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 沖田はぎり――と、奥歯を噛み締める。


 そう……確かに彼は悔やんでいたのだ。

 千早を好いてしまっている自分を許せず、彼女を守れなかった自分自身の無力さを嘆いていた。

 そしてその感情は自らも気が付かないうちに、千早を助けた“あの男”――吉田への殺意へと変わっていたのだ。


 ――あの男が千早の兄だと? いや、そんな筈はない。きっと唯の他人の空似。


 ならば……そう、あの男が千早の心を乱すと言うのなら……、そしてもしもあいつが新選組の敵となる者ならば……自分がこの手で(ほうむ)ってやる――と、そんな複雑な感情を心の内に宿していた。


 だが、そう心に決めた相手を帝に殺され、行き場のない思いに苦しめられたのだ。

 言うならばそれは、確かに嫉妬という名の感情で。

 

 つまり、山崎の言葉は一言一句正しかった。

 心を乱され、自分の殺気も剣技も鈍ってしまっていることに、沖田自身も薄々感づいていた。

 だがそれだって、周りには隠し通せると思っていた。誰一人気付いてはいないと……気付かれてはいないと思っていた。


 しかし……それは間違っていたのだ。

 ――とっくに気付かれてしまっていたのだ。いや、例え本当は気付かれていなかったのだとしても……こうして山崎とやりあってしまった今、否定するのは不可能だ。


「……」

 結局、沖田は観念するほかなかった。

 彼は諦めにも似た気持ちで、皆の方を振り返る。

 そうして――自分に注がれる痛い程の視線に耐え切れず――力なく項垂(うなだ)れた。


 張り詰めた沈黙の中、沖田の声だけが小さく響く。それはただ一言、「すみませんでした」――と。


 その場で立ち尽くし、皆から顔をそむけたまま――彼は誰に向けているのかも分からずに、謝罪の言葉を繰り返す。


「僕の私情で……皆さんを、振り回してしまって……」


 心もとない声で呟く沖田からは、先ほどまで放たれていた殺気は微塵も感じられ無い。


「本当に……浅はかでした。……すみません」


 しかしそれでも、どうしても口に出来ないこともある。

 “吉田と千早の兄が同じ顔”――これだけは、千早を傍に置いておくためにどうあっても言うことが出来なかった。


 だから沖田は口を閉ざす。

 千早への気持ちは認めても、それ以上は言えないと。


 ――だが、土方がそれを許す筈はなかった。

 彼は黙り込んだ沖田を睨みつけ、長い長い溜め息を吐く。そうして、たしなめるような口調でこう言った。


「総司、お前に隠し事は向いてねェ。――佐倉を好いてるってこともそうだが……お前、他に一体何を隠してる」

 それは確信に満ちた声だった。まるでもう、全てを知っているとでも言いたげな顔だった。


「全部吐いちまうんだな。今ならまだ引き返せるかもしれねェぜ。ま、それも内容次第だが」

「……っ」

 ――ああ、くそ。


 土方の問いに、沖田は拳を握り締める。

 動揺一つ隠すことが出来ないままに……。否定することすら出来ずに。


 土方はそんな沖田から視線を外さないまま、今度は斎藤へと問いかける。


「斎藤、秋月は確かに“声が聞こえた”と言ったのか」

 ――それは昨夜の帝がとった不可解な行動についての確認だった。


 斎藤は頷く。


「正しくは――声が聞こえた気がした(・・・・)……と」

「気がした……か。ま、とっさの言い訳にしちゃ上出来か」

「……言い訳?」

「ああ。だってその“声”とやらを聞いたのはあいつ一人なんだろ? 傍にいた藤堂は何も聞いてねェって話じゃねぇか」

「……」

 土方の言葉に斎藤は眉をひそめる。


 確かにその通りだった。

 帝の聞いたという“声”を、藤堂も、そして他の誰も聞いていない。


「そもそも、だ。池田屋から奥沢が発見された場所までは少なくとも二町(にちょう)の距離がある。その上、安藤の方も池田屋には近づいていないと証言した」

「……つまり、声など聞こえる筈がない、と?」

「ああ。叫びでもしない限り“確実に”聞こえない。だからこその“気がする”――だったんだろ? いざとなったら、気のせいだったで済むからな」

「……」


 ――土方の言葉に、その場は再び静まり返った。

 つまり帝は“嘘をついている”と言うことだ。


 土方は続ける。


「ま――わかりやすくて結構なことじゃねェか。普段の秋月ならもっと上手い言い訳を用意出来たんだろうが……あいつにとって余程不測の事態だったってことなんだろ」

「……副長、それは一体?」


 土方の含みを持ったその言い方に、皆の顔が曇る。

