念していた。
つまり、暗闇の中で奇襲をかけた時と同じ失敗を重ねてしまった。
言い換えるなら一度やられた手に、無様にも、もう一度かかってしまったわけだ。
なぜ忘れていたのか。粗忽だ。戦士としてあまりにも粗忽過ぎる。
何ならむしろ一度目よりも派手に、空中高く撥ね上げられていたような気もする。
そう思うと、より腹が立って来るのだった。
「俺とした事が、何とも詰めの甘い…………ぐうっ!」
苛立ちの中、しかし同時に敵の追撃に備えて起き上がろうとして、ヒャクリキが重くもたげるように上体を起こすと、左手に痛みが疾った。
見ればシュベルツの槍が左手を貫いたままになっている。
それすら攻撃の最中は気付かなかった。
敵が追撃して来る気配が無い事に気付いたヒャクリキは、左手を貫通している槍をゆっくりと引き抜いていく。
(まあ、手応えは有った。これで厄介なのが一人減った事には違い無い。しかし、あの盾野郎はどうしたものか……こっちの攻撃がまるで通らねえ)
苛立ちを鎮めて思考を切り替えようとして、ヒャクリキは残ったもう一人の敵の事を考える。そうこうしているうちに、槍は左手から完全に引き抜かれた。
ヒャクリキは左手に空いた穴を注視する。その傷口を覆う「黒い霧」は量が少なく、傷が塞がっていくのも焦れったいほどゆっくりだ。
(やはり傷の治り方に“勢い”が無くなっている……どうやらこの“奇跡”も、そろそろ店じまいのようだな)
ヒャクリキは引き抜いた槍を忌々(いまいま)しそうに放り投げる。全金属製の槍は、怪力のヒャクリキにしてみても、かなりの重さを感じる物だった。
(それにしてもアイツら、追撃して……来ない、のか?)
ヒャクリキの耳に、冒険者たちが何か大声で言い合っている様子が聞こえて来る。
しかしよく聞こえない。聞こえて来ない。
それは上体を起こした状態のヒャクリキの体の上に、木箱に入っていた物資が散乱して絡みつくように、被さるようにしてごちゃごちゃと乗っているからだろう。
ヒャクリキはそれらを、鬱陶しそうに払い除けていく。今の体勢のままでは敵が追撃して来た時に先手を取られてしまう。
(追撃して来ないなら好都合だ。今のうちに体勢を整えさせてもらうとしよう)
ヒャクリキは立ち上がろうとして動き始める。
掻き分けるようにして物資を自分の前から押し除けると、ある物がヒャクリキの視界に入って来た。
「これは…………」
膝立ちになったヒャクリキの体のすぐ側に転がっていたのは、液体が入った緑色の瓶だった。
「シュベルツ、無事か?」
蹲ったまま動かないシュベルツに向かってボードゥアンは声を掛ける。
倒れた状態から起き上がるかに思えたシュベルツだったが、立ち上がる気配が見えない。どうやらあの“怪人”の攻撃で深傷を負ってしまったようだ。
「無事……じゃあねぇな。両腕が折れちまってる……動かせねぇ」
シュベルツは苦痛に歪んだ表情でそう答える。
「そうか……」
それに対してボードゥアンは普段通りの、感情の動きを感じさせない声で呟くように言った。
(上手くいかなかった、か……結果的にこのような状況になるとはな)
わざと自分から体勢を崩して隙を作り、敵を誘ってシュベルツとの連携の“罠”に上手く嵌めたはずだった。
事実、シュベルツは攻撃して来る“怪人”に、見事カウンターの一撃を加えてみせたのだ。
想定外だったのは、その攻撃では“怪人”を縫い止め、その動きを封じるには不足だったという事だ。むしろシュベルツの方が、逆にカウンターをもらう結果になった。
シュベルツは“怪人”の攻撃を飛び退いて躱そうとしたのだろう。頭部への直撃こそ免れたが“怪人”の間合いから抜け出せず、咄嗟に防御した腕に一撃を貰い、戦闘不能となってしまった。
あの“怪人”が言うところの「闘神の奇跡」とやらのせいで、簡単に終わるはずだった「制圧」は思いのほか苦戦し、長期戦となっている。
このような展開は、正直なところボードゥアンも予想していなかった。
(この状況は結局のところ、冒険者側の慢心と油断が招いた結果と言うべきだろう。敵はたった一人だ、という“甘え”がどこかに有った事は間違い無い)
一対多から一対一へ、冒険者側の数的有利はいつの間にか消えて、とうとう“怪人”と一騎討ちだ。
「ボードゥアン!もういいわ‼︎ シュベルツを抱えて“怪人”から離れて!“怪人”が起き上がってきたら、私たち“後衛”が、ありったけの“飛び道具”を打ち込む‼︎ その方があなた一人で“怪人”と戦うよりも、ずっとリスクが低いはずよ‼︎」
コーネリアの声が飛んで来る。しかしボードゥアンはその声を聞きながらもその場から動かず、落下した“怪人”によって破壊された木箱の残骸が積み重なった山と、その山の奥の、“怪人”が埋もれているであろう場所を見つめたまま、そこから目を離さない。
