一
それは季節が夏を迎えた7月最後の日――日差しの強い昼下がりのことだった。
「……え? 辞めたんですか?」
「ああ。月の頭だったかねぇ。急に辞める言い出して。理由を尋ねる間もなく出てったよ」
私と沖田さんは主人の言葉に驚いて、お互いの顔を見合わせた。
◇◇◇
時は三十分ほど前に遡る。
私は帝と沖田さんと三人で街に出かけて来ていた。
帝と非番の日が被ったので、せっかくだから街を探索してみようと言う話になったのだ。
ちなみに面子については、正直言って何て微妙なメンツ……と思うけれどこればっかりは仕方ない。
だって私たちは未だに、単独での外出を許されていないから。
――私たちがこの時代で新選組の皆と共に過ごすようになって三ヵ月以上が過ぎた今も、土方さんは私と帝に対する警戒心を緩めていない。
でもそれは仕方ないことだと思う。だって土方さんは、私と帝が未来からやって来た人間だと知ってしまっているのだから。
もし逆の立場だったら警戒するなと言われる方が無理だろうし、だから不満がないと言えば嘘になるけれど、こうやって帝と外出が許されるだけでも感謝しなければと頭では理解しているし、実際感謝もしている。
――と、それにしても……。
私は正直驚いていた。
何がと言えば、私の数歩先を歩く帝と沖田さんの二人の間の雰囲気が、思っていたよりも和やかであることだ。
沖田さんが保護者として着いて来ると言いだしたときはどうなることかと思ったけど……思ったより上手くやっているようで良かった。
そんな風に思うくらいに、私の視線の先の二人には親し気な空気が流れているように見える。
「そう言えば君、そのざんばら髪そろそろどうにかした方がいいと思うよ。エゲレス人だってそんな髪型してないでしょ」
「そりゃ……俺のは伸ばしっぱなしってだけで。っていうかそんなに酷いです?」
「酷いっていうか、浮浪者みたいだよ」
「まぁ、三月以上切ってないですしね。もうちょっと伸びたら沖田さんみたいに結えると思うんですけど」
「君と同じ髪型なんて死んでもお断りだよ。絶対真似しないでよね。今度僕の通ってる内床紹介するから、いい機会だしいっそ髷でも結ったらどう? 男が上がるよ」
「髷……。うーん、正直それはちょっと気が進まない。でも……千早が賛成するなら一度くらいやってみても……」
そう言いながら、ふと私の方に視線を寄こす帝……。
その何かを訴えるような意味深な横顔に、帝の髷結い姿を想像した私は――そのあまりの似合わなさに吹き出した。
「ふっ……、フフッ」
――ない。ないです。髷は無理。帝の顔を見る度、笑いが止まらなくなる自信がある。
でも、だからと言ってこのままにしておいたら帝の頭はボサボサになるばっかりだし……とりあえず私のヘアゴムを貸そうかな。
紐では無理でも、ゴムなら結べそうな長さだし……。
――と、そうこうしているうちに私達は誰が言い出すでもなく、以前沖田さんと立ち寄った団子屋のすぐ傍まで来ていた。
けれど覗いた店先に椿ちゃんの姿はなく、今日は休みなのかと店の主人に確認したところ、彼女は店を辞めたと聞かされた次第である。
◇◇◇
「いきなり辞めちゃうなんて、何かあったんでしょうか」
私たちは店内の椅子に腰掛け、団子を頬張りながら会話をしていた。
私の隣に帝が、そしてその向かいに沖田さんが座っている。
「まぁ、人にはそれぞれ事情というものがあるからね」
「でも椿ちゃん、ずっとここで働いていたんですよね?」
「そうだね、少なくとも僕がこの店の客になったときには居たよ」
「それって具体的にどれくらい……」
「僕らが京に上ってすぐだったから……一年半くらいになるかな」
「一年半……」
沖田さんは私の質問にも眉一つ動かさず淡々と答え、団子を口に放り込む。
その表情は、椿ちゃんのことは気にならない……と言った様子で、私はそんな沖田さんにほんの少しの不満を募らせた。
だって私が初めて椿ちゃんに会ったとき、沖田さんは彼女と仲が良さそうに見えたから。
――なのに、こんなにも無関心だなんて思わなかった。意外と薄情者なんだ。
私がそんな風に思っていると、今度は帝が尋ねてくる。
「で? その椿って子、誰だっけ」
「あ……うん。この店で働いてた女の子なんだけど。この前私が酔った浪士に絡まれたことがあったでしょう? その時、椿ちゃんが斎藤さんと原田さんを呼んで助けてくれたの」
「あぁ……成程。それは礼くらい言いたいよな。俺も会いたい」
「うん。でも家とか知らないし。沖田さん、知らないですよね?」
「知るわけないでしょ」
「ですよねー」
私は、尚もそっけない沖田さんの態度に溜息をつきたい気分になった。
沖田さんは椿ちゃんが店を辞めた理由が気にならないのだろうか。
「君、そんな目で僕を見ないでくれる?」
「だって気にならないんですか?」
「なるよ。でも下手に詮索するもんじゃない。それに詮索したところで、辞めた彼女が戻ってくるわけじゃないんだし」
「……それはそうですけど」
「それにさ、詮索されて困るのは君たちの方じゃない? この際だから言っちゃうけど……僕、土方さんから君たちを監視するように言われてるんだよね。理由は教えて貰ってないけど」
「――えっ」
それはあまりにも突然すぎる言葉だった。
その告白に、私は驚きを通り越して唖然とする。口の中に団子を入れたまま……。
だっておかしいだろう。普通、監視対象に“監視している”ことを言うなんて駄目に決まってる。
一体沖田さんは何を考えているのだろうか。
私が隣に座る帝を見やれば彼も同じように思ったらしく、沖田さんの予想外すぎる言動に目を見開いて固まっていた。
「何本気で驚いてるの。千早はともかく、秋月はとっくに気付いてたでしょ? ――ほんっと、君たち土方さんに何したんだか」
沖田さんはそう言ってため息をつきつつ、あくまでも平静のままズズッと湯呑のお茶をすすった。
そうして今度はどこか楽しむような表情で、私と帝の顔を交互に見やる。
「というわけで相談なんだけど……君たち、良かったら僕に教えてくれない? どうして君たちがこんなに土方さんに警戒されてるのか」
「――むぐッ!?」
ちょ――沖田さん一体何言っちゃってるの!? っていうか団子……団子が、喉に……!!
