鳴く猫は鼠を捕らぬ
暗闇に広がる炎の海。
意識が朦朧とするウンギョウの目には
茫然と立ち尽くすカソの姿が映る。
カソ「…え?アレ?…チ、違う……」
何が起きたのかも分からず立ち尽くすカソの後ろから大きな角を生やし、顔に雷のような傷のある少女が澄ました顔でゆっくりと現れる。
???「大いなる神秘ワカン・タンカの雷に打たれた貴方は、"逆さま人間"になったのです!……行動にはご注意を」
遡ること数時間前———
警戒心の解けたカソとヤマタノオロチを迎え入れる歓迎会パーティを開いていた一行。
ヤマタノオロチ「何につけても酒が呑める!はぁ〜いい世界だぜ〜」
ヘレナ「偉大なマハトマであるお方にこんなことは言いたくないのだけれど…あなたたちほんとに何も学ばないのね!?」
ヤマタノオロチ「いやぁ、それほどでもぉ〜?」
ヘレナ「褒めてないなんてツッコむ気にもなれないわ」
そう言って呆れたように肩をすくめるヘレナ。
一方でヤマタノオロチはヘレナの言葉などものともせずにさらにガブガブと盃の液体を口に流し込む。
アギョウ「ウンギョウ、今からでも遅くないわ。この呑んだくれから"巳の加護"を剥ぎ取りましょ!ね!」
ヤマタノオロチのだらしない様子に早速後悔しはじめる獅子狛犬の姉弟。
今度は口いっぱいにお肉を頬張るカソの方に目を向ける。
カソ「…………?」
アギョウ「…んー。あなたも心配ねぇ…?」
ウンギョウ「いや、カソ!お前はやれるよ、な?」
縋り付くように詰め寄るウンギョウにカソは口のものを一旦飲み込んでから答える。
カソ「……ッんーと。"十二支"?とか事情はよく分かんないけど、助けてもらったご恩はちゃんと返すゼ!」
ウンギョウ「んー…いいヤツではあるんだけどなぁ〜…」
アギョウ「あーあ。誰も彼もほんと頼りにならないわ。…もちろん自分たちのことは棚の上に上げさせてもらってるわ」
ウンギョウ「そんな恥ずかしいこと大声で言うなよ…」
あれやこれやと言いながら初対面の一同は交流を深め盛り上がる。
ヤマタノオロチ「ん〜…。水を差すようだけど、こんな呑気に宴会なんかしてていいの?」
一同の食事の手が止まる。
アギョウ「あーあ」
ウンギョウ「言っちゃった」
カソ「空気を読めてないのはオレでもわかったゾ」
冷ややかな視線がヤマタノオロチに集まる中、彼らは弁解をはじめる。
ヤマタノオロチ「いやいや!そりゃあ"オレらを助けてくれないか?"なんてあんなシリアスな顔で言われた後に何事もなかったかのように宴会されても流石のおじさんたちですら戸惑うって」
ウンギョウ「そ、そんな言い方してないし!」
アギョウ「いや、してたわ」
カソ「してたゾ」
顔を真っ赤にするウンギョウとそれにツッコむアギョウとカソ。
そんな中、険しい顔をしながらゆっくりと重い口を開くヘレナ。
ヘレナ「……まぁ、お二人がいつ話を切り出すのか私も気にはなっていたわ。プライドの高いお二人にはとても言いにくいことなのはよく分かるわ。けれど助けてもらう以上は状況を説明する必要があるんじゃないかしら」
ウンギョウ「プライド高いは余計だ!…けど、うん、話す…」
そう言いつつウンギョウが言葉を詰まらせていると意外にもアギョウが話を続けた。
アギョウ「ウンギョウも言ってた通り、私たちはこの地支神社に祀られていた神に使えていたの。獅子狛犬なんて古代オリエントの時代から続いて各地に広がる"社を護る精獣"という概念に基づいた信仰だから"この地支神社を護る"ってのが私たちのアイデンティティ」
ウンギョウ「だったんだけど…。ある日突然、その神が消えたんだ。いや、消えたのかも正直分からない。だってヘレナが来るまでその神の存在すら気付いていなかったんだから」
その奇妙な言い回しに重い空気が漂う。
ヤマタノオロチ「その神さんって名前とかないわけ?
