第三十五話 賢者
「馬鹿だなこう、またやられたのか」
「仕方ないだろう!いじめられてるのを放っとけるかよ!」
「まあ、こうのそういうところ、俺は誇りに思うぞ」
「なんだよ、馬鹿兄」
「馬鹿って言うな」
「馬鹿兄だって言ったじゃないか」
「アハハ!こう、何にしても程々(ほどほど)にな!」
「あ、兄ちゃ……」
………………
「兄ちゃん!」
ガバッと、起き上がろうとして、左肩の痛みとともに体が動かないことに気付く。
「いっ!」
思わず右手で左肩を押さえる。
なにやら薄汚い布で、肩を中心に体中を巻かれている。
ここは……、最近よく使っている部屋だ。
毎日、戦闘で疲れて帰ってきたら、この部屋で寝泊まりをしている。
「目が覚めた!」
聞きなれた女性の声が聞こえる。
斜め上を見るとマリが覗き込むようにして俺の方を見ている。
目の周りが赤く腫れているように見える。
部屋に差し込む西日のせいだろうか?
「良かったぁ~~」
マリは抱き付きそうな勢いで体を預けてこようとするが、それでも自制するかのように体を留める。
そのまま、ベッドの反対側から俺の右手を取って自分の両手で包み、額に当ててお祈りをするようなポーズになる。
「本当に……良かった……」
その声を聞いて俺はちょっとドキッとする。
「皆を呼んでくるね!」
急に立ち上がったマリはバタバタと足音を立てながら、ドアを開けて部屋を出ていく。
俺は少しずつ思い出していた。
ここは地球ではない、遠く離れた別の惑星であること。
4人で冒険を始めて、今は5人で次の街を目指して頑張っていること。
この星で初めての朝日に感動し、狼と戦って……。
そう、狼に襲われている別のパーティーを助けようと、その戦闘に介入して、自分が死にそうになったこと。
そういえば、あの助けた人はどうなったのだろう。
「コウ、起きたか!」
リュークを先頭に、いつもの4人が顔を見せる。
あいつはいない。
俺が少しキョロキョロして5人目を探していることに気付いたのか、マリが教えてくれる。
「エヴリウェアさんも助かりましたよ。別の部屋で寝ています」
「そう、か、良かった……」
あいつ、エヴリウェアって言うんだな。
どこかで聞いた名前だ。
顔も見たような気がする。
さて、どこだったっけな?
「エヴリウェアってどこかで……?」
「その話は後だ、飯を食え。ここに持ってくる。まる2日寝てたんだ、腹減ってるだろう?起きられるか?手伝おう」
まる2日寝てたのか……。
リュークとハタカが両脇から手を貸して俺の上半身を起こしてくれる。
「痛っつ、つつ」
クキュルルルル。
肩の激痛と共に、お腹がなる。
「クハ、ハハハ」
トゥモローが笑う。
笑い事じゃない、という顔をして軽く睨んでやる。
「いやぁ、すまんすまん。でも本当に良かった」
「まあ、そう怒るな。今回、お前の命を救った一番の功労者はトゥモローなんだ」
リュークが言うと、
「フフ」
マリも少し笑顔を見せる。
マリに笑われる分には、別に構わない。
「大丈夫そうね。私、宿の人にご飯頼んでくるわ」
マリが部屋からスッと出ていく。
宿屋の女中が持ってきたご飯を、掻き込みたいところだったが、いちいち肩に響くのでゆっくり食べざるをえない。
ゆっくり食べながら、昨日、いや一昨日にあったことを聞いた。
真紅眼狼を倒したのはリュークだった。
首筋に刺したグレイブをそのまま腹の方に向けて、胸を引き裂くように付き下ろしていったそうだ。
何が致命傷を与えたのかは分からないが、それで倒れた真紅眼はもう起き上がってくることはなかったらしい。
ハタカはトゥモローに言われるがままに、『インベントリ』を開いたそうだ……。
◇◇◇
「ハタカ、『インベントリ』を開いてくれ、大急ぎた!」
マリが頭を抱え込んで悲鳴を上げている。
ハタカはコウに『キュア』を唱えるよう、マリを説得していたが、聞く耳を持たない。
ハタカはトゥモローに言われて魔法スキルを唱える。
「え?あ、はい!インベントリ!」
「おい、リューク手伝え。そっちの足を持て」
トゥモローはコウの脇に手を差し込んで抱え上げようとしている。
左の肩口からは鮮血が流れ出し、トゥモローの手をも赤く染める。
「どうするんですか?」
「インベントリに入れる。一刻を争う、いそげ!」
「大丈夫なんですか?」
コウを運ぶことではなく、『インベントリ』に人間を入れるという事が大丈夫なのかと聞いているのだろう。
「大丈夫だ、検証済みだ。俺を信じろ!」
箱の中にコウを入れると、肩口からの流血が止まる。
「この中では時間が止まっているんだ。食品の保存は、冷凍庫なんて目じゃないぜ」
トゥモローはリュークの方を向いて話す。
次に、同じく地面に横たわっている男を指して言う。
「ついでに、こいつも放り込んでおけ」
