七
◇
「おい、邪魔だてめェら。退け」
「――っ!?」
それは土方さんの声だった。鬱陶しげな、煩わしげな、いつもの不機嫌な土方さん――というような声だった。
その突然の声に、私は今にも開きかけていた口をつぐむ。予想していなかった土方さんの登場に、驚きのあまり頭の中が一瞬で真っ白になった。
――あれ? 私って今、帝に何を言おうとしてたんだっけ……。
そんな風に思いつつ、目の前の沖田さんと、帝、そして土方さんの顔を順に見やる。
すると土方さん以外――つまり沖田さんと帝も、私と同じくらい驚いていることがわかった。
「ひ……土方さん、どうしてここに」
私達の言葉を代弁するかのように、帝が顔をひきつらせて呟く。
すると土方さんは、ただでさえ険しい顔を一層険しくさせた。
「藤堂に呼ばれたんだよ。てめェらが縁側で修羅場だってな。――ったく。痴話げんかなら他所でやれ」
「――っ」
その言葉に私が辺りを見回せば、確かに平助の姿はどこにもない。
つまり平助は、私達が気付かないうちにこの場を脱し土方さんを呼びに行ったと……そういうことか。
――にしても、どうして呼ぶ相手が土方さんなのだろう。どうせなら山南さんとかの方が良かったのに。
私はそんなことを思いながら、右手の仲のプリクラを握り締める。
そうして、本当に今さらながら焦り始めた。
――一体どこまで話を聞かれてしまったんだろうか、と。
確かに土方さんの言う通り、こんな場所で話すようなことではなかった。
プリクラの件は不意打ちだったとは言え、コレは未来のもの。つまり、おいそれとこの時代の人に見せられるものではない。
それに、私はここでは男――ということになっているのに。今の会話は、誰がどう聞いても男女の会話に聞こえるものだったはず……。
それなのに、私はコレを沖田さんに見せるだけでは飽き足らず……しかも、こんな修羅場にまで発展させてしまったのだ。
こんなのもう言い逃れ出来ないではないか。――いろんな意味で。
……どうしよう。
私はあまりの気まずさに、土方さんから視線を反らさずにはいられなかった。
が、ふと思い当たる。
もしや、もう隠す必要はなくなっているのでがないか、と……。
だって、土方さんと山南さんは私たちが未来人であることを知っている。と言うことは、もしかしたら沖田さんにも知られているのかもしれないのだ。
ならば見せてしまっても問題ない?
そう考えて……けれど結局、先日の山南さんとの会話を思い出した私は内心大きく首を振った。
いや、やっぱり駄目だ。
なぜなら私は、“土方さんたちが私たちの正体を知っている”ことを知らない、ということになっているはずなのだから。
池田屋事件の日の夜、私は山南さんに固く口留めされた。私が山南さんと会話した事実自体を、無かったことにして欲しいとお願いされ、私はそれに同意した。
そう。だからこそ私はあれから一週間がたった今も、帝に事の真相を尋ねることが出来ないでいるのに……。
――ああもう、本当にややこしい。
とにかく、下手なことは言わないようにしないと……。
私は先ほどまでの帝に対する怒りも忘れ、右手の拳を更に強く握り締める。
この話は後だ。また帝と二人になったときにしよう――と、心に決めながら。
すると丁度そのときだ。
土方さんのしかめっ面が更に酷くなったかと思うと……次の瞬間には、土方さんは帝の額に右手を当てていた。
「……っ!?」
それは何の前触れも断りもなく。私は驚きのあまり無意識に目を見開く。
目の前で帝の額に手を当て、じっと観察する土方さんの真剣な瞳に……ただ、困惑するほかなかった。
――え? 何それ。なんで手? 帝の額に、何で手?
私の脳裏に沸き上がる沢山の疑問符。
が、そう感じたのは私だけではなかったようだ。
当の帝本人も驚きのあまり瞬きすら忘れ放心しているし、沖田さんも啞然とした様子。
それはまるでこの空間だけ時が止まってしまったかのよう。
だが、土方さんの一声によって再び時が動きだすまで、それほど時間はかからなかった。
「こいつ、熱あるぞ」
――熱?
