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◇◇◇


 中庭に出た私は、山南さんの背中を追うよう形で歩いていた。

 暗闇に包まれた影一色の庭で――私の歩幅に合わせてゆっくりと進む山南さんの後ろを――ただ黙って着いて歩いた。


 ――今頃、帝はどうしているんだろう。新選組の皆は……沖田さんは……池田屋は、どうなっているんだろうと、そんなことを考えながら。


 確かに、帝のしたことは許せなかった。私を騙して、一人残していったことを簡単には許せない。

 だけどやっぱり、その気持ちよりも心配のほうがずっと強くて。


 だって私はただ、彼に無茶をして欲しくないと思っていただけなのだから。

 自分一人で全て抱えこんで欲しくないと、そう願っていただけなのだから。


 つまり、この状況で私に出来ることはもう一つしかないのだ。

 帝に無事で帰ってきて欲しい。怪我一つせずに、戻ってきて欲しい。――そう、祈ることしか。


 私は視線を地面に落としたまま――ただ帝の無事を願って――山南さんの後ろを歩く。するとふと、その足音が静まった。


「山南さん……?」

 私は顔を上げる。

 するとそこには、足を止め私を振り向く山南さんの姿があった。その手の蝋燭の灯りが、ぼんやりと私の足元を照らし出す。


「あの……?」

 ここに何かあるのだろうか?

 私は無意識に辺りを見回した。すると今自分が立っている場所が、蔵へ向かう丁度中間地点あたりだとわかる。

 暗闇が広がるばかりの、人気(ひとけ)も灯りもない場所だ。


 そんな闇の中で、山南さんは唐突に口を開いた。


「私はね、佐倉君。……正直に言って、君たちがとても羨ましいのですよ」――と。


「……え?」

 その言葉に、私はただ驚いた。

 突然何を言い出すのだろうか、と。脈絡のなさに、不安しか感じなかった。


「君たちはとても真っ直ぐで、(みずか)らの心に正直だ。そしてそれを相手に伝える(すべ)を心得ている。隠すことを美徳としない。耐えうることを良しとしない。……そんな君と秋月君の生き方を、私はとても羨ましく思うのです」

「――え。……あの……それって?」


 山南さんは穏やかな声で語る。夜空を見上げながら、ただ、静かに。


「君たちからしたら、それは至極当然のことなのでしょう。けれど私からすれば――いえ、私達からすれば……君たちのような生き方は、とてもではないが真似できるものではありません」

「……」

「私も……君たちのように生きられたらどんなに良いでしょうか」


 山南さんはただ語る。

 夜空を見上げ――まるで独り言でも言うかのように。


 でも――私にはわからなかった。一体山南さんが何を言いたいのか、わからなかった。

 私に何を伝えようとしているのか。

 ただ自分の気持ちを吐き出しているだけなのか……。何と答えれば正解なのか。


 私には、何一つわからなかった。


 でも、一つだけわかることもある。

 夜空を見上げる山南さんの横顔が……その悲し気な微笑みが、彼の心の内を嫌と言う程知らしめる。


 彼は今、何かに苦しんでいるのだと。何かに悩んでいるのだと。


「……佐倉君、君にとって最も大切なものは、君の生きる理由は何です? 聞かせてくれませんか」

「……」

「――いや、やはり止めておきましょう。君の生きる理由は……彼――聞かずともわかり切ったことですから」

「……彼」

 ――それが帝のことだと言うのは、すぐにわかった。


 山南さんの瞳が揺らめく。眼鏡の奥の黒い瞳が、夜空の更に彼方へと向けられる。


「実はね、佐倉君。私には……それがわからなくなってしまったんですよ。自分の志はずっとここにあると信じていたのが――いつしかわからなくなってしまった。土方君と同じ景色を見ていた筈が……どうも、最近は違うような気がしていて。情けない話だと思われるでしょうが」


 山南さんのその言葉はどこまでも独り言のようで……。けれど、救いを求めているような声で……。


 ――ああ、でも、そうか。

 だから山南さんはここにいるのだろうか。池田屋に向かうことなく、屯所で待つことを選んだのだろうか。


 私はずっと、新選組の皆は一致団結しているものだとばかり思っていたのに、本当は違うのだろうか……。


 ここに来てまだ二ヵ月足らず……そんな私に、新選組の内情まではわからない。けれど……目の前のこの人が、新選組について深く思い悩んでいることは確かなのだろう。


 ――だけど、やっぱりどうしても腑に落ちない。

 どうしてこの人は、私にそんな話をするのだろう。私が本来、部外者である人間だからなのだろうか。あるいは、もっと他の理由があるのだろうか。


 私にはわからない。けれど、いつまでも黙っているわけにはいかない。

 だから私は、山南さんの問いに肯定しようと、口を開く。


「仰るとおりです。私の最も大切なものは帝です。大好きなんです。帝のためなら何でもしたいって、ずっと一緒にいたいって、私は思ってます。その為なら……どんなことだって耐えられるし、頑張れる。……帝と共に生きることだけが、今の私の願いです」


