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 ――そんな沖田の心情を知ってか知らずか、土方は煙草の煙をふうっと吐き出して、再び口を開く。


「――で、安藤の傷の具合はどうなんだ」

 その問いに、部屋の空気が再び張り詰める。


「どやろな。危険な状態ってことには変わりあらへん。何せ発見しよった時には虫の息やったから。ほんまに残念やけど……持ってあと五日ってところやろ」

「……そうか」

 山崎の報告に、土方は言葉を切る。

 その表情はいつもとさして変わらないように見えた。けれど本当は悲しんでいるのだと、その場の誰もが知っている。


 だが未だ沖田だけは、自身の心に捕われて抜け出せない様子であった。

 沖田は納得のいっていない表情で、ただ膝の上の拳をじっと見つめている。


 山南はそんな沖田の横顔をちらと伺いながらも、土方の言葉に続いた。


「安藤さんのことは本当に残念です。――けれど、これほどまでに負傷者が少なかったというのは奇跡と言えるでしょう。死者は一人、怪我人も軽傷者含めて三人という異例の少なさ。誇るべきことです。全勢力を投入出来た結果ですよ」

「そやな。それもこれも全部、古高に自白させた副長の手柄や。……なんやけどなぁ」

 山崎はそう言いながら、呆れたような視線で沖田を流し見る。


「このお姫さんは、いつまでうじうじしとるつもりなんやろ」

 そして、沖田を挑発するかの様に口角を上げた。


「要するにただの焼きもちやないか。自分が吉田を殺せへんかったから、秋月に嫉妬しとんのやろ。餓鬼やな」

「――ッ!」


 刹那、沖田の全身から痛いほどの殺気が放たれる。

 けれど山崎は動じることなく、冷ややかな視線で見返すのみ。


「なんや、やるんかいな」

「……山崎さん。あなた、失礼にも程がありますよ」

「へぇ。図星かいな、お姫さん」

「――ッ」

 沖田は遂に、勢いよくその場に立ち上がった。

 その顔を、抑えようのない怒りで赤く染めながら。


 無意識のうちに腰の刀に添えられる沖田の右手。その手の震えが、彼の怒りの強さを表している。

 だがそんな沖田を目の当たりにしても、山崎の態度が変わることはない。


 山崎も沖田の動きを追うようにその場で立ち上がり、沖田をじっと見つめ返す。


 そんな二人の間の空気は、決して仲間内とは思えぬ程に険悪なものだった。


 ――普段の沖田であれば、このように子供じみた挑発に乗ることはない。そしてまた山崎も、沖田とは一線を引いている為に二人の間の空気がこれ程悪くなることはなかった。

 というのに、いったい何故この様なことになってしまったのか。


「こらこら、二人とも……」

 そんな状況であるから、山南のこの静止が二人に届く筈もなく。


「言わせてもらいますが、絶対に嫉妬なんかじゃありません」

「へぇ、じゃあなんや。言うてみ。自分がそこまで吉田にこだわる理由(ワケ)。まさかと思うが、秋月が裏切っとる言うんじゃないやろな」


 山崎のこの言葉に、沖田の両目が大きく見開く。

 その言葉を否定できない自分自身の心に気が付いてしまったのだ。


 けれど沖田は否定する。

 “そんなつもりで言ったわけではない”――と。


「何度も言ってるじゃないですか。僕はただ……“あの時の男”が簡単に殺られる筈がないと言っているだけです」

「ほー。でもな、俺が思うに、どうも自分の本心は(ちご)てるように見えるんやけどなぁ」

「――っ。それ、どういう意味ですか」

 山崎の挑発に、沖田の顔が歪む。

 その表情は、山崎の言葉の続きを無意識のうちに拒絶しているかのようだった。


 けれど、山崎が口を閉じることはない。


「まさかほんまに気付いとらんのか? 自分が佐倉のことどう思っとるんか」

「――ッ」

 瞬間、沖田は言葉を詰まらせる。

 その言葉の意味がわからない筈がなかった。


「ここに()る誰もが気付いとるで。自分が佐倉を慕っとること。――隠しきれると本気で思っとったんか?」

「……何を……可笑しなことを……」

 

