六
◇
「そこまでだよ、秋月」
それはつい口をついて出た言葉だった。
最初はちょっとからかってやろうと思っただけなのに……痴話げんかなんかに口を挟むつもりは毛頭なかったのに。
秋月のあまりにも杜撰な言い訳が聞くに堪えず、とうとう口出ししてしまった。
小刻みに肩を震わせる千早にこれ以上傷ついて欲しくなくて、つい彼女を庇ってしまった。
「……沖田、さん?」
僕の背後で、今にも泣きだしそうな千早の声が僕の名を囁く。
それは、どうして私をかばうのか……? と、そう言っているように聞こえた。
「これ以上聞かなくていいよ、千早」
そんな彼女に、僕は告げる。
こんな男の言葉を、これ以上聞く必要はない――と。
こんな、馬鹿な男の言い訳を。
僕だって伊達に男を二十年やってるわけじゃない。
例え事実がどうであれ、そこに下心があったかどうかくらい容易に見分けられる自信がある。
それに今回のことについて千早には全く非がないのだ。
それなのに、どうして彼女が傷つかなければならないのか。
「秋月、君はまず自分の非を認めるべきだ」
僕は背後に千早を隠したまま、秋月に迫る。
こちらを敵視するように睨みつけてくる秋月に、咎めるような視線を向けた。
だが秋月は、この期に及んで言い訳じみた言葉を繰り返す。
「でも俺は本当に」と。
そんな秋月の言葉に、僕は怒りを通り越してあきれ果てるほかなかった。
だってそうだろう?
今一番大切なのはお前の事情じゃない。千早の気持ちだ。千早が傷ついている――その事実が問題なんだ。
それなのに……どうしてこいつはそのことに気付かない?
付き合いの浅い僕でもわかることを、なぜ千早の一番近くにいるこいつが気付かないんだ。
「……君、それ本気で言ってるの」
――僕の中にふつふつと沸き上がる焦燥感。
自分は悪くない、とそう言い切る秋月に込み上げる強い怒り。
――こいつ、本当は馬鹿だったのか?
思わずそんな心情を吐露してしまいそうになる程に、僕は目の前の秋月帝という人間が理解できなくなっていた。
秋月の千早を想う気持ちの強さだけは本物だと思っていたのに。
過去はどうであれ、今の秋月は千早を大切にしていると信じていたのに……。
僕がちらと背後の千早の様子を伺えば、彼女はやはりと言うか何というか、秋月の顔を茫然と見つめていた。
僕ですらこんな風に思うのだ。千早の受ける衝撃は計り知れないだろう。
だが秋月はそんな千早の視線にすら気付くことなく、ただ僕を睨みつけるばかりなのだ。
それは酷く感情を露わにして。余裕などないと、理性など知ったことかという顔をして。
この男は、ただ僕を嫌悪するかのような目でねめつけてくるのだ。
ああ――くそ、やめてくれ。
そんな秋月を目の当たりにし、僕の中で邪な感情が頭をもたげる。
こんな男に千早を任せておいていいのか――と、そんな考えが頭をよぎる。
それと同時に思い出されるのは、土方さんの言葉。
四日前の池田屋についての会議の後、土方さんに言われた言葉だった。
そう――あの時土方さんは、僕を呼び止めこう言ったのだ。
「お前が全てをかけてでもあいつを手に入れたいと思うんなら、俺はもう反対しねェよ。好きにやれ」と。
それを聞いた僕がどれだけ驚いたことか、きっと誰にもわかるまい。
千早を好いていること自体をよく思っていなかった筈の土方さんが、まさかそんなことを言うなんて。
だが、その時の僕はただ虚しさを感じるばかりだった。
想い慕いあう二人の間に割って入ることなど出来ないと、そんなつもりもないと――そう思っただけだった。
なのに、今の秋月を見ていると……あるいは、と考えてしまう。
僕にも機会があるのかもしれない……と。
本当は、そんなこと思ったらいけないとわかっているのに。
二人の間に入り込む隙などわずかもないと、疑っていなかった心が揺らいでしまう。
二人の絆は誰にも断ち切ることはできないと諦めていた感情が、再び命を吹き返す。
僕にも望みは残されているのではないか――と、そんな風に思ってしまうのだ。
「っていうか沖田さん、そこ退いてくれません? これは俺と千早の問題なので」