ハタカとリュークが前と後ろを抱えて、男を箱の中に入れる。
その間、トゥモローは倒した狼の死体を解体せずにそのまま、せっせと箱の中へと放り込む。
マリはだいぶ落ち着いてきたようだ。
「ハタカ、街に戻るぞ。ゲートを頼む」
トゥモローが言う。
「クローズ」
ハタカの言葉で『インベントリ』が閉じる。
「ゲート③・レコード」
「ゼフル大森林北部、w-25、n-49、ゲート③記録しました」
システムから音声が流れる。
「ゲート①・オープン」
街へのゲートが開く。
「おい、マリを立たせてやれ。戻るぞ!」
トゥモローに言われて、リュークがマリに肩を貸そうとするが、
「大丈夫、歩けます」
そう言って、マリは自ら立ち上がりゲートをくぐっていった。
街に戻ると、トゥモローがマリに問う。
「マリ、お前の『キュア』はスキルレベルまだ1だったよな?」
「え、は、はぃ……」
消え入りそうな声で答える。
「仕方ねぇな、人を連れてくるから宿で待ってろ」
「人って、誰ですか?」
「信用はできる。今は紹介できねぇが、コウの命を救いたければ黙って従ってくれ」
そう言われてしまうと、3人は従うしかない。
「それとハタカ、俺が行くまで『インベントリ』は開かないでくれ」
そう言い残すと、トゥモローは街の中へと消えていった。
宿屋のコウの部屋で待つこと1時間。
トゥモローが連れてきたその人物が着ていたのは、ベージュ色のフード付きロングケープコートだった。
フードを目深に被っているのは顔を隠すためだろうか。
しかし、背が高くおまけに背筋を伸ばして姿勢が良いためか、顔の半分はほとんど隠れていない。
鼻筋が通って、その下の口も大きすぎず小さすぎず、細い顎の上で奇麗に整っている。
フードの奥から部屋で待っていた3人の顔を覗き込んだその人は、自らフードを外し右手を差し出して笑顔を見せてきた。
「あなたたちが、今回、明日真のお眼鏡にかなったパーティーね!カムトゥルーよ、よろしくね」
その笑顔だけで、充分信用できる相手だと思わせる力がある。
手を握られたマリが復唱するように話す。
「カムトゥルー……さん?」
「“さん”はいらないわ、カムトゥルーと呼んで。言いにくいでしょ?」
ハタカ、リュークと握手しながら答える。
「ハタカです」
「リュークです」
2人の名乗りを聞いて、カムトゥルーはマリの方を向く。
「あなたは?」
「え、あ、ご、ごめんなさい。マリです!」
「フフフ、そんなに緊張しなくてもいいのに」
年齢不詳の美人を前に、マリが戸惑っている。
「自己紹介が済んだところで、いいか?急ぎではないんだが、例のヤツを頼む」
トゥモローが割って入ってくる。
「ええ、わかったわ。で、その大けがをした人はどこ?」
「ハタカ、『インベントリ』を」
「何をするのですか?」
ハタカが訝しむように言う。
「『キュア』だ。彼女は最大レベルまで解放している」
「わかりました。インベントリ!」
部屋の半分を占めるぐらいに広がった箱の中に、武器や防具、狼の死体とともに、2人の男が横たわっている。
「リューク足を持て、ベッドに寝かせるぞ」
箱に入れた時と同様にコウの脇を抱えるように手をまわしたトゥモローは、今度はカムトゥルーの方を向いて話す。
「箱から出した瞬間に頼む」
「わかってる。任せて」
「「せーのっ!」」
トゥモローとリュークが声を揃えてコウを持ち上げる。
「キュア!」
コウの体が眩しいぐらいに光り、部屋いっぱいに広がる。
ベッドに乗せるころには光は収まり、左肩の傷口も閉じていた。
「心臓の近くをやられてたのね。脈は打っているから大丈夫だとは思うけど、誰かそばで見守ってあげて」
「私が!」
マリが即座に立候補する。
「わかったわ、お願いね」
マリににっこり笑いかけると、箱の中でまだ横たわっている男を指してカムトゥルーは続ける。
「そっちの彼は?」
「こいつは別の部屋で頼む。一度マリに『キュア』をかけられているからコウよりはましだと思うが……」
◇◇◇
「マリがずっと付きっきりで看病していたんだ」
リュークが言う。
「それしか私には出来なかったから……」
マリが俯いて話す。
「ありがとう、マリ、皆。そのカムトゥルーっていう人は?」
俺が聞くと、
「帰ったさ」
トゥモローが答える。
「帰ったって、どこに?」
「いずれまた会える。時期が来たら紹介するから、その時に礼を言え」
納得はいかなかったが、命を救ってくれた人だから信用はできるのだろう。
それ以上は聞かないことにした。
「それで、エヴリウェアって……?」
「そっちはちょっと面倒でな。何か、誤解があるようなんだが……。体が動くようになったら会わせるから、もうしばらく安静にして寝ておけ」
俺が食べ終わると、体を横にして無理やり寝かされてしまった。