 山崎の挑発的な視線が、沖田の思考を搔き乱す。

 けれどそれでも、認めることだけは出来なかった。


 自分が千早を好いてしまっていることを――それだけは決して口に出来なかった。


「……僕は……彼女のことをそんな風に思ったことはありませんよ。一度たりとも」

 沖田は山崎を殴りたくなる衝動を必死に理性で押さえつけ、どうにか言葉を絞り出す。


 出来る限り冷静に――冷静に。

 声を荒げてなるものか、絶対に乱してなるものかと、自分を自分で律しながら。


 だが山崎はそんな沖田へと近づき、その耳元にそっと唇を寄せる。

 そうして彼は、沖田にしか聞こえないほどの小声で――囁いた。


「手、出しはったん?」――と。


 刹那――沖田の瞳が大きく見開く。

 それは明らかに沖田を侮辱する言葉。


「罪深い男やなぁ」

「――ッ」

 そして同時に、千早を(はずかし)める言葉――。


 瞬間、沖田の理性が弾け飛んだ。

 ――同時に激しい激突音が響き渡り、山崎が部屋の向こう側へと吹っ飛んでいく。押し倒された(ふすま)と共に、勢いよく隣の部屋へと転がっていった。


「お、沖田君! 何を……」

 そんな目の前の衝撃的な光景に、一番最初に反応したのは山南だった。


 ただ眉根を(ひそ)めるだけの土方や黙りこくった斎藤と違い、山南は顔色を蒼くしながら沖田の前に立ちはだかる。


「おやめなさい!」

 そう叫んで、再び山崎に殴りかかろうとする沖田の動きを封じようと、その腕を掴んだ。

 けれど沖田の力は信じられないほどに強く、山南の手は簡単に振りほどかれる。


退()け」

 それだけではない。沖田はいつもなら使わないような無礼な口調で、山南を退(しりぞ)けようとするのだ。


 沖田は畳に倒れた山崎の胸倉を掴み――再び拳を振り上げる。

 だがそれよりも早く、山崎は口角をニヤリと歪ませた。そして、こう言ったのだ。


「斬れや」――と。


 その一言に、沖田はどういうわけか動きを止める。


「拳なんて甘っちょろいことせんで。斬ったらええやん」

「……なに?」

「聞いたで。自分、池田屋でろくに仕事できへんかったんやってなぁ」

「……」

「ほんまにつまらんわ。……皆気付いとるで。わかっとらんのはあんただけや。辛気臭い顔しよって、それで隠せる思っとる方がどうかしとるわ」


 山崎は吐き捨てるようにそう告げて、胸倉を掴む沖田の左腕を突き放す。

 そうして、無言のままでいる沖田を今度こそ眼光鋭く睨みつけた。


「しみったれた殺気やな。今の自分にはなーんもそそられへん(・・・・・・)。ほんまにつまらんわ。……がっかりさせんなや」

「――っ」


 それは心底残念そうな顔で。あきれ果てたという口ぶりで――それと同時に、沖田を心から心配しているという素振りで。


 そんな山崎の態度に、沖田は今度こそ我に返った。


 ああ、自分は一体何をしているのだろうか――と。このような、皆のいる場所で……。


「隠しきれる思っとるなら大間違いや。――自分は忘れてもうたんか。何の為に戦うとるんか、本当に忘れてもうたんか」

「――っ!」


 山崎の視線に、振り上げられていた沖田の右腕から力が抜ける。

 瞳をこれでもかと言うほど見開いて、その唇から荒い息を吐き出して。


「言いたいことあるなら言えや。何がそないに怖いんや、何をそないに恐れとるんや、何がそないに気に入らんのや!」

 沖田の胸倉を掴み返す山崎は、決して沖田から視線を反らさない。

 誰一人山崎を止めようとする者のいない中、まるでそこに二人しか存在していないような空気の中で――二人はただ対峙する。


 そう――二人を止める者はいない。

 それは一重に、山崎の言葉が的を射たものだったからだ。皆、山崎と気持ちを同じくしていたからだ。


「誰にも気付かれんてほんまに思っとったんか。副長が気付かんと、ほんまに思っとったんか。馬鹿にするのもええ加減にせえ!」

「――っ」


 沖田を見つめる山崎のその瞳は、いつしか真剣なものへと変わっていた。


 沖田の喉がごくりと音を鳴らす。

 山崎の眼差しが沖田の視線を捉えて――決して放さない。


「吉田のせいか? それとも秋月や佐倉のせいか? お前は何の為に戦うとるんや! そろそろ目ぇ覚ます時期やないんか!?」

「――、……僕、は」

 沖田の眼前に迫る山崎の黒い瞳。その何時になく人間らしいその表情に――沖田は震えた。


「ほら、言いたいことがあるなら言うてみ。いつまでもそんな態度されちゃあやりにくくって堪らんのや!」

「――ッ」


 山崎の真剣な表情。

 仲間を大切に思うからこその厳しい言葉。それを感じ取った沖田は、もう何一つ言うことが出来ずに押し黙る。


 言い返す言葉もないと。

 何故なら――山崎の言葉は、まさにその通りであったのだから。


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