雨後の彼岸花
私の記憶には、日々の空虚で、澱み、捩れたこの気持ちを晴らしてくれる。
そんな事を望んでいた、邪な私の心持ちが、起こした出来事だと分かっています。
分かっているからこそ、怖いのです。
望んで出て来たそれは、私の目の前に現れては、消え去りました。
しかし私がそれを呼んだのです。
私が呼んでしまったのです‥
夏休みも終わり、二学期が始まったクラスには転校生がやってきました。
肩にかかるくらいの綺麗なボブカットのその少女は、割合可愛らしい子だったと記憶しています。
男子はその幼なげで、丸い雰囲気を持ったその少女に好意を抱くものは少なくなかったですし、女子もその屈託のない笑顔と、細かいところに目が届く親切心と繊細さに心惹かれては、すっかり人気者としてクラスの中では地位を確率していったのです。
いきなりやって来てその子はクラスの上位にランク付けされたのですから、その光景を私は良くは思ってはいませんでした。
無論、嫉妬心がジワジワと湧いてきたのを今でも覚えています。これはいけないことだと知りつつも、この少女へは、嫉妬心や憎悪、といった醜悪な思いを胸三寸に抱えていました。
私はこれといって社交性が高い訳ではないのですが、運動もでき、勉学もそこそこ、性格もみんなの前では猫を被っていたものですから、クラスの中での比較的地位の高い位置にいることが出来ました。そうしてクラスのみんなからの信用もある程度持ち合わせていたと自負しています。
そんな者が、その少女へ嫉妬心や憎悪を向けるという事はどういう事でしょう。
普通ならその信頼を使っては、少女を虐めたり、妬み嫉みを言っては、少女の悪い所、気に触る所を論う。髪を引っ張ってみたり、少女の文房具をぐちゃぐちゃにして、校庭に投げてる。はたまたトイレで這いつくばらせては、屈辱というものを味合わせる。終いには少女がついぞ学校へ来たいと思えないようにする。なんて事になるんでしょうか?
しかし私はその辺の感性が平均の人とは変わっていたというか、違っていたのです。
嫉妬心や憎悪を持っているのだけれど、その吐き口や出し方を知らずに生きて来たのです。
これはおかしな話だと思われるかもしれませんが、そもそも、私はその心の内にあるモヤモヤや騒めきと言った胸三寸を当初、嫉妬心や憎悪だと認識していなかったのです。
よくよく考えれば、かえってその方が恐ろしいのやも知れません。無自覚に向けられる嫉妬心や憎悪は、形を作れずにいた怪物です。
これから何処へ行くべきか、方々あてを彷徨い、畢竟その対象物を呑み込むまでは止まれないのです。
形を迷っていた私の嫉妬心と、憎悪は、9月の終わり、紅色の彼岸花の咲く季節に形を成しました。
その鮮血にも似た彼岸花の紅色は、私の中の怪物を呼び起こす契機となりました。
私の通学路近くにある、その紅色の彼岸花の咲く野原には、多くの彼岸花が群生していました。
傍目から見れば単に綺麗な光景でしょうけども、私に取っては単に綺麗な光景ではなかったのです。
6弁の花を放射状に上へと細く鋭く咲かせていてその花を見た私は、その花がまるで何かを捉える手の様に思えたのです。
その時に私は、心内に確かにある、そのものを吐き出せる手段を思い出したのです。
それはその地域に伝わる伝承のようなものでした。
雨後に咲く彼岸花を一輪、その者に添えると、その者は、魂を冥府に取られる。
という伝承でした。
私はつい、出来心でした。
醜い怪物だと、思って貰って構いません。
それは許される事ではないのです。
同級生を嫉妬心やその個人的憎悪に任せて、
呪いをかけようとしたのですから。
それは分別のつかない愚かで醜い者であったと同時に、幼く、純な好奇心も相まった行動だったのです。
私はまだ咲かない彼岸花に輪ゴムをつけては、雨が降るのを待ちました。
私はもうその時には罪悪感とか、自己嫌悪とか、そう言った常識や倫理といった箍から、完全に外れていました。
一種の狂気状態に陥っていました。その意味では本当に呪われていたのは私自身やもしれないのです。
しかしこう言っては、私が言い訳がましく聞こえてしまうでしょう。
それは私としても本意ではない。
しかしそこまでしてその伝承を、呪いを、試したくなった私の心持ちを察して頂けるのなら幸いです。
幸か不幸か、雨は一週間は降らず、やきもきした思いを抱えては、学校にいるあの憎い少女の後ろ髪を見つめていました。
しかし堪えるのはそこまででした。
ついに雨が降ると、翌日私は彼岸花の咲く野原に行っては、輪ゴムをつけた彼岸花を探しました。
すると一輪。あったのです。天に向かって放射状に伸びるその花が。
