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◇◇◇


 ――帝が吉田と二度目の対面を果たしているのと同じころ、団子屋の千早と沖田の間には重苦しい空気が流れていた。





「つまり、君たちはこの時代の人間ではないと……そう言うこと?」


 僕は千早から聞かされたその話に、自分の耳を疑った。聞き返せざるを得なかった。


 だってあり得ないだろう? 二人がこの時代の人間ではないなんて。未来から来た人間だなんて。竹取物語じゃあるまいし、そんな話はおとぎ話の中だけで勘弁してくれ――正直なところ、そう思えて仕方なかった。


「信じられないような話だってことは、私が一番よくわかってます。でも、嘘じゃない。今私が話したことは……全部全部、本当のことなんです」

「……」


 だけど、その冗談に思えてならない内容とは裏腹に、僕の目の前の千早はどこまでも真剣で、とても嘘をついているようには見えなくて……僕の目を真っ直ぐに見据えて来て、そして“自分の話は本当なんだ”と、切実に訴える。


 二人は今より百五十年先の未来に生きる人間なのだ、と。学校という――寺子屋のようなところから帰宅する途中で、気付けばこの時代に来てしまっていたのだと。


 だがその時代にも時を移動する道具などは存在しておらず、だからどうやってこの時代に来て、どのようにして帰ればいいのか、全くわからないのだと言うこと。


 彼女たちが着ていた着物は未来の年頃の男女が普通に着ているもので、彼女が持っていた手拭いも、秋月が所持していた少女の絵も、全て未来のものだと言うこと。


 そんな突拍子もない話を、彼女は僕に信じろと言うのだ。


「沖田さんはさっき言ってくれました。“私の話を疑わない”って。でも、私にだってわかってるんです。信じる、疑わない、それが理屈じゃないことくらい。

 だから仕方が無いと思ってます。沖田さんが信じてくれなくても、私と帝を疑っても……それは自然で、必然で。

 だって私たちは嘘をついたから。イギリスから来たなんて……全部嘘だから。私の父も帝の父親も貿易商なんかじゃない。ただの医者で……兄も確かに医者を目指しているけれどまだ違うし、だから私が政略結婚させられそうになったなんて話も全部違くて。

 だから、そんな嘘をついてまで新選組に居座ろうとした私たちを今さら信じてくれだなんて……とてもじゃないけど言えません」


 ――彼女は僕を見つめ、僕の顔だけを見つめ、悲痛とも取れる表情で訴える。

 何も言えずにいる僕の目を見据え、溜まった気持ちを一気に吐き出すような口調で。

 彼女の気持ちをただぶつけてくる。秋月のいないこの状況で、彼女の心のままの言葉で。


 けれどその声はどこか震えていて。今にも泣き出してしまいそうな顔で。

 怖い――と。本当は今にも逃げ出してしまいたい、と。


 そう思っているような、あまりにも頼りない姿で。


 ――正直言って、彼女の話はとても信じられるような内容ではない。

 そうだったのか、と簡単に飲み込んでしまえる話ではない。


 だけど――そう、それなのに。

 目の前の彼女の姿に、どうしようもなく胸が痛むことは疑いようのない事実であって。


 もしも、もしも万に一つの確率で彼女の話が真実だとして……だとしたら、彼女の感じる不安はきっと僕の想像もつかないほど大きく苦しいものだろうと、そう考えてしまう自分も居て。


