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 それは池田屋襲撃から三日が過ぎた、晴れた日の午後のこと。

 土方の部屋では、土方の他に山南、沖田、斎藤、そして監察方の山崎ら五名が集まり、池田屋事件で帝が打ち取ったと言う、吉田稔麿について意見を交わし合っていた。


 ――というのも、沖田が土方に、吉田稔麿の死について疑問を(てい)したからである。


◇◇◇


 三日前――池田屋事件当日の夜、沖田は藤堂に続き戦線を離脱していた。暑さからか体調を崩し、途中で倒れてしまったからである。

 それ以上の戦闘は不可能と判断された沖田は、池田屋から少しばかり離れた場所で座り込み、身体を休めていた。


 しばらくの間そうしていると、いつの間にやら合流していた斎藤がらしくない(・・・・・)表情で駆け寄ってきてこう言った。


「秋月を見なかったか」――と。

 それは一体どういう意味かと尋ね返せば、どうやら帝の姿がどこにも見えないと言う。


 どうも藤堂を連れて離脱した筈の帝が、その藤堂を置きざりにしてどこかへ走り去ったまま戻らないらしい。


 今はまだ藤堂ら当事者以外は誰も帝が姿を消したことに気付いていないが、もしこの事実が土方の耳に入れば――そして帝の戻りが遅くなれば、不味いことになる。


 それを危惧した斎藤は、帝を見かけてはいないかと沖田に尋ねたのだ。


「あの……馬鹿」

 これを聞いた沖田は憤った。


 こんな重大な局面で戦場から姿を消すなど、逃走したと判断されても文句は言えない。

 それに新選組には“敵に背を見せたら切腹”という鉄の掟があるのだ。


 もし帝が切腹などと言うことになったら……。


 ――千早はどうなる。


「……あいつ、一体何をやってるんだ」

 沖田は拳を握り締めた。

 壁に背を預け、彼はその場で立ち上がろうとする。


 けれど強い眩暈(めまい)に襲われて、立ち上がることは叶わなかった。


「お前は動くな。秋月は俺が探しに行く。必ず見つけて連れ戻す。安心しろ」

「……別に、僕は秋月の心配なんてしていないよ」

「わかってる。兎に角このことは他言するな」

「……言われなくとも」

「ではな。すぐ戻る」


 そうして斎藤は帝を探す為その場を離れ――けれど先の言葉通り、四半刻もしないうちにあっさりと戻ってきた。


 帝と死傷者を含めた数名の隊士……そして攘夷派と思われる一人の“遺体”と共に。


 以前街で千早を暴漢から救い――その暴漢らをあっさりと斬り殺した……“あの男”の死体と共に。


◇◇◇


 障子戸の隙間なく閉められた部屋には陰鬱な空気が漂っている。既に話し合い開始から半刻が過ぎた今、その緊張感はピークに達していた。



「――で、池田屋で死んだ攘夷派の連中、全員の身元の確認は済ませたのか」

「ああ、全員確認済みや。捕縛した奴ら一人一人にも確認とらせたさかい、まぁ間違いないやろ。

 総司が気にしとったあの男は、間違いなく吉田稔麿本人や」


 山崎のその言葉に反応するように、土方は煙管(きせる)煙草盆(たばこぼん)(ふち)に軽く当てる。

 かつん――という乾いた音が響き、それと同時にゆっくりと吐き出される土方の白い溜め息。


「総司、お前は一体何がそんなに気にいらねェんだ」

 土方は自分のやや斜め前方に座る沖田をじろりと見やる。

 “秋月が吉田を斬り殺した”――それの一体何が不満なのか、と。


 すると沖田は、土方の視線に(ひる)むことなく声を荒げた。


「だって有り得ないんですよ! あの男が吉田稔麿だったとして、どうして秋月なんかにやられたりするんですか!? ……有り得ない。あの男と渡り合うには僕程度の力は必要です!」


 沖田はそう言って、怒りと屈辱に顔を歪ませる。

 帝に吉田を殺すことなど出来る筈がないと、彼は今日何度目かわからない言葉を繰り返した。


 それは普段の沖田らしくない姿であり、それを見かねた斎藤が低い声で諭す。


「以前街で佐倉を助けたという男だろう? 確かにあれは的確に急所を狙って出来た傷だった。だがいくら吉田が手練れであったとしても、戦場では何が起こるかわからない。それはお前が一番よく知っているだろう」

