黒風、ついに襲来する
「なるほど……割とよくやっているようだ」
真っ黒な空間、魔王の檻。魔王の根城。フラーレン公国の裏門、鉱山の洞穴。
魔王ラクシャーサが静かに言う。その荘厳かつ低い声には、期待の表情が浮かんでいた。
「惰弱で貧弱であり……あっけなく尸の山が築けよう。そう思っていたのですがねぇ」
「ッハ……ハハハ! 貴様の予測が外れようとは」
「悔恨にして屈辱の極みでございます」
その反対側にて、少し悔しそうな表情を浮かべ、跪くガーゴイルがいた。魔王ラクシャーサの配下、ガーゴイルのアルケイオンである。彼は自分の予想、予測が外れたことを悔いていた。
かつての自分曰く。この公国に連中は非常に惰弱で、非常に貧弱。魔王様の力によればあっけなく尸の山が築けようと……。騎士や貴族、冒険者。彼らと直接対峙し、少しだけだが話したことで確信したことだ。それを曲げることはない。
だが、彼らは耐え続けた。耐え続けた結果、あっけなくという言葉が通用する状態ではなくなっていたのである。
「善い善い。貴様の予想が一度外れただけで、我は機嫌を損ねぬよ」
ラクシャーサはワインを手にしてそれを口に運びつつ、部下を労うように言った。
「むしろ耐えてくれた方がやりがいがある。そう思おうとした方が良いだろう? 悔やむな悔やむな。楽しみが減る」
「そうでございましょうか! ならば悔恨の念を取り消しましょうとも……!」
アルケイオンは立ち上がった。魔王からそう告げられ、励まされる。それが配下である自分にとって何より最高の瞬間なのだと、知っている。
「嗚呼! この状況も楽しいと思おうではないか! 尸の山を築くのも良いが……抵抗の手を折って絶望させるのもなかなか甘美也! このアルケイオン……それを忘れていようとは!! 長き日々にて、魂が錆びつくとはこれこのこと!! ……錆落とし、感謝いたしましょう!」
アルケイオンは翼を大きくはためかせ、手を顔面に当てつつ狂喜の叫び声を上げた。その叫び声が、闇に響いて……大きくあたりを揺るがす。弱き生物ならば、これ一つで逃げ去り、倒れてしまうほどに、強烈な威圧感。
「調子を戻したか。今……いや元の貴様の方が好みだ」
魔王はその姿を見てほくそ笑む。
「配下として振る舞う貴様も中々であるが……やはり貴様には我と同じ感情がよく似合う。闘争。ただ闘いて、敵を潰し、虜囚を奪う。我の配下でありながら、その戦いの本能を両立できる者。だからこそ、貴様にいうことは一つのみ」
ラクシャーサは命令を下す前に、大事な言葉を話すように言葉を切った。
「存分に行動を起こすが良い。存分に戦うがいい。それを我は赦そうか!」
「ありがたき幸せなれば!! このアルケイオンは……魔王様のために、そして我の為に! 最高の戦果を得て参ろう!!」
ガーゴイルは、巨大な翼を大きく広げ……はためかせて。羽ばたいていった。
黒の風が、あたり一面を揺らす。飛び立ったガーゴイルは、もう止まらない。気ままなままに……喰らい、殺し、奪うのだろう。
拠点にはただ一人、魔王が残された。
「……さて」
一人小さく呟くと、誰もいない場所へと声を漏らした。
「入ってくることを許す」
「……はい」
その言葉と共に現れたのは、先ほどのガーゴイルとは明らかに違う姿をした存在。
白き鬼の仮面をつけた、何か。拠点の闇に、白だけが浮かび上がっている。
「貴様にも、いつか出てもらうことになる」
「えぇ。必ずそうなりましょう」
凛とした、鈴のような声で。悪鬼は言葉を交わした。
「我が魔物を一刀の元に斬り伏せ、アルケイオンにもその刃を喰らわせた。奴も感心するその力……示してもらおう。その為に、貴様を生かしておいた」
「えぇ、はい。必ずや」
