第四十三話 早駆け
赤いトラ。
それと、トラ柄のウマ。
略してトラウマ……。
同じことを考えていたのだろうか、人の心を読んだかのようなタイミングでマリが急につぶやいた後、小さく吹き出した。
「トラウマ……。ぷふっ」
軽く気持ち悪い。
それこそトラウマになりそうだ。
が、マリなので許すことにする。
放置するとかわいそうなので、軽いノリでツッコミを入れてやることにする。
「きもちわるっ!一人のりツッコミならぬ、一人のり笑い!?」
「え、やだコウさん。もぅ~」
可愛いじゃないか……。
マリの母親を殺されたトラウマの話を聞いてやって以来、距離が近くなった気がする。
そして、そのトラウマも、もうすっかり大丈夫なようだ。
少なくとも、“トラウマ”という言葉を聞いて暗く沈み込む様子は見られない。
それはともかく、馬がトラに襲われているんだった。
「どうする?」
皆の顔色を窺う。
「どうする?とは、馬を助けるか、両方やっつけるかということか?倒さずにスルーするという選択肢は無いよな?」
リュークが聞いてくる。
「とりあえず、トラの方を倒しましょう。トラウマの方は、その後、相手の出方次第では?」
ハタカが提案する。
すでに、トラウマの名前で通ってしまっているが、だれもツッコまない。
「トラは昨日倒したのと同じ方法で対処すれば問題ない。いくぞ!」
トゥモローが合図する。
「挑発!」
トラウマを襲おうとしていたトラ3頭が全てこちらを向く。
いったい、どんな仕組みなのだろうか?
「ウォール!」
これで、完全な防御形態の完成だ。
このトラ、今まで遭遇したモンスターの中では珍しく、ボス級の個体が存在しない、そして、転職キーアイテムを所持していない(システムに設定されていない)動物なのだ。
よく見ると、トラウマの方は1頭だけ一角獣のような角が頭から伸びている。
体の色が白ければ、ユニコーンそのものなのだが、いかんせんトラ柄なのだ……。
あれが、トラウマのボス級なのだろう。
「アイスレンジ!」
ハタカの氷魔法が見事に決まり、3頭全てが凍り付く。
それを見計らってマリが殴る。
「ハタカの『アイスレンジ』による攻撃。ダメージ85、ダメージ87、ダメージ88。レッドタイガーの体が凝結しました、レッドタイガーの体が凝結しました、レッドタイガーの体が凝結しました」
「マリの攻撃。レッドタイガーにダメージ45」
俺も壁の中心から、鉄製クロスボウで狙う。
「コウの攻撃。レッドタイガーにダメージ38」
それにしても、レッドタイガーって安直な名前だな。
システム製作者の手抜きだな。
転職キーアイテムを盗む必要がないリュークは、スマホの電源を落としてグレイブを装備し、システムに縛られない攻撃を狙う。
リュークが『ウォール』によってできた壁を出ようとした瞬間、トラウマが凍って固まっているトラを後ろ足で蹴り上げた。
パキィーン!
システムに縛られないトラウマの攻撃によって、凍り固まったトラは粉砕されてしまった。
「タイガーホースによる攻撃。レッドタイガーを倒しました。獲得経験値60、獲得金300〔メル〕」
「え!?」
一瞬、なにが起こったかわからなかった。
リュークだけでなく、他の皆も動きが止まっている。
気づくと残り2頭も、他のトラウマに蹴られ、一角獣の角で一突きされて粉砕されている。
パシィーン!
ピキィーーン!
「タイガーホースによる攻撃。レッドタイガーを倒しました。獲得経験値60、獲得金300〔メル〕」
「タイガーユニコーンによる攻撃。レッドタイガーを倒しました。獲得経験値60、獲得金300〔メル〕」
タイガーホースにタイガーユニコーン?
そのまんまじゃねーか!
ネーミングセンス!
