五
「お、沖田さんッ、いつの間に!?」
「居たよ、さっきからずっと」
「えっ、ずっと……?」
「だって厠から僕の部屋戻るのに、ここ通らなきゃいけないし」
「あ……そう、ですよね」
「そんなことより、これ……何?」
沖田さんは訝し気に眉をひそめる。そうして、指先に挟んだソレと、私、そして帝の顔を交互に見やった。
「どうも南蛮の物のようだけど……ここでこういうものを表に出すのは感心しないな。っていうか、それくらいとっくの前に理解してくれてると思ってたんだけど」
そう言って沖田さんは目を細める。
「……そう、ですよね。……すみません」
私はそんな沖田さんの言葉に、ただ謝ることしかできなかった。
だってその言葉は本当に正しくて、言い返す言葉もなかったから。
それに……。
私は帝に視線を向ける。先ほどからずっと様子がおかしい帝の方を……。
帝はどういうわけか先ほどから私と目を合わせようとしない。それは沖田さんが現れて、尚一層酷くなったように思える。
今の帝は、私がこうやって見つめても視線を返してくることなく、ただ青い顔で目線を左右上下へと泳がせるだけなのだ。
――それは確実にいつもの帝とは違っていて。
だから私は帝の持っていたソレよりも、帝の態度の方が気になっていた。
が、そんなこと知る由もない沖田さんは、何も言わない私たちに痺れを切らしたのだろうか。あるいは勝手に答えを知った気になったのか――突然このように呟いた。
「ああ、……成程」と。
「……?」
成程? 何が?
その言葉の意味がわからなかった私は、再び沖田さんの方を見やる。
すると彼はただでさえ冷えた視線をより一層凍らせて、続けた。
「にしても秋月の隣に描かれてるのは、君たちの友人かな? 出会ったときの君の着物と同じに見えるけど」――と。
私の眼前にソレを突きつけ、わざとらしくほくそ笑みながら……。
「――ッ!?」
瞬間、私は愕然とした。
私の眼の前に突きつけられたその存在に。
今まで私には見えていなかった袋の反対側に張り付けられた、プリクラの存在に。
「な……」
何、……これ。
私は茫然とプリクラを凝視する。
そこに写るのは、見慣れない女子生徒の姿。
私の知らない女子と見事にツーショットで写る、紛れもない帝の姿。
「こうやって改めてみると、やっぱりおかしな恰好だよねー。着物の方がずっと動きやすいと思うんだけど」
挑発するような沖田さんのその声も、どこか遠くに聞こえるようで……。
私は、ようやく悟った。
だから沖田さんは先ほど「これは誰か」と言ったのだ、と。
何のことかと思ったけれど、沖田さんはこのプリクラに真っ先に気が付いていたのだ。
「沖田さん、ちょっとそれ貸してください」
私は沖田さんからソレを奪い取る。
視界の隅で顔を白くする帝をよそに――私はただそのプリクラを凝視した。
確かに沖田さんの言葉の通り、プリクラに写っているうちの一人は帝で間違いない。
そして問題の女子も……確かに八条高校の制服を着ている。リボンをしていないため学年はわからないけれど、見覚えのない顔ということは後輩だろうか。
それにしても、プリクラマジックがかかっているとは言えかなりの美少女である。
ぱっちりとした二重に白い肌、髪は緩くカールして、まさにザ・女子といった風貌。
しかも極めつけは、この女子が帝の頬にキスをしていることだ。
ほっぺたに……キス……。
ここから考えられることは、もう一つしかないではないか。
「~~ッ」
――刹那、突如として私の中に沸き上がる黒い感情。
それは嫉妬……ではなく、とてつもないほどの怒りだった。
「ねぇ……帝、これは一体どういうこと?」
私はプリクラの張り付けられたソレを片手で握りつぶし、ゆっくりと帝を振り返る。
「説明……してくれるよね?」
そしてそう呟けば、帝は「ひっ」と悲鳴を上げた。