(リスク、か…………確かに理屈ではそのやり方が正解だろう。しかし、“怪人”を“制圧”しようとした、ここに居る全てのチームが、結局は成果を上げていないのだ。負うべきリスクを負う事を、俺も含めた皆が恐れ、“共闘”を始めるのが遅れてしまったせいでな……)
「ボードゥアン!聞こえてる⁉︎ 一旦引きなさい‼︎ これ以上の損害が出たら、私たちは撤退するしか無くなるわ!」
コーネリアの声には僅かに動揺の色が混じっている。ボードゥアンが一向に動こうとしないからだろう。
(あの“怪人”は俺たちの前に現れてから、ずっと“捨て身”で戦っている。その決死の“覚悟”に対して、俺たちの数に頼った“甘さ”が押し負けているという事だ、それに……)
「ボードゥアン‼︎‼︎」
コーネリアがヒステリックに叫ぶ。
「コーネリア!悪いがその指示に従う事はできん‼︎ “後衛の飛び道具の集中砲火”という、こちらが切れる最大の攻撃の手札を切った上で、もしそれが通用しなかったとしたら、どうする⁉︎ 俺の“盾としての機能”を遊ばせた上に、最も効果が見込める手札を失う事になるぞ!」
普段は出さない大きな声でボードゥアンがそう主張したからだろうか、コーネリアは尚も何か言いたそうではあったが、悲壮な表情のまま口をつぐんだ。
(気絶していなければ、この会話を“怪人”も聞いているだろうしな。“怪人”に守りに入られて、遮蔽物を利用して“飛び道具”を無効化されたりしては意味が無い。手札を切るにしても、今よりももっと良いタイミングが必ず有るはずだ)
魔術の発動に必要な術者の精神力も、クロスボウのボルトや弓手の矢も、無限に残っているわけではない。
今大会の攻略で消耗し切った“後衛”たちが“集中砲火”をするとしても、おそらくはできてあと一回きりだろう。
(“怪人”は起き上がって来るか?いや、起き上がって向かって来るに決まっている。何しろ寄ってたかって嬲られ、殺されかけたのだ。ヤツの俺たちに対する敵対心と復讐心は最大限にまで膨れ上がっているはずだからな!)
崩壊した木箱の山を見つめたままのボードゥアンの視界の端で、蹲ったままのシュベルツに、救護役のアンネが駆け寄るのが見える。シュベルツは骨折の痛みが酷いのか、立ち上がって場所を移動するのも困難な様子だ。
(負傷したシュベルツを攻撃されないためにも、俺が“怪人”を引き付ける。そして“集中砲火”のチャンスを窺う。上手く“集中砲火”を浴びせたら、仕上げに弱った“怪人”を、俺がメイスで挽き砕く‼︎)
ボードゥアンはカイトシールドの持ち手から手を離し、首から提げた細い鎖に繋がれた“聖符”を掌に包み込む。
(“聖ヴァンダレイ”よ、どうか私に貴方の加護を与えたまえ……)
そして木箱の山と、シュベルツとアンネの二人とを結ぶ線上に立ち塞がって“盾”となりつつ“怪人”へと相対するべく、おもむろに歩き出した。
リーダーであるコーネリアの作戦を拒否して我を通す形にはなったが、自分としてはこれが最善の方法だと思っている。そして同時にこの作戦を選んだ理由に、個人的な動機が介入しているという、ある意味での自己欺瞞が存在する事もまた、ボードゥアンは自覚していた。
(忌々しい“怪人”め!穢らわしい邪教徒め‼︎ 奴があの卑劣で邪悪な命をヌケヌケと続けてきた今日この時まで、一体どれほどの数の命が、あの暴力の犠牲になったのか……考えるだに、悍ましい‼︎)
彼の落ち着いた足取りとは対照的に、胸の内では“怪人”に対する抑えようの無い強烈な憎悪が暴れている。
(何が、何が“奇跡”だ!ふざけた事を‼︎ この目で見ている以上、それが確かに存在するという、その事実は認めざるを得ん。だが、神が決めたもうた“生命の理”をああして冒涜するなど……まさに邪悪!まさに卑劣!まさに醜悪!見苦しい事この上無い‼︎)
そう、“元”神殿騎士として、
“磔刑隊”の一員だった者として、
現世での、“神の代行者”として、
(認めるわけにはいかん!断じて!貴様のような存在を認めるわけにはいかんのだ‼︎ もし仮に、“後衛”の“集中砲火”で決着が付いたとして、そんな結末が神のご意志に沿うはずが無い‼︎ そんなやり方ではダメだ‼︎ “神の代行者”たるこの俺の!俺のこの手で、ヤツを完膚なきまでに叩きのめし!跡形もなく打ち砕く‼︎)
ボードゥアンの視界の中で、木箱の残骸の山が動き始める。
残骸の一部がカラカラと音を立てながら落ちて行く。
(これは“機会”であり、”試練”であるに違い無い!そうだ!これは俺に与えられた“宿命”であるに違い無い!おそらく俺は今日ここで、俺自身の神への信仰と神の偉大さを、こうして証明するために生きて来たのだ‼︎)
胸の内で湧き上がり、膨らみ続ける歓喜と使命感を抑えきれず、ボードゥアンの身体が戦慄する。
それに呼応するかのように、残骸の山から破り出るようにして“怪人”が姿を現した。