短い言葉で、ソレは魔王に答える。
「……貴様の感情は読めぬ」
ラクシャーサはすぐに、そう言った。
「読めぬが……はっきり言って仕舞えば面白い。我の知らぬ、底知れぬものを感じる。一体、なんなのだろうな」
魔王はそう静かにつげる。悪鬼はそう言われて、一瞬黙っていたが……。
「……はて」
首を傾げて……口を開いた。
「底は……むしろ浅いと思うのですが」
「……ハハ、いうものだ。何も言わぬ物が、どう底を示す」
「……本当に底は浅いのでございます。なぜなら」
そういうと、悪鬼はゆらりと、蠢く。そして。
「何を思うにも……私の心は一つだけですので」
彼女は蠢いて、ラクシャーサの面前に立ち、見下ろしたのだった。
その姿をしっかりと見定めた魔王は、ただ黙っていたが。
「……善い。その一つを隠すことを許す」
荘厳な口調で、何も変わらずに。鬼へと言い放ったのだった。
「どうせ言わそうとしたところで貴様はそれ以上言うまい」
「えぇ、まあ」
「我の配下になるもの、それら全て自由。例え貴様が何を望もうとも……。全てが自由よ。我も自由なのだから、そうせざるを得まい」
ラクシャーサはただしっかり相手の顔を見据えてそういった。
その視線が、あの仮面に届いていたかは疑問ではあるが。
「……戻りますね。色々と収めなければ」
からん、からん。鬼は音を鳴らしながら、ゆっくりと去っていく。その姿を見て、魔王は小さく呟く。
「……底知れぬものよ。勇者といい……人は皆こうか」
10日間の魔王軍侵攻も、中日である5日目を迎えた。初日に総力を注ぎ、2日目以降は戦力は小出しにするという作戦は、かなり噛み合っている。さすが勇者たちが作り上げた作戦だ。おかげで騎士や冒険者たちも、かなり戦いやすい。
裏門の正面は狭い場所だ。全員で囲んで戦うより、数を絞って自由に動いてもらった方が、行動のしやすさから、彼らの実力を生かしやすいのだ。
何よりも体力やモチベーションを保ちやすい。裏側に引っ込んでいる者たちも、ただ休息を貪っているわけではなく、裏で鍛錬を行ったり、商業ギルドの指示のもと糧食や鉄鋼、燃料の運搬作業の手伝い行ったり。魔物への攻撃などで傷ついた武器や道具の修理や回復などもしているから、そちらも捗るというわけで、一石二鳥、いや三鳥の策であるのだ。
「私たち商業ギルドは流石に魔物たちとは戦えませんので……こういうふうに貢献できるのは良いことですわ。あ、こちら本日の差し入れでございます」
「ありがとうございます」
裏門の戦闘員集合所にて、琥太郎は女性から食事を受け取っていた。
彼女はエトワール。商業ギルド「リンクスピアス」の主だ。折りたたんだ扇子を持ちながら、飄々とした口調で話す。
「防衛はなかなか順調のようで、何よりですわ。私たちが傷つかないで済んでいますもの」
「俺だけがやってることじゃない……勇者やみんなのおかげでもあると思います」
「えぇ、それは理解できますとも」
エトワールと琥太郎。この二人はこの戦いにおいて、立場は違うものであるが、なぜかこうやってちょくちょく話す仲になっていた。
なぜそういう仲になったか。琥太郎はこう考える。彼女が自分のことを、面白く感じたのだろう……と。どこにそれを感じたのかは、正直わからないけど、とにかくそうなのだろう。
「あなたが戦いに挑むのは一日目以来となりますわね、そういえば」
「はい。でも……」
そうだった。琥太郎は再び戦いに挑むのである。一日目の全軍出撃以来となる戦いなのであった。
「最初の日以降は……青葉やシエテから色々聞いてましたからね。そこまでの戦いではないとも」
そう告げる琥太郎だが、エトワールは首を傾げつつ答える。
「んー、そうだと良いのですがねえ」
「何か疑念があるのです?」