それにしても、まさかシステムに縛られない攻撃がここで成立するとは……。
確かに、このRPGシステムはスマホを持つ俺たちに有効なだけであって、動物同士では関係無いからかな……。
そんなことを考えているうちに、ユニコーンを先頭にしてトラウマがこちらに向かってくる。
俺たちは、改めて武器を構え直す。
「やっぱり、戦闘か?」
リュークが言う。
「大丈夫だ。奴の目を見ろ。青いだろ。友好の印だ」
トゥモローがそれに答える。
6頭いるトラウマが俺たちに体を摺り寄せてくる。
ユニコーンが俺の脇の下から顔を摺り上げるように首をひねって突っ込んでくる。
「痛い、痛い。角が刺さるよ!」
俺は、宥める様にユニコーンの首を抱えて、鬣を軽く掻いてやる。
そうこうしていると、6頭のウマがそれぞれ順番に俺たちの側で脚を折って座り込む。
「おお!噂には聞いていたが……。俺たちを乗せてくれるみたいだぞ」
トゥモローが感嘆の声を漏らす。
一同がトゥモローの方を向く。
「10年いたが、こんな経験は初めてだ。やはりお前たちと一緒に行動していて正解だ。お前たち、何か持ってるな!」
これに乗るのか?乗馬なんてしたことないぞ。
ましてや、鞍も手綱もないなんて……。
「どうやって乗るんだ?」
「そのまま、跨げばいいだろう」
トゥモローが答える。
「いや、そうじゃなくて……。乗馬の経験なんてないぞ」
「私も……」
マリが小さく手を挙げる。
「鞍なし、手綱なしは俺もないなぁ……」
リューク。
鞍、手綱ありなら経験あるのね……。
「いいから、跨いでみろ!何とかなる」
トゥモローが激を飛ばす。
案ずるより産むが易しとはこのことだろうか。
俺は、目の前のユニコーンに恐る々々跨る。
こちらの気を遣うように、少し間をあけてユニコーンはゆっくりと立ち上がる。
他の4人も同様に、トラウマに跨り、トラウマたちは立ち上がる。
「うわぁっわ」
一瞬マリが声を上げる。
「あれ?思ったより安定してる」
「なるほどな。馬の方に、乗せてやろうという気があるからだろう。普通、裸馬は滑りやすくてすぐ落ちるものらしい。鬣を多めに束にして軽くつかめ。方向指示はその鬣でできるはずだ。ただし、鬣にしがみつくなよ。嫌がって振り落とされるぞ」
鬣を束にしながら、俺はトゥモローに尋ねる。
「なんで、そんなことを知ってるんだ?」
「情報屋をなめるなよ。噂に聞いたことがあると言っただろう。その時に、乗り方も聞いたんだよ。さあ、せっかく歩かなくてすむんだ。時間短縮だ、行くぞ!コウ、どう考えても、そのユニコーンが先頭だろ?お前が方向の支持を出せ」
え?しまった、ユニコーンはトゥモローに譲れば良かった。
上手く乗れるのか?
進行方向とは真逆を向いていたユニコーンの鬣を、右手でかるく引いてやる。
すると、右回りに体の回転を始める。
「お、お、お!」
つい声が出てしまう。
進むべき方向を向いたところで、鬣を持つ右手の力を緩めてやる。
すると、ト、ト、トと軽快に前に進みだす。
「お、お、おお~!」
面白い。
これは楽しい。
ユニコーンがこちらを案じて、落ちないように安定した動きをしているのが感じられる。
トトトトト……。
トトッ、トトッ、トトッ……。
徐々《じょじょ》に速度が上がっていく。
その速度の上げ方も絶妙だ。
馬に気を遣われるなんて。
トタタッ、トタタッ、トタタッ……、という足音が次第に、タカタッ、タカタッ、タカタッ……、と変わっていく。
速い、そして風が気持ちいい!
後ろを見ると、4人を乗せた5頭が付いてくる。
「イヤァッホ~~~」
これは叫ばずにはいられない。
俺だけではなく、後ろからも声が聞こえる。
トゥモローやハタカの声まで聞こえる。
歩いている時には、どこまでも広大で代わり映えしないと感じられた景色が、移り変わっていく。
遠くを山が動いている。
あれは、亀か?それともただの山か?
時速にするとどれぐらいだろう。
少なくとも、自分たちが地球でこぐ自転車よりも圧倒的に速い。
上下に体は揺れるが、不思議と振り落とされる気がしない。
ユニコーンの背中は決して平でもなく、毛並みも良く滑らかで滑りやすいはずなのに、軽く首にしがみつくだけで体に吸い付く様な安定感がある。
とても、不思議な感覚。
浮遊感……?
気持ちいい。
空を飛んでいるみたいだ!
側まで来たトゥモローが馬上で何か叫び、前方を指差している。
そちらの方に目を向けると、川が見えた。
「止まりますかっ!?」
大きな声で言うが、トゥモローの反応は左手を耳に当てて「え?」という感じだ。
聞こえていない。
止まるべきだろうか?
止まるとしたら、鬣を軽く引けば良いのか?
首にしがみ付いていたので、鬣を束にしようと軽く上体を起こす。
鬣を多めに束にして掴んで…………、気付くと川は目の前にあった。
しまった、遅れたか。
どうする、今からでも止まるか?
トゥモローの方を見ると、変わらず何か叫んでいるが、聞こえない。
と、フワッと体が浮き上がる――。
「え?」
と、思ううちに、一瞬体がドンと沈み込む感覚。
顔がガクッと落ちて首に軽い衝撃を感じたかと思うと、もとの走る感覚に戻る。
川を飛び越えたんだ。
決して幅の狭い川ではなかったはず。
他の4人も付いてきている。
マリのキャアキャア言う高い声が聞こえてくる。
このまま、この世界にいても良いんじゃないか――。
ふとそんな考えが頭をよぎる。
慌てて、いやいやと考えを否定する。
必ず帰るぞ。
ブレてはダメだ。
それがこの世界では命取りになる。
必ず帰るんだ…。
改めて、決意を固める。
その日、俺たちはこの星で初めて野宿をすることになった。