相も変わらず僕を睨みつける秋月は、やはりいつもの冷静さを保っていないようで。
そんな彼は、先ほどまで青かった顔を苛立つように赤く染め、僕の背後に回り込もうとした。
――が、僕はそれを許さなかった。
だって、今のこいつを千早に近づけさせるわけにはいかないのだから。
「それは無理な相談だね」
僕は笑みすら浮かべ、千早への通路を断つ。
すると秋月は、僕の妨害に更に気分を害したようだった。
「――っ、沖田さんには関係ないじゃないですか。――おい、千早、こっちに来いよ!」
秋月は僕をキッと睨みつけ、荒っぽい声で千早を呼びつける。
が、秋月に不信感を抱いているのか――千早は僕の後ろから一歩も動こうとしない。
そんな彼女の姿に、僕の心は一層ざわめきだした。
そう、それは多分……優越感という感情に。
その今まで感じたことのない不思議な感情に、僕の唇は無意識に弧を描きそうになる。――が、僕は必死にその感情を押しとどめ、再び秋月を睨みつけた。
「っていうか君、まずは千早に謝ったらどうなの? さっきからごちゃごちゃ言い訳ばかりして。君がさっきの女子から接吻されたのは事実なんでしょ」
「――ッ」
僕が整然とした口調で言えば、秋月は再び顔を曇らせる。
「いや……だから俺は――」
「悪くない? もしそれが心からの言葉なら……そうだな、僕が今ここで千早に口づけても何の文句もないってことだよね?」
「は? それとこれとは話が違うだろ」
「そうだね、違うよ。僕は男で、千早は女だ。千早は僕に敵わない。と言うことはつまり、この場合悪いのは全面的に僕。――だから、君が千早を責めるのはお角違いってことだ」
「何が、……言いたい?」
僕の言葉に多少の怯みを見せる秋月。
だがその瞳は、未だ自分の過ちには気付いていないと告げている。
ならば……僕は――。
「ってことはだよ。やっぱり悪いのは君ってことになるんじゃない? 無理やり接吻されたなんて、それは女子の台詞だよ。……君は拒もうと思えば拒めた筈。なのにそれをしなかった。だから君は千早に謝るべきだ。
――と僕は思うんだけど。千早、君はどう思う?」
「……ッ」
そう言って僕が背後の千早を振り向けば、彼女はびくりと肩を震わせる。
突然の僕の問いかけに、視線を左右に泳がせた。
――ああ、ちょっと意地悪な言い方をしてしまった。
彼女の動揺っぷりに、僕の心にほんの少しだけ罪悪感が沸き上がる。
確かに、千早からすれば答えづらい問いだったかもしれない。
それに僕は別に、二人を仲たがいさせるつもりは少しもなくて。ただ僕のこの言葉が千早の心に少しでも響いてくれたら、と。そう思っているだけで。
そしてその結果、千早の中で僕の存在が今よりも無視できないものになってくれたらと……そんな期待をしているだけで。
――ああ、でも……そうか。こう考えること自体、二人の仲を引き裂くよりももっと卑怯なことかもしれないな。
だけど仕方ないじゃないか。こんな場面に出くわしてしまったのだから。
誰だって、好いた相手が傷つくところなんて見たくないものだろう?
少しでも好かれたいと、頼られたいと願うものだろう?
「千早、聞いて。別に僕は君たちの仲を悪くしたくてこんなことを言ってるんじゃないんだ。――僕はただ君に傷ついて欲しくないだけ。秋月を悪く言うつもりもない。
でも、はっきりしておいた方がいいこともある。自分と相手は違うんだから、きちんと話し合わないと。言わなきゃ伝わらないこともあるんだよ」
僕は千早と目線を合わせ諭すように伝える。
すると今度こそ、彼女は何かを決意したようだった。「はい」と小さく呟いて、彼女はその瞳に秋月の姿を捕える。
そうして、躊躇うように口を開いた――その時だった。
何とも絶妙すぎる節で、僕らの背後に現れる人影。
それは「おい、邪魔だてめェら。退け」と低く呟いて、僕らの背中に痛いほどの眼差しを向けてくる。
「――ッ」
その聞き覚えのありすぎる声に咄嗟に振り向けば、やはりそこには――煩わしげに眉根を寄せて僕らを見下ろす――土方さんの姿があった。