三
◇◇◇
「おい総司、めったなことは言うもんじゃねぇ」
「そうだ、あの青年はまだ生きているだろう」
「君、少し落ち着きなさい。総司、もう少しこの子の気持ちを考えてあげられないのか」
沖田の心無い言葉に泣き出してしまった千早を前に、流石の彼らも心が痛むようである。彼らは口々に沖田を非難し、どうにかして千早をなだめようとした。
けれど沖田はそれが気に入らないようだ。
「だってほんとのことじゃないですか。あれじゃあ死んでるのと変わりませんよ」
彼は不本意だと言わんばかりに口を尖らせる。
だがしかし、このやり取りさえ千早には聞こえていなかった。帝が死んでしまったと聞いて、もはや彼女は自分を見失っていた。
新選組の面々は、お前が悪いと言わんばかりに沖田をじろりと見やる。その視線と――そしてあまりに痛々しい千早の姿に、流石の沖田も謝罪しようと口を開いた。
「すみませんでした。僕が悪かったですよ、だからもう泣かないでくださいって」
だが、その言葉さえ千早には聞こえていないようだ。
その証拠に、彼女は今まで項垂れていた顔を上げると、静かな声でこう告げたのだ。
「私を、殺してくれませんか」――と。
「……は?」
その言葉に、沖田は今度こそ唖然とした。殺してくれと、今この娘はそう言ったのか? ――それほどまでにあの男を愛しているとでも? 後追いでもする気か? そんなこと言って、実際死ぬとなれば抵抗するに決まっているのだ。馬鹿らしい。
――そんな風に思った。だが、その考えはすぐに覆される。
自分を見据える千早の瞳から、一切の生気が失われていたからだ。ドロリとした瞳からは、すべての色が消えている。――ただの冗談かと思っていたのに、その言葉が本気であると気づいた沖田は、どういう訳か怒りすら感じていた。
「君、本当に死にたいの?」
沖田が尋ねれば、千早はこくりと頷いた。相手の男が生きている、という言葉は聞こえないのに、死にたいか、という言葉には反応するとは一体どういう了見なんだ。沖田は顔をしかめる。
「土方さん」
「何だ」
「どうしましょう。なんだか僕、すっごくイライラするんですけど」
「……」
「何なんですかね。この娘、僕らのことなめてるんですかね」
沖田はぼそぼそと呟く。せっかく生かしておいてやったのに、今さら死にたいなどと……。
「僕――いいですか? 斬っても」
沖田は問う。だが、土方は首を振った。
「いや、俺がやる」
「……え?」
土方は沖田を制止し、しびれをきらしたように立ち上がる。そして静かに刀を抜いた。
「お、おい、トシ……?」
さすがの近藤もこれにはたじろいだ。まさかこんな室内で、しかも相手は女だぞ――と。
「土方君! やめて下さい!」
山南も止めに入る。――が、土方は聞かない。彼は皆の制止を振り切り、千早と、それを庇う日向を見下ろした。そこに浮かべられるのは、人斬りの顔――。
「おい坊主、そこを退け」
「どきません……!」
「ならお前も一緒に斬られるか?」
「嫌です!」
土方の全身から殺気が立ち上る。だが日向は決して退こうとはしなかった。元はと言えば沖田が悪いのだ、斬られてたまるものですか――と。
だがそれでも、土方の動きは止まらない。彼は音もなく刀を振り上げると――、そのまま一気に、千早と日向めがけて刀を振り下ろした。
――だが、その刹那。
「――え?」
鋭い金属音が鳴り響き――千早はようやく我に返った。結局刀は振り下ろされず――千早と日向の前には、土方の刀を防いだ斎藤の背中がある。
「どういうつもりだ」
「……副長が望んでらしたので」
斎藤はただ淡々と述べる。それは本当に、些細なことだとでも言いたげに。すると土方は片方の口角を上げた。彼は刀を鞘に納める。
「……と……トシ、驚かさないでくれ……私の寿命が縮まるだろう」
「本当ですよ、土方君」
「……でもその子、泣きやんだみたいだね」
確かに、沖田の言葉通り千早の涙は止まっていた。あまりの驚きに――そう、きっとこれはショック療法という奴だ。
「おい、女」
土方は千早を見下ろし、告げる。
「お前の男は、生きている」
「……え」
千早は茫然と土方を見上げた。
「……死んで……ない、の……?」
「総司の悪い冗談だ」
「……は」
ああ、何て酷い冗談なのだ。だけど、そっか、帝は生きてるんだ。――そう悟った瞬間、再び彼女の頬が濡れた。けれどそれは、先ほどまで流していたのとは違う種類の涙だった。それは、安心と安堵の嬉し涙。
「命を粗末にするな」
土方は続ける。
「簡単に死ぬなんて言うんじゃねェ。あの男はお前を守って怪我したんだろ。お前が死んだら、あいつはどうなる」
「……でも、私のせいなのに。私が――」
「ごちゃごちゃうるせェな。あの男が怪我したのはあいつの責任だ。女のせいにしてちゃ男が廃る」
「……そう……なの?」
千早は呟く。――そうなのだろうか、いや、そんな筈はない。だけど、だけど……。
目の前のこの男は、自分は悪くないのだと言う。命を粗末にするなと言う。殺してしまえばいいものなのに、そうするつもりはないのだと、そう言うのだ。
それを悟った千早は、ようやく本当の意味で心を落ち着かせた。
もしかしたら、何とかなるのかもしれない、と。いきなり迷い込んだこの時代でも、何とか出来るかもしれない、と。それに、帝が生きているのなら、彼の為にこの場を切り抜けなければならないのだと。
それに気づいた千早は、今度こそ涙を拭いた。そうして、土方に頭を下げる。
「……ありがとう、ございます」
そう一言だけ、呟いて。