「いや、説明も何も。俺はただクラスの奴らに騙されただけなんだって。皆でプリクラ撮ろうって言われて機械に入ったのに、いつの間にかあいつら居なくなってて……。だから、つまり――」
「……」
「そう――俺は被害者なんだよ。そのキスだって無理やり! それに本当にプリクラ撮っただけで、それ以外には何もしてない。その後すぐ帰ったし、本当だって!」
帝は私の問いに必死に弁解し、そして続ける。「俺は悪くない」――と。
けれど私は許せなかった。
帝は浮気なんてしないと信じているのに、帝が好きなのは私一人だと信じているのに、どうしても許せなかった。
だって今の帝の言い方だと、プリクラを撮ったのも、ほっぺたにキスされたことも、まるで同意の上で行われたことのようにしか聞こえないではないか。
シャッターが押される前にプリ機から出ることは出来たはずなのに。
こんなに接近して撮る必要なんてなかったはずなのに……。
でも、帝はそれをしなかったのだ。
そんなことにすら思い当たらない帝ではないはずなのに。私でも思いつくようなことが、帝にわからないはずがないのに……。
それとも、そんな余裕がなくなるくらいその時の帝は動揺していたということだろうか。
この女子と二人きりにされ、平常心を保てなかったと……そういうことなのだろうか。
もし……そうだとしたら。
「……っ」
――瞬間、私はとてつもない敗北感に襲われた。
そんなこと感じる必要ないとわかっているのに。
それにそもそも、これを撮ったのがいつかだってわかってない。私と付き合う前に撮った可能性だって捨てきれないし、帝の言うように本当に周りに騙されたのだとしたら、帝は被害者だとも言える。
確かにこのプリクラに写る帝は驚いた顔をしているし、少なくとも進んで撮ったわけじゃないことだってわかる。……わかるよ。――わかるけど。
「じゃあ……何で捨てなかったの」
私は――独り言のように問いかける。
「何でこんなもの持ってるの。何で持ち歩いてるの。私以外の人と写ったプリクラ……それが何で、よりにもよってこんなモノに貼ってあるの」
「……それは」
「全然わかんないよ。……意味わかんない。すぐ捨てればよかったでしょ。こんなもの……」
そうだ。
捨ててしまえば良かったんだ。
例え間がさして撮ってしまったプリクラだったとしても、すぐに捨てればよかった。
決して私の眼につかないように、隠し通して欲しかった。証拠なんて残さないで欲しかった。
「それとも……捨てられない理由があったの? この子のこと……もしかして、ほんの少しでも……好き……だった?」
声が震える。
震えて震えて仕方が無い。
帝を睨みつけたいのに……いつの間にか、私の視線は自分の足先を見つめていて。
そんな私の動揺に気付いたのか、帝の声が上ずった。
「ま、待て。違う、誤解だよ。そもそも俺はこのプリクラ貰ってないんだ。受け取るわけないだろう? 俺はちゃんと捨てろって言ったし、向こうも捨てるって言ったんだ。……のに、どういうわけか気づいたらそれが鞄に入れられてて……でも学校で捨てるわけにもいかないし。だから本当に……」
「――嘘」
「……ッ」
「帝はそんなことしない。処分するなら自分でするよ。人任せにしたりしない。そうでしょう?」
――そうだよ。
いつもの帝だったらちゃんと自分で処分する。断言できる。
「でもそうしなかった。何で? 私はその理由を聞いてるの」
帝の話が嘘だと思っているわけじゃない。信じていないわけじゃない。
だけど、どうしてそうなってしまったのか――私はその理由が知りたいのだ。
いつもの帝でいられなかった理由……それを、聞きたいのだ。
――私は拳を握り締める。
手の中のソレを強く、強く……。
袋の端の鋭いギザギザが、……手に食いこむくらいに。
「……千早」
そうして、再び帝が何かを言おうとした――その時だった。
「そこまでだよ、秋月」――と、そう聞こえてきた声に私が顔を上げれば、そこには私を庇うように背を向けて、帝と対峙する沖田さんの姿があった。