無論、毎日通って雨後に咲いた花かどうかを確かめてはいましたが、それでもやっぱり雨後に咲いた彼岸花であるかは一日中見張っていた訳ではなかったので怪しいとも思っていました。
しかし、直感でこの花だけは間違いなく、雨後に咲いた彼岸花だと確信したのを覚えています。
その一輪の花だけは他のどれとも違う、異様に惹きつける雰囲気を持ち、紅色の彼岸花の色がより鮮血色であったのが私の心を揺さぶりました。
私は震える手で、その一輪の花を摘み取ると、その足で、学校へと舞い戻りました。
そうして、クラスの隅に追いやられていた透明なガラスの花瓶を見つけると、そこに彼岸花を入れて、水を入れる。そうして、彼岸花を生けてやったのです。
そうすればあとは、することは一つです。
少女の机の上にその花瓶を置いて、こう言うのです。
「雨後に咲いた彼岸花、咲いた、咲いた、彼岸花。隠れた魂、連れてお行き。」
私は伝承通りにその言霊を発しました。
すると、私は急に立ち眩みがして、その場にしゃがみ込みました。
すると、私の中に何か邪悪とか、禍々しいと形容される何かが、来たのが分かったのです。
ふと生けた彼岸花を見ると、彼岸花の花からツーッと黒い雫が垂れていたのを鮮明に覚えています。
怖くなって私はその場から逃げました。
もうこんな事はやめようと、心に誓いました。
しかしふと思うのです。
これでは何も起こるまい。
そんな風に思うのです。
人間とは自分にとっては都合の良い風に取るものなのです。そんな弱いものなのです。
私も無論そうでした。
翌朝、少女はその生けられた花を見て無論青ざめては、血の気が引いているのが側から見ても分かりました。
そんな気持ちも分からない私は単に、その生けた花ぐらいで大袈裟な。という心持ちでしたし、少女に少しばかりのお灸を据えた。
本当にそのぐらいの感覚にしか思っていませんでした。
しかし本当の恐怖は後になってやってくるものだとは私は知りませんでした。
あくる日、私達のクラスはかくれんぼをすることになりました。
あれ以来体調の優れない少女をかくれんぼの際にも介抱しては、いい人を演じる事に満足していた私は、少しばかり憂さが晴れたと言いましょうか、私の心持ちは少しずつ上向いていました。
そんな折、クラスのみんながかくれんぼに興じる中、二人で校庭の端で、二人して座していると、
少女は、ポツリと、
「隠れなきゃ‥」
そう言いました。
私にはとんとその意味が理解出来ませんでした。
少女は今、体調不良を理由に、かくれんぼに参加する事を折角免除されているのに、何故隠れるのか。
その時に私は少女に
「無理しないで。」
と声をかけました。しかしその声はどうにも届いていなかったように思えました。
徐ろに立ち上がった少女は、ゆらり、ゆらりと、まるで彼岸花が揺れるように校庭ではなく、校舎方へと歩いて行きました。
その時私はてっきりお手洗いだと思い、少女についていく事はしませんでした。
かくれんぼが終わり、皆が教室に戻っても、彼女の姿は何処にも見えませんでした。
先生もまた少女の行方を皆に尋ねましたが、誰一人少女を見た者はいませんでした。
大人は大騒ぎになって、少女を探しましたが、その姿は見えず。
まさに忽然と姿を消してしまったのです。
私は無論、不安になりました。
あのゆらり、ゆらりと揺れていたのは彼岸花の呪いでは‥
一抹の不安がよぎり、焦った私は下校途中、あの野原に寄ったのです。
そうして、私は彼女の姿を探しました。
もしかすると、彼女はここにいるのではないか。
そんな思いがしていたのです。
私は野原の彼岸花をかき分けては、彼女の姿を探しました。
するとふと、ある事を思い出しました。
あの伝承にはもう一つあったのです。
隠れた魂を呼び戻す言霊。
私は一か八か試してみました。
「雨後に咲いた彼岸花、咲いた、咲いた、彼岸花。隠した魂、戻しておくれ。」
すると、あたりが霧に包まれ、視界が悪くなりました。
暗闇を両手でもがいていた私に、突如として紅色の鮮血が顔に飛び散りました。
「ウワァ!」
と思わず叫び声を上げると、目の前には暗闇から出てきた六つの指を持ったカラカラに干からびた鬼の手が迫り、私の首を掴んで持ち上げました。
すると、こう言うのです。
「お前が隠した魂は、お前と交換だぁ!」
低くしゃがれた声。それはこの世の者の声とは、到底思えませんでした。首を絞められて引き攣る私を、その手は離してくれそうもありません。
そうして恐怖に支配された私は、言ってしまったのです。
「いやっ‥だ‥」
するとその手は一瞬にして消え、残ったのは、私の首筋に残った6本の指の跡だけでした。
その後のことはあまり話したくはありません。
ただ、これだけは言えます。
雨後に咲く彼岸花に、呪いの言霊を、かけてはいけないと。