一
秋月が姿を消してから三日目の夕刻、土方さんは隊士一同が集まる広間でこう宣言した。
“秋月帝は裏切り者だ。見つけ次第連れ戻し切腹させる。抵抗すればその場で斬ろ”――と。
それは僕を含めた幹部ら一同にとっては予想の範疇だった。
裏切り者には死を――。それが正しいかどうかは別として、僕らは今までそうやってやってきたのだから。
――だから、秋月が姿を消して翌日……そして昨日今日と手がかり一つ見つからない状況で、土方さんがそう判断するのは当然とも言えることだった。
けれどその言葉に、千早は到底納得できなかったのであろう。
彼女は僕の制止を振り切り、広間を出て行った土方さんの後を物凄い形相で追いかけていく。
それは、僕の声など少しも聞こえてい様子で。
そんな彼女の後ろ姿に、僕の心は酷く焦った。
何故って、秋月が姿を消して三日――土方さんの機嫌は本当に最悪だからだ。
“未来人”である秋月の裏切り行為、そして手がかり一つ残さず姿を消す神技とも呼べる所業に、土方さんは酷く殺気立っている。
だから、今の千早が土方さんの逆鱗に触れてしまわないかと気が気では無かった。
僕は縁側を走り去る千早の背中を追いかける。一刻も早く千早を止めなければ、と。
けれど僕が千早を止めるよりも早く、彼女の手が土方さんの着物を掴み――その動きを無理やり制止させた。
「……何だ」
振り返った土方さんの眼光は、夕日の西日のせいかいつもの五割増し鋭く見えた。
そのあまりにも鋭すぎる視線に、思わず僕の足が竦む。
そのせいで、千早に向かって伸ばしていた自分の手は中途半端なところで空を描いた。
「――土方さん。さっきの言葉、撤回してください」
けれど、そんな僕とは反対に、千早は土方さんの眼光に全くひるむことなく低い声で告げる。
「帝は絶対に私たちを裏切ったりなんかしない。私の命をかけたっていい。だから、彼を殺さないで」――と。
それは確信に満ちた声だった。
懇願でも、嘆願でもない。――それが“真実であると知っている”。まるで命令とも取れるような……引けを感じさせない言葉だった。
そしてその言葉に、僕の心は打ち震えた。
――だって僕は知っていたから。
秋月が姿を消してからの三日間、人前では決して弱音を吐かなかった彼女の姿を。
誰に何を聞かれようと、「彼は私たちを裏切らない」――と、そう訴え続けてきた千早のことを。
本当は誰よりも不安な筈なのに。誰よりも辛いはずなのに。
それなのに彼女は、この屯所内で一度だって不安な顔を見せなかったのだ。
だから、そんな彼女の秋月を信じるぶれない態度の為に、僕ら幹部らは表面上“秋月が姿を消した”――と言う事実を今日まで平隊士にはひた隠しにしてきた。
けれどそれから三日が立った今、先ほどの土方さんの広間での発言によって皆の知るところとなってしまった。
つまり、“秋月帝は裏切り者”――それが今の僕らの取る姿勢であり、そしてそれは秋月と同郷の千早も同じような目で見られることで……。
そんな肩身の狭い状況でありながら、千早はそれでも秋月を信じて土方さんに抗議している。
「土方さんならわかるはずです。私たちには他にどこにも行く場所なんてない。それに、もしも裏切るなら私だけここに残るのはおかしいでしょう? だから帝を裏切り者なんて言わないで……!」
「あ? 寝言は寝て言え。あいつが出てってからもう三日だ。街中探しても見つからねェ。それどころか手がかり一つねえ。――結論は一つしかありえねェんだよ。そこにお前らの事情なんて関係あるか」
「関係ないわけないでしょう!? 私たちが新選組を裏切る理由がないことくらい……土方さんにわからない筈がないのに!」
彼女は僕に背を向けたまま、声を荒げて土方さんに詰め寄った。
その背中にはやはり、土方さんに対する恐怖や畏怖と言った念は感じられ無い。
今の彼女は本当に少しも土方さんを恐れたりはしていない。
それどころか彼女は土方さんに強い憤りを感じている。土方さんに明らかに敵意を持っている。
――千早の芯の通った声音。立ち上る闘気。
それは、自分は決して引くつもりはないのだと――そう、全身で訴えるかのように。
そんな彼女の姿に、僕の心臓は締め付けられる。
強く強く――秋月を想う彼女の深い心に、僕は息をするのも忘れてしまいそうになる。
僕自身の立場も忘れ、彼女を応援したい気になってくる。
――けれどやっぱり駄目なのだ。
僕は新選組の一員で。ここの掟は絶対で。
客観的に見たら、どう考えたって土方さんの判断が正しいと……口には出さなかったけれど、他の誰もがそう思っている。
「いいか、佐倉。一度しか言わねェからよく聞け。
お前らが何者だろうと、あいつが今ここに居ないのは事実。脱走者には死を――その掟を破ったのはあいつの方だ。それとも、あいつが裏切ってないっていう確固たる証拠があんのか? ――ねェだろ。
そもそもな――佐倉、あいつが俺たちを裏切ったんじゃなければ、なぜあいつはお前にすら何も告げずに姿を消した? 何故お前ひとり残された?」
「――っ」
僕の視線の先で、夕日に染まった土方さんの瞳が赤く染まる。
それはまるで、千早にとどめを刺そうとするかの如く。
「この先もここで生きていくつもりがあるんなら、そろそろ理解した方が身のためだ。――お前はあいつに、捨てられたんだってな」
「……ッ」
瞬間、千早が絶句するのがわかった。
今まで千早の全身からほとばしっていた土方さんへの敵意が、土方さんの一言によって一瞬で消え去るのがわかる。
彼女の肩が小刻みに震える。――それは多分、泣くのを我慢しているからだ。
「……千早」
――嗚呼。君はいったい、どんな顔を……。
僕は彼女の後ろ姿に手を伸ばす。
その肩にそっと手を触れ、彼女の顔を覗き込もうとした。――けれど。
それより早く、土方さんが僕の名を呼ぶ。「総司」――と。それは僕を責めるような声で。
今ここで千早を慰めることは許さないとでも、言いたげに。
だから僕は再び動きを止めるしかなかった。
そうして土方さんの顔を仰ぎ見れば、やはり彼は酷く不愉快そうな顔をしていて。
「佐倉はお前の小姓だ。二度と俺に歯向かうことのねェように責任持って躾けろ。――今回は見逃してやるが、次はねェからな」
そう言って、苛立ちを隠すことなく僕を睨むのだ。
――そんな土方さんの声と瞳に、僕は唐突に理解する。
土方さんの悪意ある“真意”を。
――嗚呼、僕は知っている。
土方さんのこの眼を、僕はよく知っている。
これは“支配する目”だ。土方さんは僕に命じている。
“千早をここから逃がすな”――と。
「……っ」
その真意に気付いた僕は、思わず視線を反らしてしまった。
それはつい――逃げるように。
そうして僕は今度こそ千早の手を取る。
「――行くよ、千早」
土方さんには返事をしないまま、黙ったままの千早を半ば引きずるようにして、土方さんに背を向けた。
――僕は千早を連れて歩き出す。夕暮れの日差しを背に受けながら。行き先もわからず、ただその場から離れたい一心で……。
そんな僕の背中に、土方さんの視線が痛い程突き刺さる。
けれど僕はそのことに気付いていながらも決して振り返ることなく――真夏にも関わらずすっかり冷え切ってしまった千早の手をしっかりと握り締めながら、その場を後にした。