 そんな酷く曖昧な感情に、僕はとても混乱させられていた。


 だって本当に予想外だったのだ。

 別に二人の秘密に検討がついていた訳ではないけれど……自分から探りを入れた手前、何を言われても驚きを表に出さないと決めていた。


 土方さんが突然意見を翻した理由をどうしても知りたくて、だから覚悟して臨んだこの場の筈だったのに。

 僕は今、どうしようもなく動揺を隠せないでいる。


 でも、同時にどこか納得してしまっているのだ。

 今までの不可解な千早の言動が、彼女の行動の全てが、今度こそ腑に落ちた感覚。


 そして、土方さんがこの話を聞いたとするなら――僕にあんなことを言った理由も理解できるわけで。


 “千早を手に入れろ”――と、遠回しだけれど確かにそういう意味で言ったであろうあの言葉。

 それは、“未来の知識を手に入れたい”と、そして“その知識を他に渡してはならない”と、そう考えた上での発言だったのだ。


 と言うことはつまり、土方さんは信じていると言うことになる。

 少なくとも、“二人が新選組の未来を知っている”という事実を、あの人は何らかの形で確認したわけだ。

 そしてそれは恐らく“池田屋”での事件に関係しているということだろう。


 ――ああ。ならば僕の取り得る選択肢は一つしかないではないか。

 僕が千早の話を信じられなくとも、土方さんがそれを望むというのなら僕がここで彼女の話を否定するわけにはいかない。


 それに、僕は確かに言ったんだ。

 千早の話を疑わないと――確かに口にした。


 どんな話をされようとも、この……僕を不安げに見つめる千早の言葉を、決して否定しないと決めたんだ。


 だから……。


「……千早」


 僕は肺から深く息を吐き出して、再び目の前の千早を注視する。

 僕の声にびくりと肩を震わせる彼女の潤んだ瞳を、彼女の強張ったその表情を少しでもほぐそうと、なるべく穏やかに、ゆっくりとその名を呼ぶ。


 嘘はつきたくない。でも、彼女を傷つけたくはない。

 土方さんが僕に期待した役目も全うしたいし……だけど何より、僕はここで千早を失いたくはないんだ。

 その気持ちは、彼女が未来の人間かもしれないとわかった今でも変わらない。


 ――そんなことを考えながら。


「まずは謝らせて欲しい。正直に言って僕は、君の今の話をすんなりと受け入れることはできない。

 でもそれは君を疑っているとかそういうことじゃないんだ。ただ、少しも予想していない話だったから混乱してるってだけで。

 ……だけど、これだけは確実に言える。僕の君に抱く感情は、今の君の話を聞いても変わらなかったってことだ。僕は例え君が何者であろうと、どこから来たんであろうと……君のことを仲間だと思ってる。これからも、そしてこの先も、新選組の一員として――僕の小姓としてここに居てくれたらと……そんな風に思ってるってことだ」

「……っ」


 ――そうだ。僕の気持ちは変わらない。

 君が何者であろうと、例え未来から来た人間であろうと、君が今僕の目の前にいることには変わりない。


 確かに君は秋月の恋人で……その素性を明かされた今、君が僕のものになることはこの先絶対に来ないであろうことを、僕は今まざまざと思い知らされている。


 今の話が嘘であれ真実であれ、どうあっても君の心が僕に向くことはない。


 だって、君自身の言葉に嘘は一つもないのだから。少なくとも君は、君自身がしたその突拍子もない話のことを、真実であると信じているのだろうから。


 つまり――君にとって僕は、信じがたいことだけれど、間違いなく“過去”の人間。


 僕らの新選組も、この時代も、君にとっては全てが過去のもの。

 諦めるとかそれ以前に、君にとっての僕らは、共に過ごし生きていく……その対象ではないのだということ。


 だけど、ごめんね千早。

 僕は、君が僕らをどう思っていようが……この気持ちをなかったことには出来ないんだ。

 最初は腹が立って仕方がなかった君の姿を、気付けば目で追ってしまっている……そんな僕自身の心に、今さら蓋をすることは出来ないんだよ。


「僕はね、千早。本当は君が何者であろうと構わなかったんだ。僕はただ……君が僕らに――僕に隠し事をしているってことが気に食わなかっただけなんだよ。

 でも君は話してくれた。だから僕は君の言葉を信じたい。本音を言えば頭ではまだ全然理解出来てないけど……でも、僕は君のその気持ちを信じたいから。君がそう言うならきっとそうなんだろうって、そう思いたい」


 僕は出来るだけ、彼女を安心させようと言葉を選ぶ。

 君の信じる君たちの素性……それは僕の理解の範疇(はんちゅう)を超えるものだけれど、それならば僕も理論理屈ではなく、正直な気持ちで答えよう。


「僕は約束するよ。今の話は誰にも言わない。土方さんは既に知っていることだろうけど、僕は今の話を他の誰にも、勿論土方さんにも言わないし、秘密にすると誓う。そして僕は君たちに、僕の出来る限りのことをすると約束する。

 僕には君たちを未来に帰してあげることなんて出来ないし、安全に住む場所を用意してあげることもできない。だけど君たちが僕らと共にいる限り、君たちの力になりたいと思ってる」


 僕は告げる。

 僕自身のありのままの気持ちを。今にも泣き出しそうに顔を歪める彼女に向かって。


 ――いや、違うか。

 僕の言葉に、いつの間にか涙を流し始めてしまった君に対して、だ。


 僕の目の前で、大粒の涙を零す君。それは降りやまない雨のように、君の着物の袖を濡らしている。


 ――全く、本当に君は泣き虫だな。

 僕はそんな君に淡いじれったさを感じながら、けれど顔が緩むのを止められなかった。

 何故ってそれは、今の君の涙は、僕に対する信頼だから。

 

 ――ねぇ、千早、君は覚えているかい?

