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「――え? 帝……今、なんて……」


 私は帝の言葉が信じられず、茫然と聞き返す。

 だって、新選組を出るだなんて少しも考えられなくて。

 せっかく出来た私たちの居場所なのに、どうしてそんなことを言うのか少しもわからなくて。


 けれど返ってきたのはやはり先ほどと同じ“新選組を抜ける”――と言う言葉だった。

 私はそんな帝の言葉に、ただただ困惑する。


「どうして……? だって他に行くところなんてどこにもないのに。確かに土方さんは私たちを疑ってるかもしれない。でも一応は信じてくれたんでしょう? それに例え疑われてたって私たちを置いてくれてることには変わりない。山南さんだって――」

 ――と、そこまで言って私は、咄嗟に自分の口をふさいだ。

 うっかり山南さんの名前を出してしまったからだ。帝には内緒にしていた、池田屋事件のあった日の夜のことを、思わず口にしてしまいそうになったから……。


 ――だが、後悔しても時すでに遅し。私のこの一瞬の反応と突然出された山南さんの名前に、帝は全てを察してしまったようだった。


「……は? 今、何て言った?」

 唸るような声で、帝が呟く。眼光だけで人を射殺(いころ)してしまいそうなほどに鋭い帝の眼差しが、私の眉間を貫いた。


「……な、何の……こと?」

「何で今山南さんの名前が出るんだよ。――ああ、そっか。もしかしなくても千早、山南さんから何か聞いてたんだな。土方さんと俺との取引……本当は知ってたんだ? 知ったのに俺に黙ってたんだ?」 

「――っ」

 瞬間、帝の瞳から光が消える。ほんの微かな光さえも届かない海の底のように、黒々とした影が……彼の瞳の奥に宿った。


 そんな帝の表情に、冷たい声に、私は声を出すのも忘れてしまう。

 ――いや、違う。声を出さないのではない。出せないのだ。

 目の前の帝が恐ろしすぎて……ほんの少しも、言い返せないのだ。違うと言いたいのに。帝と土方さんとの間で交わされた取引の内容など、少しも知らされていなかったと言いたいのに。


 私が聞かされたのはただ、土方さんと山南さんが“既に私たちの正体を知っている”ということだけだったと……そう言いたいのに。


 けれど私の喉からはほんのかすかな音も出ず、そんな私の態度を、帝は図星と取ったようだった。


「……はっ、マジかよ。……最悪。俺が色々考えてる間に……何だよ、それ」

 声を出せないままの私を目の前に、彼は呆れたように嘆息し――そして、私を睨むように見下ろした。冷たい顔で……何の色も映していない、暗い瞳で。私を……拒絶するかのように。


「……わかってるよ。俺には言うなって脅されたんだろ? 聞かなかったことにしろって言われたんだろ? ――で? 千早は山南さんにどんな情報を渡した? あの男に一体何を聞かれた?」

「……っ」

「新選組の未来でも聞かれたか? それで? 千早は……何て答えたんだよ」

「――ッ」


 ――ああ、どうしよう。怖い。……怖いよ。

 目の前の帝はどう見ても私の知ってる帝じゃなくて……冗談抜きで怒っていて、その原因は私の浅はかな行動で……。


 私が帝に黙っていたからで。全部全部、私が悪くて……。


 謝らなければと思うのに、ごめんなさいと――そう言わなければいけないとわかっているのに、身体が震えて声が出ない。


 何一つ……言葉にならない。


「何でずっと黙ってんの。……ああ、もしかして俺が怖い? ま、そうだろうな。俺、千早の前で本気でキレたことないし。――千早には絶対……こんな俺を見せるつもりはなかったから」

 そう言って、彼は再び溜息をつく。

 私から視線を反らし――そしてその右手で顔の半分を覆い隠す。それは、私にその顔を見せないようにするかのように……。


「俺がどうしてこんなに怒ってるのか、千早はきっと少しも理解してないんだろうな」

「……そ……んな、……こと」

「してないよ。……してない。――でもいいんだ。隠してたのは俺の方だし。千早は何も悪くない」

「――っ」

 けれどその言葉とは裏腹に、帝の声は冷たくて。

 私を責めているような声をしていて……。そんな声のまま、帝は私に向かって問いかける。


「千早は、この先の新選組について理解してるのか」――と。そして、こう続けるのだ。


「知ってるよな? 二年後には薩長同盟。その翌年に新選組は分裂。そして大政奉還に続き戊辰戦争。鳥羽伏見の戦いに参戦した新選組は敗北する。――知らないわけないよな?」