「疑念という疑念ではないのですが。風が少し違うなと」
「風、ですか?」
「まあ、商業ギルドとして過ごしていく間に培われた野生の勘ですわ。気にしないでくださいまし? 注意を喚起するのは、不要なものではないでしょう?」
ばさっと扇子を開いて、エトワールは言う。要領を得ない人物だと思う。掴みどころがないと言うか。正しいことを言っているようだが、正しいことを言っているとは思えないというか。
これは商業人と冒険者の差なのかと、琥太郎は思った。商業ギルドは、金で繋がってなんぼの世界。裏切りも、後ろから刺すのも、多々あると言う。だからこそその言葉には飄々とした、要領の得なさを感じるのだろう。
「まあ、戦いに挑むのですから。注意ぐらいはしておくと吉ですわね、ほほ……」
「受け取っておきます」
エトワールは扇子を口に当て小さく笑った。その態度は人を小馬鹿にしたように見えるけれども……。言葉自体は正当だ。
「こったろー!! 呼ばれたからいくぞーー!」
「ウー、ウーッ!!」
「了解した。今から向かう」
そんな中で玲とオークの声が聞こえた。彼女たちは手を振って叫ぶ。
「それでは、ありがとうございました」
「あ、では最後に一つだけ」
踵を返して、琥太郎はエトワールにお礼を告げる。次に聞こえてきたのは、エトワールの小さな声。
一旦立ち止まって、琥太郎は言葉を聞くことにした。
「風の噂で聞いたのですわ。今日の戦いでは、勇者の一人である……えぇと、カトレアさんが出ると」
「カトレア……彼女が」
カトレア。勇者パーティの軍師で、作戦考案者。勇者たちとは別行動をしていたらしいが、今回彼女が前に出るのかと。琥太郎は不思議に思った。
「そのカトレアさんですわ。えぇ、それで。風の噂。これもまた風の噂なのですが……」
そう言うとエトワールは、言葉を切る。
「彼女にはちょっとした裏を感じますわ」
そう諭すように、琥太郎へと告げる。
「ちょっとした裏……?」
「はっきり言って仕舞えば……。勇者の中でも、彼女だけは……。私たちが知らない何かを抱えているようにしか感じられないのですのよ」
「俺たちが知らない何か……ですか」
確かに、カトレアは常に敬語で、魔王軍の作戦に対しては軍師然とした感じでつらつらと言葉を言い並べるけれども。自分を出している感じは全くしなかったのである。
少なくとも、光の勇者たるハミルには。かなりの敬意を抱いているのは分かるが。
「ま……私たちがそこまで思わなくていいことかもしれませんけれど」
やれやれと言った感じで肩をすくめつつ、エトワールは言った。
「ま、商業ギルドは疑ってなんぼですので……忠告だけ。私、手遅れは嫌いなのですわ……。それでは頑張ってくださいまし」
そして何事もなかったかのように、扇子をしまい……立ち去っていった。
「琥太郎、早くしろっての! 始まるぞ!」
エトワールが立ち去ったのを見計らって、玲が琥太郎を引っ張る。
疑問はあるけれども、まずは戦いにでなければ……琥太郎はそう考えるのだった。
「フランダムド!」
辿り着いた先では、巨大な火柱が上がっていた。それを叩きつけられた魔物が、音もなく消え去る。
「遅刻です。数十秒だけですが……」
戦場へやってきてそうそう。すでに魔物たちを騎士たちが押し留めていた。琥太郎たちへそう言い放つは、赤髪の魔法使い。
カトレアだ。巨大な杖を持って、鋭い目つきをしている。
「まっず、もう始まってる……!」
「留める……倒すことはしよう。数はそこまでじゃない」
玲が弓矢を構え、琥太郎もナイフと小瓶を持った。
「あれは毒か?」
「パイから貰ったやつだ。まだ毒物の調合に関しては、合格をもらっていない」
「合格もらってたら、青葉が卒倒するさ!」