「むぐぐぐっ……!?」
「ちょ――千早、何やってんだよ!」
私は苦しさのあまり涙目で自分の胸を二、三度叩く。それに合わせて、帝も私の背中を叩いてくれた。
すると何とか無事に、団子が喉の奥から咥内へと戻ってくる。
「し……死んじゃうかと、思った……」
「マジで大丈夫かよ……、ほらお茶」
「う……うん。ごめん、ありがと……」
――ああもう最悪。それもこれも、沖田さんが急に驚かせるようなことを言うから……。
だけど、今の沖田さんの発言でわかったこともある。
沖田さんは何も知らないのだ。私と帝が未来からやってきたことを、沖田さんは知らない。
何も知らないまま、私達を監視するように土方さんに言われているのだ。
だが、それにしたって沖田さんの言葉はあまりにも不可解だ。
監視対象である私たちに対し、監視していることを明らかにしてしまうことも。そして、私達本人に対し「秘密を教えろ」と言ったことも。
――一体沖田さんは何を考えているのだろう。
湯のみを両手で持ちながら私がゆっくりと沖田さんに視線をやれば、彼はすぐに私の視線に気が付きニコリと微笑んだ。
それは隙のない、張り付けたような美しすぎる笑顔で……。私の背中に、悪寒が走る。
唇は笑っているのに……眼が笑っていないのだ。
私はそんな沖田さんから帝の方へ視線を移す。すると彼は私を見返し目を細め、一度だけゆっくりと瞬きをした。
「――!」
ああ、これは「黙ってろ」の合図だ。帝がいいと言うまで話すな――の合図。
私はしばらく、口を閉ざすことを決める。
そしてそんな私の代わりに、帝が口を開いた。
「沖田さん、今のあなたの発言……土方さんを裏切ることになるとわかって言ってます?」
「もちろん。だからわざわざこんな場所で話してるんじゃない。屯所内でこんな話……誰かに聞かれでもしたら土方さんに切腹させられちゃうよ」
「……そうまでして、知りたいと?」
「知りたいね」
「……」
帝の問いに、はっきりと答える沖田さん。
その真っ直ぐすぎる視線に、私の隣に座る帝のオーラが張り詰める。一歩も引くつもりのない沖田さんの強い気持ちを、図りきってしまったのだろう。
「……なら、俺たちを納得させてください。土方さんが知っていて、沖田さんは知らない俺たちのこと……それを沖田さんに明かしたとして、いったい俺たちにどんな利益がありますか。それ無くして、俺は秘密を明かすことは出来ません」
「……確かにそれはその通りだ。では参考までに聞くけど、土方さんは君たちにどんな利益を提供したのかな?」
「……」
「それくらいなら、教えてくれたって構わないんじゃない?」
――帝と沖田さんは睨み合う。
こんな街中の小さな団子屋で……むせ返りそうな殺気を辺りに充満させながら、二人はただお互いだけを見据える。
私はそんな二人のやり取りを、固唾をのんで見守っていた。二人の間に漂う張り詰めた空気を、肌の上で痛い程感じていた。
――それにしても……。
こんな状況にも関わらず、私は小さな期待に胸を膨らませる。
なぜなら、今まで気になっていたことが沖田さんのおかげでわかるかもしれないからだ。
私はずっと何も知らない振りをしていた。池田屋事件の夜から、土方さんが“私たちの正体を知っている”ことに気付かない振りをし続けていた。
けれど今、ようやくその情報が解禁されたのだ。いったい帝と土方さんの間でどんなやり取りがあったのか――これで私もようやく知ることが出来る、と。
けれど、帝の答えはあまりにも予想外のものだった。
――長く短い沈黙を経て帝が答えたのは……そう。
「“千早の身の安全の確保”」
――と言う、あまりにも帝らしい……けれど、中途半端と言わざるを得ないものだったのだから。