 私は山南さんを見つめる。その憂いに満ちた横顔を――。


 すると、その唇が一瞬歪んだ。同時に振り向く、山南さんの横顔。


「――そうでしょうね。けれど……もし進む道が食い違ってしまったとき、それでも君は彼と共にいられますか? 他の全てを捨ててまで、彼と生きることを選べるでしょうか」

「進む道……ですか?」

「そう。例えば彼が、新選組の敵となる道を選んだとしたら――」

「……っ」

「君は、彼と共にここを出ていくのでしょうか」


 ――そうして、山南さんが告げたその一言。

 それは帝の裏切りを示唆するかのような内容で、私は自分の頭に一瞬で血が上るのを感じた。


「山南さん……、それ、どういう意味ですか?」

 私の語尾が強くなる。

 山南さんの言葉の意図を計りかね――つい、声を荒げそうになってしまった。


 だが、それでも山南さんは顔色一つ変えることはない。

 ――つまり彼は、私に本気で尋ねているのだ。本気で……。


「……山南さん、答えてください。どうしてそんなこと聞くんですか。冗談にしてはたちが悪いと思いませんか」

 私は目の前の山南さんをじっと見据える。

 すると彼も、私を見つめ返してきた。


 ――憂いを込めた表情で。

 けれどその眼光は鋭く重く――まるで腹の底を探られているような感覚に陥る。


「佐倉君……どうか私に教えていただけませんか。貴方は知っているのでしょう? この先私がどうするか。――新選組(わたしたち)は……どうなるか」

「――ッ」

 山南さんの低い声。……(すが)るような、切なげな声。


 その言葉に私は悟らざるを得なかった。

 彼は知っているのだ。私と帝の正体を知っているのだ。


「……帝、が……話したんですか」

 私が茫然と呟けば、彼は肯定を示すかのように眼鏡の奥の瞼を細める。

 ナイフのように鋭く――けれど、至って穏やかな表情で。


 そのアンバランスさが、私にはとても危うく見えた。

 いつも優しくて冷静な山南さんの、初めて知る一面に恐怖すら感じた。


 ――ああ、それにしたってどうして帝は……。

 でも、今それを考えても仕方ない。


 それに、私達の正体を知っていても生かしておいてくれているということは、殺す気はないと言うことなのだから……。


「今の質問って……帝にもしたんですか」

 だから私は尋ね返した。なるべく冷静を装って。

 だって、もしも帝が答えなかったのなら、私だって答えるわけにはいかないのだから。


 けれど山南さんは、そんな私の心すらも読み取ったのであろう。中指で眼鏡を押し上げると、薄く微笑む。


「いいえ、彼には尋ねていませんよ。土方君が彼と取引を交わしてしまいましたからね。

 君たちが未来人であることを知った事実を、佐倉君――君には決して悟られないようにする、と。勿論、歴史上で起きた史実一切について尋ねることもしない、と」

「――ッ」

「けれどね、佐倉君。私は土方君とは違うんですよ。利用できるものは全て利用する。たとえ汚い手段を使おうとも、ね」

「……っ」


 何も答えられないでいる私に、彼は続ける。


「だから君も、私との会話は他言無用にするように。君を必死に守ろうとする彼の為にも――何一つ知らず、気づかないふりをしておくのが賢明だと思いますよ」

「――ッ」


 ――ああ、そうか、この人は……。


 私は思わず後ずさる。逃げ出すことは出来ないと知りながら。

 だって、彼は私たちの正体を知ってしまっているのだから。私が山南さんの言葉に従うしかないと、彼はわかっているのだから。


 何も答えられない私に、山南さんはゆっくりと近づいてくる。


 そうして彼は、私の眼の前で蝋燭の火を吹き消した。辺りは暗闇に包まれる――と同時に、彼は私の腕をぐいと掴んで自分の方へと引き寄せた。


 そうして彼は、囁く。私のすぐ――耳元で。


「知っていることを全て教えなさい」――と。


 抵抗一つしない私を至近距離で見つめながら、私に要求するのだ。新選組の未来を教えろ、と。


「君たちの処遇は、全て貴方にかかっているのですよ」

「……っ」


 ああ、それはあまりにも不釣り合いな声。

 内容と少しもあっていない、怖いくらいに穏やかな声音。


「さぁ――佐倉君」


 私はそんな山南さんの言葉を耳の奥で聞きながら――どうするべきか何一つ決められないまま――ただ小さく息を呑むことしか出来なかった。

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