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「普段着――だと?」

「はい、私は普段からこのような服を着ています。ですから――そういうものだと思って頂くしかありません」

 千早はきっぱりと告げる。すると土方は、小馬鹿にするように鼻を鳴らした。


「まあいい。そんな恰好で街をうろついて、人目につかない筈がねェ。お前の身元は直ぐに割れるだろうさ」

「……」

 その言葉に、千早は内心安堵する。どうやらこの話はこれで終わりらしい。それに、身元など絶対に割れる筈がないのだから。


「それでだ、お前らの処遇だが――」

 土方が言いかける。だが、日向はそれを遮った。「そのことなんですが」と。その声に、土方は「またお前か」とやや煩わしげに眉をひそめて日向を見やる。


「私、ここの隊士になりたいんです。父がここの隊士な筈で――だから、私も」

「――何?」

 それは、この場の誰もが寝耳に水な話だった。父親が新選組の隊士だと――? そう、皆はどよめく。


 だが、千早だけは違うことを考えていた。それは、日向が新選組の隊士になる、という内容についてだった。


 そもそも新選組は女人禁制である。女性の隊士など聞いたことがない。女の日向が新選組に入れる筈がない。――だがそこまで考えて、彼女はもしや、と思った。日向の着物は男物である。つまり、この場の自分以外の誰もが、日向のことを男だと思っているのではないか、と。そして日向本人も、自分を男だと偽っているのでは――と。


 ああ、これは一体どういうことだろうか。確かに日向は、一見可愛らしい男の子に見えなくもない。けれど、千早からすればどう見ても女性にしか見えなかった。それとも勘違いしていたのは自分の方で、彼女は本当は男だったのだろうか。


 混乱する千早のことなど露知らず、日向は続ける。


「父の名は殿内義雄(とのうちよしを)と言って――」

 どうやらそれが父親の名前らしい。が、その名が出たとたん、どういうわけか部屋の空気が張り詰めた。

 そのことに、流石の千早もすぐに気が付いた。一先ず千早は、日向の男装疑惑は横に置き、目の前の面々の様子を伺う。

 彼らは皆一様に険しい表情を浮かべていた。これはきっとよくないことがあるのだろう。


「あの……父は」

 そんな彼らの様子に、先ほどまでの堂々たる態度はどこへやら。日向は急に声をすぼめた。けれどそれでも、父の現況を尋ねずにはいられない。


「父は……今、いったい」

 そんな日向の横顔を、千早は心配そうに見つめる。千早は殿内という名前は聞いたことがなかった。そもそも彼女は別に新選組に詳しいわけではない。が、それでも全く聞き覚えのない名前を聞かされると、本当にそんな人物は存在していたのだろうかと――不謹慎にもそう思ってしまうのだ。


 少しの沈黙の後、近藤が口を開く。


「実はね早瀬君、私たちも殿内殿の行方を捜しているのだよ」

「え……?」

「彼は今から十月程前に急に姿を消したのだ。他の隊士も何人か消えた。早瀬君、君には辛いことだろうが、殿内殿は実質脱走者扱いとなっている」

「……そんな」

 日向は顔を青くした。脱走者……それがどんな扱いなのか、日向はよく知っているようだった。


 ここでの脱走は死に値する重罪だ。すなわち、見つかれば切腹ということになる。それを知っている日向は声を震わせた。


「父は……罰を与えられるのでしょうか」

「……なんとも言えんな」

 近藤は否定しない。そのことに、日向は酷くショックを受けたようだった。それでも彼女は、どうにかして父を救うことは出来ないかという一心で、ぽつりぽつりと身の上を話し始める。


「父と母はもうずいぶん前に離縁して、私は母と二人きりで生活していました。母は病気で、家計を担うのは私の役目でした。でも、私の稼ぎだけでは生活は成り立たず、それを父が母には内緒で助けてくれていたのです。――でも、いつからかお金のみならず便りさえも無くなってしまって。薬が買えず、とうとう母は死にました」

 彼女は声を絞り出すにして、必死に言葉を紡ぐ。思い出すのも辛いと言った風に、膝の上で袴をぎゅっと握りしめていた。


「ここには、家族とは離れて暮らさなければならないという決まりがあると聞いていました。

私がここに来てはいけないということも。でも私はもう身寄りがなく……だから、ここに来れば父に会えるだろうかと思って訪ねて来たのです。それなのに……私は母だけでなく父までも、失くすことになるのでしょうか」

 その言葉には深い悲しみが込められていた。たった一人しかいない家族を失う辛さは、想像に(かた)くない。それはきっと、恋人を失うのと同じか……それよりもっとずっと辛いものだろう。千早にはそう思えてならなかった。