「えっ、どういうことですか」
尋ね返せば、土方さんはピクリと眉を震わせる。
そうして帝から一瞬たりとも視線を離すことなく、独り言の様に呟いた。
「肩の傷のせいか……いや、或いは」と。
そうしてその顔を一層曇らせると、今度は帝の唇に鼻先を寄せ――すん、と匂いを嗅ぐような仕草を見せたのだ。
「~~ッ!?!?」
これには流石の帝も我に返らずにいられなかったのだろう。
帝は土方さんの行いに一瞬のうちに顔を引きつらせ、そこから一歩後ずさった。そしてそのまま距離を取ろうとする。
が、土方さんはそれを許さなかった。
彼は帝の腕を掴み、今度こそその動きを拘束する。
そうして、間髪入れずにこう尋ねた。
「――お前、飲んだのか?」
「……は?」
「飲んだんだな、俺の薬」
「……薬? ……何のこと」
「いや、間違いない。この匂いは……」
――一体どういうこと?
「ひ、土方さん、薬っていったい――」
私が再び尋ねれば、土方さんは私を横目で睨みつける。
「昨夜気づいたんだが、……俺の薬瓶が一本減ってたんだよ。くそッ、失敗作だから押入れの奥にしまってたっつーのに」
「えっ? え……? そんな、帝が盗んだって言うんですか!? 帝は絶対にそんなことしません! って言うか、失敗作って何……!?」
「誰もこいつが盗んだなんて言ってねーだろうが! が、そうだ。この薬は失敗作……。ああ、くそッ、面倒なことになりやがった」
「面倒!? 面倒って……つまり副作用ってことですか!? そうなんですか!?」
再び私の頭は真っ白になる。
ああ、こう見えても私だって医者の娘。つまり、失敗作の薬――その言葉の意味がよくないことだということくらいはわかる。
いったい何の薬の失敗作かはわからないが、土方さんが“面倒なことになった”――と言っているのだから、尚更よくないことだというのは確実だ。
ああ、ということはもしかしなくとも、今の帝の様子がおかしいのはその薬のせい……ということなのだろうか。
だとしたらさっきのやり取りも、全部薬のせい? 帝の本心……ではなく?
いや、まだそう決まったわけではない。そもそも何の薬かだって聞けていないし、その副作用の症状だって確認できていないのだから……。
――私がそんなことを考えている間にも、土方さんは帝に詰め寄っている。
「兎に角、だ。お前はこれから三日間、俺の部屋で過ごしてもらう」
「えっ……何ですかそれ。普通に嫌ですけど」
「四の五の言うな。これは副長命令だ」
「いやいやいや。三日って長いし……って、え、マジで? 普通に怖いんですけど。土方さん、俺に何するつもりですか」
「何もしやしねェよ! 俺だって好き好んでそんな……って、変な目で俺を見るな!」
「いやいやだって三日も部屋に監禁って……えー」
「ああもういい黙れ。今のお前にゃ何言っても無駄ってことはわかってんだ。どーせ全部忘れちまうんだからな」
――!?
私はその土方さんの言葉に青ざめた。
“全部忘れてしまう”とは言ったいどういう意味なのか。
「あ、あの! 土方さん!」
私は呼び止める。今にも帝を引きずって連れていきそうな土方さんの背中に、問いかけた。
「その薬、一体何の薬の失敗作なんですか!? 副作用は……。全部忘れるって、一体どういう――」
すると土方さんは足を止め、背を向けたまま低い声で呟く。
「“自白剤”だ。が、こいつは自白させるどころか自我を変にしちまう失敗作……。ついでに言えば、薬が効いている間のことは全て忘れるっていうオマケ付きだ。つーわけで佐倉、お前もしばらくはこいつに近づくな。今のこいつは、何をしでかすかわかったもんじゃねェ」
「……っ」
その言葉に、私は今度こそ絶句する。
土方さんはそんな私を置いて、今度こそ角の向こうへ消えていった。全力で暴れる帝を力ずくで引きずりながら……。