 “普段の秋月なら”、“上手い言い訳”、“不測の事態”――それらの言葉に、先ほどとはまた違う種類の不穏な空気が部屋の中に広がった。


 その中でも沖田の様子は異常なほどで、その顔色は今にも倒れてしまいそうなほどに蒼白である。


 土方はそんな沖田に冷えた視線を浴びせながら――再び問いかける。


「総司……少なくとも俺は、お前よりよっぽどあいつら(・・・・)のことをよく知ってるぜ」

「……」

「――言え。お前は一体、俺に何を隠してる?」

「……っ」


 土方の闇色の双眼が、沖田の眉間を射抜く。

 その有無を言わせない眼差しに――そして自分に注がれる皆の視線に、沖田は今度こそ降参した。


 これ以上は隠し通せない、と。

 もし隠そうとすれば、むしろ千早の立場をより一層悪くしてしまうだろう。


 ああ――けれど……。

 ――僕は約束した。千早に、このことは内緒にすると。あの男のことを“兄”だと言った、君の言葉を誰にも話はしないと……。


 なのに……。

 こんなにも早く露見してしまうとは思わなかった。まさか“あの男”が“吉田稔麿”だったとは思わなかった。


 そしてその“吉田”が――まさか他でもない帝の手で殺されようとは……。


 ――沖田は唇を噛み締める。

 だが、これ以上は限界だ。


 彼は仕方なく心を決める。

 そうして、躊躇いがちに口を開いた。


 “吉田と千早の兄が同じ顔”であると言う事実を、伝える為に。



◇◇◇



 沖田の話が一通り終わると、その場は再び静まり返った。

 吉田稔麿が千早の兄と同じ顔――それ即ち、二人は同じ人物なのではないか……そんな図式が、皆の中で出来上がってしまっているようだった。


 もしそうであれば、帝は千早の兄を殺してしまったことになる。それはそれで倫理的に問題だが……それはつまり、二人は元々長州攘夷派と繋がりのある人間だったと言うことだ。

 そしてそれが、何らかの理由で仲間割れでもしたのだと、そういう話になる。

 

 あるいは沖田の言う通りただの他人の空似、つまり別人であるのなら何ら問題はないだろう。

 似ているだけの別人であれば殺すことも可能。だがその場合、何故帝が吉田の場所を知っていたのか――という問題になるのだが。


「ハッ。面白えじゃねェか」

 沈黙の中、土方の唇がニヤリと歪む。

 それが一体何を意味しているのか、その場の誰にもわからなかった。――だが。


「いいか、この場にいるてめェらだけには教えておいてやる。……そもそも今回の事件、古高に自白させたのは俺じゃねェ、……秋月だ」

「――ッ」

 瞬間、再び空気がピリ――と震えた。


「いや、自白させた、なんて言い方じゃ失礼だろうな。あいつは言い当てやがったんだ。攘夷派の奴らの計画を。そして、古高奪還の為の会合が“池田屋”で行われるってこともな」

「……土方君、それは」

 土方の口から告げられた内容に、山南は眉をひそめた。

 それは口外しない約束ではなかったのか――そう言いたげな視線を向ける。


 だが土方の言葉は止まらない。


「つまり、あいつらは長州の奴らと何らかの繋がりがあるってことだ。それがどんな繋がりかは別として……な」

 そこまで言って、土方は沖田へ視線を向ける。そうして、耐えがたい言葉を突きつけた。


「確かに今のあいつらの行動を見ていれば、少なくとも今は(・・)俺たちの味方だろうことはわかる。だが……万が一にでも俺たちに背を向けるようなことがあれば……。……続きは、言わなくてもわかるよな?」

「――っ」

 その問いに沖田の瞳が揺らぐ。

 わからない筈がなかった。


 “裏切り者には、死を”――それが新選組の(おきて)なのだから。

 今までだってそうやって来たのだから。それは、日向の父親である殿内を殺したときのように……。


「……ま、すぐにどうこうなることはねェだろうがな。少なくとも今回の襲撃が上手くいったのは秋月の手柄。あいつは使える男だ。

 それに、あいつらがここに居る間は仲間であることに変わりはねェ。願わくば永遠に、側に居てくれたらと思うぜ」


 土方はその言葉を証明するかのように、その場の四人を見回して口角を上げる。

 二人は必要な人間だ。けれど同時にとても危険な存在である――と。そのことを心から楽しんでいるかの様に。


 そんな土方の態度に、沖田は……。



◇◇◇



 ――こうして、池田屋事件はこの議をもって本当の意味で幕を下ろした。


 それぞれの心に、深いわだかまりを残したままに……。


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