 だが、そんな空気をぶち壊す者が一人。それは土方だった。


「お前が殿内の子供だっていう証拠はあるのか。あいにく俺たちは、殿内に家族がいるなんて聞いたことがねぇんでな」

 それは今の日向にとってあまりに非道な言葉だった。けれどそう思うのも当然だ。日向はぐっと感情を堪え、胸元から一枚の文を取り出す。


「はい。これは、父から送られた最後の文です」

「――では、失礼しますよ」

 それを、山南が確認した。


「……確かに、殿内さんの字ですね」

「そうか」

 再び室内は静まった。どうやら日向が殿内の親縁だというのは本当のようである。


「だがな、坊主。お前が殿内の子だってことはわかったが、その殿内はここにはいない。お前が隊士になる理由は無くなったってこった。――それでも隊士になる気はあんのか?」

 それは確信をついた言葉だった。確かに、その通りである。――が、日向は頷いた。

 

「……はい。私にはもう行くところがありません。だから、お願いします」

 その声には強い決意が込められていた。

 だが――千早はどうも不安がぬぐえなかった。本当に日向は男なのか。本当は女ではないのか。それにどうしたって、日向が新選組でやっていけるとは思えなかった。人のことは言えた義理ではないが、昨夜の不定浪士に襲われた際の日向を見ていれば、そう思うのも無理はない。


 それに、もしも新選組に引き入れてもらった後に嘘が発覚したらどうすると言うのだ。それこそ死罪になりかねない。

 だから千早は、覚悟を決めて尋ねる。「女でも、隊士になれますか」――と。


 それは一応自分のことのように。日向になるべく迷惑をかけないようにと、配慮したつもりだった。土方は即答する。


「なれると思うか?」

 それは最大限の皮肉だった。

 ああ、やっぱりなれないんだ――そう悟った千早は、今度こそ隣にいる日向を凝視する。今ならまだ日向も罰を受けない筈だ。


「あの、でも、日向さんって……女の子……ですよね?」

「――っ」

 刹那――今度こそ室内はざわめいた。やはり、皆日向のことを男だと思っていたのだ。当の本人も、どうしてわかったのか、と言いたげに口を大きく開けている。


「お、お……おなごだったのか!?」

 だが、それ以上に驚いているのは近藤だ。彼は急に日向に同情心が芽生えたように、両目を酷く潤ませる。


 そんな周りの反応に、日向も観念したのだろう。「実は自分は女だ」とそう言って、とうとう俯いてしまった。これでもう、自分はここを追い出されるしかないのだろう、と。


 だが、どういうわけだろうか。土方は彼女を責めるようなことは言わない。――それどころか、こんなことを言い出した。


「いいだろう。父親が見つかるまでの期限付きで、お前をここで保護してやる」――と。

「本当ですか!?」

 日向は途端に顔を明るくする。


 ――が、その場の日向以外の誰もが知っていた。これはそんな生易しい話ではないということを。日向を保護するというのは、ただの監視目的であることを。

 だが、日向はそれに気付いていない。恐らくこの少女は、自分が人質なのだとは露にも思わないのだ。


「でも……どうして。だって父は……」

「あのなぁ、俺達だって好きで仲間に切腹させてるんじゃねェ。お前の父親だってそうだ。見つかれば確かに切腹は免れねぇだろうが、最後の時くらいは親子水入らずで過ごさせてやるって言ってるんだよ」

 土方の表情は真剣だった。だが決して本音ではない。しかし日向にはこれで十分だった。この言葉だけで、十分に事足りた。


「ありがとうございます!……では、私だけじゃなくて、この方たちも保護していただけませんか?」

「あぁ!?」

 が、その直後、日向は再び信じられないことを口にする。


「お願いします! この方たちは私の命の恩人です! この方が助けて下さらなかったら、きっと今頃私は死んでいました!」

 そう言って、日向はその場で頭を下げた。


 ――ああ、彼女は何というお人よしなのか。自分が助かると知ったとたん、今度は他人の心配とは。

 日向は、千早と帝も保護してくれと言ったのだ。


 だが千早にはわかっていた。新選組に、自分たちを保護する理由も義理もないことは。


 土方は今度こそ不機嫌そうに両目を閉じる。その表情には、もうこれ以上面倒事はごめんだと書かれていた。


 彼は、低い声で告げる。


「もういい、これ以上は聞きたくない」

「……と、トシ」

「斎藤、こいつらを連れて行け」

「……ああ」

「沙汰は追って下す……行け」


 ――結局、何の答えも出されないまま千早は日向と共に部屋を追い出された。

 そうして、斎藤に背後から監視されながら、もといた部屋へ戻るため縁側を歩く。


 その足取りは重かった。


 これから自分は、帝はどうなってしまうのか――そう思うと、千早は気が気ではいられなかった。

 しかしそれでも、彼女は決意する。


 帝が生きていると知った今、必ずこの苦境を乗り越えなければならないと。そして絶対に、帝と共に元いた時代に戻ってみせる――と。



◇◇◇



 ――こうして、千早と帝の長い長い幕末生活が始まったのである。


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