「……そ、れは」


 確かにそうだ。それくらいの知識なら知っている。……知っている……けど。


「でも、まだ先の話だし……」

 ――そう、だってまだ先のことではないか。少なくとも、二年、いや三年は先の話。

 それだけあれば、私達はきっと未来に帰れる。……新選組が無くなるとき、私達はここには居ない。そんな風に考えていた。


 でも――違うんだ。帝は、そんな先のことまで考えているんだ。

 死の淵から生還した帝は……目が覚めてからたった二ヵ月の間に、そんなことを考えていたのだ。


 ただ日々を過ごすことに精いっぱいだった私とは違って……。


「でも誤解しないで欲しい。俺は別に、千早が先のことについて考えてなかったことに怒ってるんじゃない。……俺の考えに気付いてなかったことに苛立ってるんでもない」

「……え? じゃあ、どうして……」

「俺はさ、千早が皆に情を抱いてることに腹が立つんだよ。千早が新選組の皆に心を許してるの見てると……すげーイライラする」

「――っ」

 それは予想外の言葉だった。

 まったく考えもしなかった答えだった。


 そして私はそんな帝の答えを聞いても尚、その真意が何ひとつわからなかった。


 ――困惑を隠せない私に、帝は告げる。

 顔半分を覆っていた片手をゆっくりと机の上に下ろし私の方を振り向いて……今にも泣き出しそうに、顔を歪ませる。


「千早は知らないだろうけど、山南さんは年明け切腹して死ぬよ? 沖田さんは数年後結核で、土方さんは戦争で、近藤さんは斬首刑で……皆死ぬ。なのに……何で千早はそんな平気な顔して接してんの? じきに死んでく奴らと……どうして仲良くなってんの?」

「――ッ」


 ――ああ、ああ。それは……それは……。


 私を真っ直ぐに見つめる帝の泣き出しそうな顔。

 そのあまりにも悲壮な表情に、私の胸が締め付けられる。


 流石の私も悟らざるを得なかった。

 これは、帝の優しさだ。私が傷つくと……傷つかないようにと、私を想う彼の優しさなんだ、と。


 だから彼は怒ったのだ。私の平和ボケした態度に、心の底から苛立っているのだ。


 考えの足りない私に代わり、私の分まで……彼は傷ついてくれている。


 ――わかっていたはずだった。

 皆が死んでしまうことくらい……知っていたはずだった。けれど私はずっと、それに気付かない振りをしていた。


 頭ではわかっていても、心ではわかっていなかった。何一つ、何一つ……わかってなどいなかった。


 新選組は過去のものだ。そこに生きる彼らも、皆過去の人物だ。

 私達とは違う。――少なくとも帝は、そう考えている。


 ……けれど、本当にそうなのだろうか。

 本当に彼らは、ただ過去に生きただけの人達なのだろうか。


 私達と生きる時間が違う……本当に、そんな簡単な言葉で済ませてしまえることなのだろうか。


 沖田さんや土方さん、平助くん、山南さんや斎藤さん……皆みんな、今はちゃんと生きていると言うのに。


 ――だけどわかっている。私のこの考えはきっとただの偽善だ。

 帝の言うことの方が正しいのだ。少なくとも、彼は私の為に言ってくれている。……ただ、私を守るためだけに。


 だから私は絶対に口にするわけにはいかない。この優しい人の言葉を……否定してはいけない。


「……そう、……だね。――ごめん。私、……わかってなかった」


 ああ、だけど……だから新選組を抜けると、帝はそう言うのだろうか。


 私が新選組の皆に情を抱いてしまったから……だからこの場所を手放すと……そう言うのだろうか。せっかく築いたこの場所を……こんなに簡単に?


 ――それは駄目だ。それは……受け入れられない。


「でも……ねぇ、帝。私の態度が原因で“抜ける”って言うんなら、私……気を付けるから。ちゃんと気をつけるから……皆とは距離を置くようにするから、だから……こんな重要なこと、簡単に決めないで」


 私は――見据える。帝の顔を……真っ直ぐに。


 すると彼は、歪めた顔をより一層曇らせた。それは……再び苛立ちを含んだ表情に。

 そうして彼はゆっくりと唇を開き……けれど結局何一つ言うことなく口を閉ざし――その場に立ち上がる。


「……帝?」

「ごめん、ちょっと頭冷やしてくるわ。……今は冷静に話せそうにない。沖田さん呼んでくるから、俺たちの事情は……千早が好きに説明して。沖田さんも千早から聞いた方がいいだろうから」

「――え? そんな、私が一人で説明するの?」

 背を向ける帝を追いかけようと、私も席を立つ。――が、それは帝の振り向きざまの横顔によって止められた。


 その――あまりにも感情の入り乱れた瞳によって。



 結局それ以上私は何も言えず、一歩も動けず、帝の背中が店の外に消えて行くのを見送ることしか出来なかった。


 そしてそれと入れ違いで店に入ってくる沖田さんの厳しい眼差しに――ただ一人身体を震わせ、息を呑むばかりだった。


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