 僕は今日までに何度も君を泣かせたね。まだ出会ってたった三月(みつき)しか経っていないのに、何度も何度も君を泣かせた。


 秋月が死んだと嘘をついて、君に無理やり口づけをして……土方さんに迷惑をかけるなと罵って。

 初めての巡察では君を一人置いて迷子にさせた。


 それ以外でも……きっと数えきれないほど君を泣かせてきただろう。

 

 けれど、千早。

 今日の涙はいつもとは違うと……そう思ってもいいだろうか。寂しさでも、辛さでもなく……僕に少しは心を開いてくれたのだと、そう思ってもいいだろうか。


 君がこれからも僕らと共に過ごす覚悟を決めてくれたのだと、そう考えても……。


 でも、それを君に尋ねたりはしないよ。別に僕は、君に見返りを求めてこんなことを言ったんじゃないんだ。


 僕は僕の為に、君を信じると決めたのだから。

 そう。だから僕は、いつもの様な軽い笑みを浮かべるのだ。


「本当に君は泣いてばかりだよね。まぁ気持ちはわかるけど、でもこんなところを秋月に見られたら、僕が君を泣かせたって思われるじゃないか」


 僕は君の涙を拭ってあげたくなる衝動を理性で抑え、いつも通りの軽口を叩く。

 すると君は、自らの手のひらで何度も目じりをこすり、ズズッと汚い音を立てながら鼻をすすった。


「……っ、は……い、すみ、ませ……」

「あーあー。鼻水まで垂らして。汚いなぁもう」

「……い、言われなくても、わっ……わかって……」

「まるで子供だよ。いつもの手ぬぐいは? 持ってないの?」

「……こ、の前……汚しちゃっ、て」


 ああ、確かにそう言えば、この前秋月が怪我したときに使っていたっけ。

 僕はそのときのことを思い出しながら、袖から自分の手ぬぐいを抜いて千早の方へと差し出した。


「仕方ないから貸してあげる。勿論、洗って返してね」

 そうして意地悪な口調でそう言えば、千早は途端にカッと目を見開く。

 その表情に込められているのは、怒りとも呆れとも取れる感情で……僕はあまりの微笑ましさに思わず吹き出しそうになった。


「わかってますってば……!」

 そんな僕の気持ちなど全く知らないであろう彼女は、勢いよく切り返してくる。

 それは先ほどまでの頼りない声とは違い、とてもはっきりとした口調だった。


 そんな千早の姿に、僕はわざと笑みを深くする。「あ、泣き止んだ」――と言いながら。

 すると今度は、すっと目を細めて僕を睨みつける千早の訝し気な瞳。


「沖田さん、もしかしなくてもわざと意地悪言いました?」

「人聞き悪いなぁ。親切心だよ、親切心。ほら、僕って優しいから」

「……冗談ですよね? 私、沖田さん以上に底意地の悪い人、生きてて会ったことありませんけど」

「それ本気で言ってる? 君、死にたいの?」

「ほら! すぐそうやって脅してくる! せっかく沖田さんのこと見直しかけてたのに……」

「あのねぇ、言わせてもらうけど、君の話を信じるって言う僕が奇特な存在なんだよ。普通なら信じないから。絶対僕以外の人に話しちゃ駄目だからね」

「わかってますよ、それくらい」

「ほんとかなぁ。正直不安しかないよ。もし僕が君の立場だったら誰にも話さないだろうし。――ま、今回は僕の方から探りを入れたわけだから、君を責められやしないけどさ」



 そうやって僕らは、僕と千早は――しばらくの間軽口を叩き合った。


 千早は他にも未来の話を沢山聞かせてくれて、それは僕にとってはまるで夢物語か空想の世界の出来事のように聞こえたけれど、でもそれを楽しそうに、そしてとても懐かしそうに語る千早の表情は、見ていて少しも飽きることがなかった。


 それは穏やかな時間だった。

 穏やか過ぎて、あまりにも平和すぎて、時間を忘れてしまうほどだった。


 ――だから、僕らは気付かなかったのだ。

 店から出て行った秋月が、いつまで経っても戻らないことに。



「僕、ちょっと探してくるよ。すれ違いになるといけないから、君はここで待ってて」

「……はい」


 一刻が過ぎても戻ってくる様子のない秋月を探す為、僕は不安げに顔を曇らせる千早を団子屋に一人残して通りに出た。


 何となく嫌な予感を感じつつも、もしかしたらあの日の千早のように道に迷っている可能性も考えて、思いつく限りの場所を探す。


 だが僕の必死の捜索も虚しく、秋月の姿を見つけることは出来なかった。

 ならば団子屋へ戻っているかと思いきやそれもない。

 

 仕方なく僕らは通りで秋月を待ち続けた。

 けれど昼間の日差しが和らぐ夕暮れ時になっても彼は姿を現さず――僕は泣きべそをかく千早を必死に(なだ)めて屯所に戻るしかなかった。



 結局その日、秋月は門限を過ぎても屯所に戻らなかった。

 事件に巻き込まれた可能性を考慮して翌日早朝から皆で秋月を捜索したが、それでも彼を見つけることは出来なかった。


 そして秋月が姿を消してから三日後の事、遂にその時が訪れる。


 秋月は土方さんにより“脱走者”扱いとされたのだ。

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