四
◇◇◇
しばらくして千早が落ち着いてきたところで、近藤は話を再開した。
「では話を戻そう。早瀬君は昨夜京に到着したということだったが、君はどうなのかな、佐倉君」
近藤は千早へと視線を移す。
「はい。……私は――」
平静を取り戻した千早は考えていた。どう答えれば正解なのかと。いや、そもそも正解なんて無いのかもしれない。それに、下手に嘘を重ねて墓穴を掘るわけにもいかなかった。
だから彼女は、可能な限り正直に話すことに決めた。
「猫を追いかけていたんです」
「――猫?」
その言葉に、一同は首を傾げる。確かに先ほど取り乱していた際、千早はそう言っていた。猫を追いかけてさえいなければ――と。
だが、誰にも意味はわからなかった。その答えを得ようと、近藤は尋ねる。
「何故猫を?」
「帰り道に、可愛い猫がいたんです。私は猫が好きで……それを帝と……彼と一緒に夢中になって追いかけていたら、男たちに襲われそうになっている日向さんを見つけて、それで……」
「彼女を助けようとした――と?」
「そうです」
――これならば、嘘にはならないだろう。寧ろ全て本当のことだ。私は昨日、学校からの帰り道に猫を追いかけ、気が付いたらこの時代にいた。それは事実。
千早は嘘偽りのない瞳で、じっと近藤を見つめる。近藤は、千早の言葉は嘘ではないのだと感じているようだった。だが、それでもどうしても腑に落ちないことがある。
「君の家はどこだね。京の生まれではないだろう?」
千早の言葉はどう聞いたって京の言葉ではない。それに、その姿形も。
――しまった、と千早は思った。何故って、家はここにはないからだ。この時代の京都には、自分の家も帝の家も存在していない。
「……家は――」
千早は必死に考える。
どう答えるべきなのか。そもそも千早は東京育ちだ。昔一時期京都に住んでいたことはあるが、それ以降はずっと東京に住んでいた。高校入学と同時に父親の仕事の都合で京都に越してきて、この地域の言葉は話せない。それどころか三年たった今でさえ、はっきり言って地理にも疎い。
それにだいたい、千早の時代の土地の名前とこの時代のそれが同じだとは限らない。だから、適当に答えるわけにもいかなかった。
「……すみません、私、今嘘をつきました」
だから、千早はもう正直に言うしかなかった。――その場に緊張が走る。空気がピリ、と震えた。
「――嘘だと」
土方の低い声が千早を威圧する。だが、言ってしまったことは取り返しがつかない。
しかし、きっともう一度嘘をつけば今度こそ後がないだろう。千早は慎重に考えて、言葉を続ける。
「私も帝も、ここには家がありません。いろんなところを転々としていて……」
「理由は」
土方が唸る。千早は少しの間沈黙した。その場の誰もが千早の言葉の続きを待っている。十七の少女の、その答えを――。
そしてついに、千早は一つの結論を出した。
「――駆け落ち」
言いながら、彼女は皆の反応を見る。何となく、悪くない気がした。
「駆け落ち、してきたんです。私、彼と……江戸から」
「駆け落ちだと?」
今度こそ、その場はやや騒然となった。それは駆け落ちが珍しいことだったからなのか、それとも別の理由だったのかはわからない。けれど、彼らは皆一応は千早の言葉に納得した様子を見せた。それは多分、先ほどの沖田の非道な言葉に対する、千早の反応を見ていたからという理由もあるのだろう。
だが、彼らにはもう一つ気にしなければならないことがあった。
「では、あなたのその着物は――」
それは山南の言葉だった。彼は珍しい物を見るような視線を千早に向ける。
それは当然の反応だった。千早が着ているのは制服だ。シャツに紺のブレザー、胸元には赤とグリーンのストライプのリボン、そしてタータンチェック柄のプリーツスカート。このような服装をしているのは、この時代では恐らく西洋人か大使館の者くらいだろう。
――どうしよう。
千早は今度こそ困惑した。朝閉じ込められていた部屋を出た時からずっと考えていたが、結局いい言い訳を思いつくことなくここまで来てしまった。まともに考えれば、こんな格好で駆け落ちなんてあり得ない。だって、どうしたって目立ってしまうだろうから。
でも、もう嘘でしたとは言えない。
「何だ、また嘘か?」
土方が凄む。――千早は震えた。けれど、彼女はもう俯いたりはしなかった。せめて堂々としていなければ。だってきっと、帝ならそうするだろうから。
帝なら、きっと――。
そして千早は、考え抜いた末に――決めた。
「これは……私の普段着です」
と、正直に答える選択を。