」
ヘレナ「私もそれを調べに図書館……所謂"アカシアの記録"というのかしら。世界の全てが記録された図書館まで行ってきたのだけれど…分からないの」
カソ「全てがあるのに分からないなんてことがあるのカ?その本を見つけられなかったとかカ?」
ヘレナ「いいえ、そうじゃないの。誰かに書き換えられて無かったことにになってしまっている。正確には書き換えられつつあるみたいなの」
アギョウ「私たちは広く深く信仰に根差しているから大丈夫だったのかも知れない。もしくはまだ書き換えが完了してないからこんな中途半端に私たちと神社だけが残っているのかも」
ウンギョウ「分かるのはその神が地支、つまり十二支と何らかの関わりがあってその十二支の加護だけがここにあるっていうことだけ。もうほんと、宴会することしかできないんだよ」
ヤマタノオロチ「たしかにー」
アギョウ「確かにじゃない」
ヤマタノオロチ「当たり冷たくない?」
ヘレナ「私の方も図書館には当分入れそうにないのよねぇ…」
ウンギョウ「何かあったのか?」
ヘレナ「私がというか、学校の生徒たちが……いいえ。とりあえずこの接続端末を借りてきたから最低限の情報は大丈夫よ!」
ウンギョウ「え、持ち出し可能なの?!」
そうしてひとまずの宴会は続いた。
ヤマタノオロチ「…うぷっ。呑み過ぎた……。気持ち悪い…。ちょっと外の空気吸ってくるわ」
青い顔をしたヤマタノオロチは広間を抜け裏手の縁側へ向かった。
アギョウとカソは寝転び、ヘレナとウンギョウはアカシック・レコードの端末である本を繰りながら手掛かりを探す。
ヘレナ「ここなんだけど、地支神社に関する情報が読み取れない状態なの。逆に言えばまだ完全に消えているわけではないから原因を取り除けば元の状態に戻るんじゃないかと思うの」
ウンギョウ「うーん…。オレには白紙にしか見えないなぁ…」
ヘレナ「そうなのね…やっぱり私みたいな全く別の、第三者の観測者が必要なのかしら?」
———ドゴーーン!
突如、床が揺れる。
拝殿の表側から何かの衝撃で崩れるような音が響いた。
アギョウ「ッなんなの?!」
一同は一瞬固まっていたがアギョウの声に音の方へ走り出した。
焦げた匂いと木造の建物がパチパチと燃える熱気が襲う。
そこに広がっていたのは…
カシャ「ゴメンよー!狛犬ちゃんたち。身体がいうこときかないわ!」
ウンギョウ「カシャ?なんでおまえが…」
俥夫の姿をした猫耳の青年は二股に分かれた尻尾の先からメラメラと炎を燃やし、とても楽しそうにまだ燃え広がっていない拝殿へ向かって大きく尻尾を振るう。
アギョウ「やめて!!!!」
ガシャンと大きな音を立ててカシャの尻尾がぶつかった拝殿の扉が崩れ、そこから炎が燃え広がる。
顔見知ったカシャの突然の攻撃に身体が固まるアギョウとウンギョウ。
まだ動けるカソとヘレナはなんとかそれぞれできることをしようと一歩前へと踏み出す。
その間もカシャからの攻撃が止まらない。
カシャ「違うんだ!ゴメンよ!…ハハハっ、こ、こんな地獄みたいにしてしまって!」
ヘレナ「とりあえず彼の攻撃を止めなければ…。彼が例のカシャね、えーt…キャッ!!!」
カシャの弱点を探すため本を繰るヘレナに割れた瓦が飛んできて手から本が滑り落ちる。
カシャ「ゴメンよ、ゴメンよー。おまえも死んだら地獄に連れて行ってやるからなぁ」
そう言いながらヘレナへ炎の塊が直撃しようとしたその時
カソ「焼き尽くせ、"不尽木!!"」
カソは咄嗟に自分の住処でもある不尽木の枝を炎の塊を打ち返すように振う。
するとその枝はカソの背丈ほどの長さとなりその内部はメラメラと炎で満たされていた。
その不尽木の炎はカシャの炎よりも火力が強くそのままカシャごと吹き飛ばした。
カソ「…ッ?!な、なんダ、コレ?!」
身体中を漲る力にカソは困惑していた。
一方、吹き飛ばされたカシャは目を回し、ふらふらと起き上がる。が、攻撃を再開することはなかった。
カシャ「……あ、あれ?戻った…か?」
カソ「……ッ」
カソたちはカシャに対して身構える。
カシャ「お!戻った!!嬉しくて笑える!痛くて悲しい!!……ッ!ちょっと待って!!ごめん、もう大丈夫だから!!」
目まぐるしく表情を変えるカシャに対して危険性は見られない。
一同状況が理解できないところに突如として雨が降り始める。
???「はぁ…。やはり信仰の力は偉大ですね。"加護"のないままの神器では一時の影響しか与えられませんか。不本意ですがやはり彼の作戦に協力するしかないようですね」
拝殿の入り口に大きな雷が落ちる。
目が眩む先に見えたのは大きなツノが生えたヒトのシルエット。
——カッ、カッ
おもむろに参道の真ん中を歩くその姿はどこかの民族衣装を身に付け、顔には雷のような大きな傷があった。
——カッ、カッ
顔に傷のある少女?「私はバッファローの部族より遣わされました娘。名はプテ・サン・ウィンとでもお呼びください」