「そや、斎藤の言う通りや。どないしてそこまで吉田にこだわるんや」

「……それは」


 土方は、言葉を濁す沖田を観察するような目つきで見やる。


 確かに沖田の話が正しければ、吉田はそれなりの剣の腕の持ち主で間違いないだろう。


 以前千早が街で浪士らに絡まれた際の吉田の剣捌き――それを土方は直接目にしたわけではないが、あの日の沖田や、そして斬られた浪士らの傷を直接目にしたという原田や斎藤の言葉から考えれば、吉田は相当な手練れであった筈。


 だが池田屋襲撃の夜、確かに吉田に致命傷を与えたのは帝で間違いはないが、そもそも吉田は帝と戦うより前に、安藤によって利き腕に怪我を負わされたというではないか。


 つまり、吉田が命を落とすきっかけを与えたのは帝ではなく安藤であったということ。


 その彼は今現在、吉田から受けた傷によって危篤の状態であるが、昨日の朝までは口を聞くことが出来た。


 つまり、吉田に傷を負わせたという安藤本人の証言も取れているのだ。

 だからこそ帝は、剣術初心者でありながら吉田の首を取ることが出来た。――それの一体何が問題なのか、この場の誰にもわからなかった。


 確かに途中で戦線を離脱した帝の行動は目に余る。けれど帝は、その時の自分の行動についてこう弁明したのだ。


 “聞き覚えのある声が聞こえた気がした。駆け付けなければと思って咄嗟に動いてしまった”――と。

 そうして走って行った先に奥沢の遺体を見つけ、安藤の言葉を聞いて吉田の討伐を引き継いだと。


 ――黙り込んでしまった沖田に、今度は山南が声をかける。


「沖田君、君の言いたいこともわかります。けれどあの夜の吉田は万全な状態ではなかった。利き腕が使えないということが何を意味するのか……君に理解できない筈がないと思いますが。

 それとも、他に何か不可解な点でも?」

「……」


 その言葉に、沖田はぐっと言葉を呑み込んだ。

 ――ある。不審な点なら大いにある。

 と、そんな風に思いながら。


 だって千早はあの吉田のことを、“自分の兄”だと言っていたのだから。


 吉田稔麿が千早の兄――それは沖田の推理では、“ただの千早の勘違い”だった。二人は顔が似ているだけで違う人間であると、沖田はそう考えていた。その考えは今でも変わらない。


 なぜなら吉田稔麿と言う男は裕福な家の出ではないからだ。千早とは育ちが違い過ぎる。


 だから二人は別人である――沖田は自分の中でそう結論付けていた。

 けれどそれでも、今回の吉田の死に納得出来ないことは変わらなかった。


 千早の兄と吉田は同じ顔。それは実の妹である千早が見間違えてしまうほどに。

 それなのに、帝はその吉田を殺したと言う。それも躊躇いも無く、一突きで。


 沖田にはそれが信じられなかった。


 本当にそんなことが可能だろうか、と。

 例え別人であろうと、見知った相手と同じ顔をした人間を……まして恋人の兄と同じ顔をした相手を簡単に殺してしまえるだろうかと。


 例え殺せたとしても、剣先は確実に鈍るはず。


 それにあの日街で出くわした男が吉田であるのなら――あれだけの腕の持ち主ならば、簡単に殺されるわけがない。

 利き腕が使えずとも帝に刀傷の一つや二つは付けられる。

 それなのに――。


 ――秋月の怪我は……左手のかすり傷だけだった。

 

 それに比べ、“吉田稔麿の背中の傷”は明らかに致命傷。それ以外の傷と言えば、安藤につけられたという右腕の傷一つだけ。

 ということはつまり、帝は彼のその証言通り殆ど無傷の状態で吉田を仕留めたということになる。


 それが沖田には、どうしても信じられなかったのだ。


 けれどそのことを口に出来る筈も無い。

 “吉田稔麿”と“千早の兄”が同じ顔。そんなことを口にすれば、千早が長州の……攘夷派の者だと疑われてしまう。

 それだけではない。どうしてそのことを今まで黙っていたのかと、自分自身も責められることになる。


「――っ」


 沖田は皆の厳しい視線の中、悔しげに拳を握りしめた。


 ――言うわけにはいかない。

 けれどどうしても腑に落ちない。そうですかと言って、簡単に受け入れることも出来ない。


 帝が本当に吉田を殺したのか……街で出会ったあの男は本当に“吉田稔麿”だったのか。


 帝を信用しても良いものか、自分はどうするべきなのか――沖田はもう全てがわからなくなっていた。


 “千早の兄”と“吉田稔麿”は同じ顔。


 それさえ除けば何の疑問も抱く必要のないこの状況が酷く気持ち悪くて、皆の意見に納得しなければならないと……これ以上追及すればその余波が千早にまで及んでしまうと理解しているにも関わらず、彼は自分の心に沸き上がる疑念をどうしても払拭できないでいた。

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