「……毒物だもんな」
青葉の顔を思い浮かべながら、二人……いやオークも含めて三人……は魔物と対峙する。
「よーく狙え……やっ!!」
「ウォ……。ウッ!」
玲が弓を放ったとほぼ同じタイミングで、オークが動いた。まっすぐ放たれた矢を回避する、ゴブリンのような魔物。
それを待っていたかのように、丸太のような大きな腕で持った棍棒が振るわれた。それに思い切り殴り飛ばされる。
「よし、成功だなっと! 弓ってのは敵を動かすためにもあんだ!」
「ウウーッ♪」
ばしんっと音を立てて、玲はオークとハイタッチ。自分が役立ったのを知って、オークは嬉しそうな顔をしていた。
「なるほど、魔物との協力ですか」
「魔物じゃないぜ、あたしの家族で……大事な仲間だ!」
カトレアの言葉に叫びつつ、玲は魔物の頭へ、正確に弓を射る。
琥太郎に言わせれば。玲といえばテニス部で、弓道部ではない。彼女が弓を習っていたわけではない。異世界の生活が彼女を変えたのだろう。そう思った。自分だって、そうだからだ。
「俺も頑張らないとな」
そう言うと、琥太郎も動く。
「毒の瓶はこうやって放つ……!」
瓶をナイフに乗せ、一気に投げるように放つ。
地面に落下して大きく割れる瓶。次の瞬間、瓶に入った粉が、一気に舞い上がった。
「これは風魔法の応用ですね」
「永田先生からだ。風と風をぶつけて、粉を舞いあげる。中に風魔法を閉じ込めて、投げた時の勢いを魔法に乗せる……らしいです」
これを聞いた時にパイがとてつもなく驚いたのを、琥太郎は覚えている。自分で飛ばさなくていいから、事故が減る。瓶はすぐ作れるし簡単だから……。相当上手く出来そうな技だと。
「風魔法は使えないから永田先生に風魔法を込めてもらわないといけないですけども。さて、効果がすぐ現れるか」
その琥太郎の言う通りだった。舞い上がった粉が、壁を大きく作り。その壁に近づいた魔物たちがバッタ、バッタと倒れていく。
びり、びり。
体を震わせていた。痺れている。そのせいで動けていないのだ。
「これは麻痺毒だ」
琥太郎は淡々と言った。
「睡眠毒、混乱毒。色々あるけど……共通点は魔物のこちらへの動きを封じる毒……。止まってもらわないと困る」
琥太郎はそう言った。
魔物の動きを封じてみせた。彼ら魔物たちは地面に伏したまま、一歩たりとも動けない。
「消えたりして立ち去ってくれればいいけど……。なかなか難しそうではあるが」
琥太郎は小さく呟いた。
「よっしゃ、これで今日も大丈夫だろ……。琥太郎たちのおかげでなんとか……」
玲がそう言った直後のことだった。
「……これは……離れて!! 離れてください!!」
「……へ?」
カトレアが、何かに気づいて声を荒げた。振り向く騎士と冒険者たち。
そして次の瞬間であった。
──ドォン!!
巨大な地鳴りが起き、直後。
ブワアアアッ!!
「っ……なっ……!!」
「なんだああっ!?」
あたりを包むは巨大な黒の風。その風が、あたり一面に吹き荒れていく。
風が止んだ瞬間に……。見えた光景。それに驚愕する。
「なあ、今までいた魔物はどこ行った……?!」
玲がそう叫ぶ。騎士や冒険者が地に伏せる中、あれだけいた魔物が消え去っていたのだ。
「ああ無念! 口惜しやなァ!! 我が予想が外れるとは!!」
そして何もないところから、叫び声。
「お前は……!」
琥太郎は言った。その声には、その演技には。覚えがあった。
「だがしかしそれにより公国の者ども、我の前に立つ資格ありと見た! だからこそ伝えよう……」
そう、この仰々しさは……知っている。
「我が魔王の前に立つ前に、死すべしと!」
あれは……魔王の部下たる、ガーゴイルだと。
黒風、魔王の片腕がついに降り立ちました。




