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「――え? ……今、なんて」

「だから、俺たち一回会ってるんだよ。小学生のとき――で、つまり……だから……」

「……っ」


 私は驚いた。

 だってまさか、以前会ったことがあるだなんて思いもしなかったから。


 それに私は全然覚えていない。私の記憶に、秋月くんの記憶は少しも残っていない。記憶力には自信がある方なのに。


 ――それにしても小学生って……一体いつごろ……?


 考えだして、ふと思い至る。

 今さらだけれど秋月くんは標準語。この地方の言葉は話さない。それは私も同じで……ということは、つまり……。


「秋月くんって、もしかして東京出身なの……? 成城(せいじょう)に住んでたことある?」

 私がそう尋ねれば、秋月くんはゆっくりと顔をこちらに向けた。

 それはどこか気まずそうに。恥ずかしそうに。


 その表情に私は確信する。

 彼はかつて、私と同じ地域に住んでいたことがあるのだと。


 ――ああ、なんだ。そうだったのか。

 瞬間、今までの秋月くんの不可解な行動全てが腑に落ちたような気がした。

 初対面で告白してきたことや、私にだけ素顔を見せるところなど……それは全て、彼からしたらきっと当然とも言うべきことだったのだ。


 私の心に、熱いものが込み上げる。

 私の記憶に秋月くんの姿はないのに、突然とても懐かしい気持ちに襲われて……。急に彼が身近な存在に感じられて。


 今までどこか他人事だった私と彼の関係性が、今は自明の事実として私の眼の前に突きつけられる。


 彼は本当に、私のことを好きなのだ、と。

 小学生のときからずっと、私のことを思ってくれていたのだと。こうやって何年も経ってしまった今も、その思いをずっと持ち続けていてくれたのだと。


 小学生のときに比べたら、私の外見は全然当然変わってしまっているのに……。


 それでも彼は気付いたのだ。入学してすぐに、私の存在に気が付いたのだ。


「……凄い。よく……わかったね」

 私が無意識のうちに呟けば、彼は窓の外を見つめたまま頬を赤らめた。

 そうして、それをごまかすような仕草で前髪をかき上げる。


「ああー、もう。だから言いたくなかったんだよ。気持ち悪いだろ、そんな昔から好きだったとか……。ストーカーみたいじゃん」

 そう言って彼はまぶたを細める。


「言っとくけど、俺だってずっと忘れてたんだ。でも入学式で千早を見かけて……急に思い出したって言うか」

 そのあまりにも稚拙な言い訳に、私は思わず噴き出した。


「それは、さすがに嘘ってわかるよ」

「――っ、嘘じゃ……ねーよ」

 秋月くんの頬が更に赤く染まる。

 それはどこか不満げに、照れ臭そうに……その横顔がおかしくて、とたんに可愛く見えて、私の頬も思わずゆるむ。


 嬉しくて……嬉しくて。


 昔の私を覚えててくれる人がいる。

 父の仕事の都合で何度も引っ越しを繰り返すうちに、友人は増えるどころか減るばかりだったのに……私をずっと好きでいてくれた人がいる。

 それがなんだかくすぐったくて、とても恥ずかしくて……嬉しくて。


 ――なのに。


「でも……ごめんね。私、どうしても思い出せないの。それって何年生の時? どこで会ったの? もしかして同じ学校だった?」

「――っ、いいんだよ、別に覚えてなくて。無理に思い出してもらわなくていい」

「……? 何で、思い出したいよ」

「いい。俺が覚えてるだけで十分なの」


 ――一体これはどういうことだろう。


 私がそのときのことを尋ねても、彼はどうしても教えようとしなかった。何か言いたくない理由でもあるのだろうか。


 そう考えて、気が付いた。きっと何か言いたくない理由があるのだろう、と。


 だからこの前もはぐらかされたのだ。それはきっと彼にとって、恥ずかしい思い出か何かなのだろう。――うん、それならばこの反応にも納得がいく。


 私は一人そんな風に考える。

 するとそんな私の心を読んだかのように、突然秋月くんの両眼が私をジロリと見据えた。


 同時に彼の右手が私の頬に伸びて来て、ほっぺたをおもいきりつねられる。


「いっ、いひゃい!」

「言っとくけど、別に恥ずかしい思い出とかじゃねーから!」

「!?!?」

 ――なんでわかるの!?

 心の中でそう叫べば、秋月くんはニヤリと笑った。


「思ったこと顔に出すぎなんだよ。そういうとこ、昔と全っ然変わってない」

「~~ッ」

 確かに私は昔から「気持ちが顔に出すぎ」と言われるけれど……。主に兄から。


「――さ、俺は話したぞ。次は千早の番。俺のこと、名前で呼んで」

「……っ」

 ああ、そうだった。そう言えばそういう約束だったのだ。


「ほら、呼んで」


 刹那――秋月くんの顔が私の眼前に迫る。


 さっきまで私の頬をつねっていた彼の右手が、いつの間にか頬に添えられていた。

 そこから伝わってくる彼の体温に、私の心臓の鼓動が速まる。


「……えっ、と」

 ――あれ? この状況なんだかおかしくない? 名前呼ぶだけなら、この手はいらないと思うんだけど。


 でも、だけど……どうしてだろう。そんな彼の手のひらの体温が、私をとても安心させる。

 今までは違ったのに……さっきまでの私なら、きっと戸惑いしか感じなかったはずなのに。


 今は……なぜか、違う。

 ――それはいったい、どうして……?


 そう思っている間にも、彼の右手は少しずつ移動して……私の髪を優しい手つきで耳にかけ、そうして今度はその長い指先で、私の首筋をそっと撫でた。


「――ひゃっ」

 それは不思議な感覚で……全身の神経が、秋月くんに触れられた場所に集中しているような、そんな感覚で。


「ほら、呼べよ」

「――っ」

 私を真っ直ぐに見つめる秋月くんの黒い瞳。

 そこには私の姿が映っていて……私だけが映されていて、その眼差しの強さに、息をするのも忘れてしまいそうになる。


 心臓の音がうるさい。

 なのに、彼の声だけはひどくはっきり聞こえてくる。私の頭の中に、直接響いているみたいに……。


「“帝”だよ。言ってみ?」

 軽口を叩くような口調でそう言って、意地悪な笑みを浮かべる彼。

 私の反応を楽しむように――私を上から見下ろして、ニヤリと微笑む、彼。


 そんな彼の笑顔が憎らしくて、でも、それと同時にとても愛しく思えて――私はとうとう理解する。


 これは恋だ、と。


 これはきっと、恋なのだ……と。


「ほら――呼んで。俺の名前」

「……」

 優しいのに、柔らかい口調なのに……それでも私は、悟ってしまった。

 私は彼に、逆らえない――と。


 私の唇が薄く開く。

 彼の言葉に暗示にかかったかのように――ゆっくりと。


 そうしてとうとう、私はその言葉を口にした。


 “帝”――と。


 瞬間、目の前の彼の顔が――見たこともないくらいにほころんだ。

 それはまるで子供みたいに……本当に、無邪気な笑顔に。


 その表情に、私は思う。

 ああ、きっとこれが本当の彼の笑顔なのだ、と。これこそが彼の素顔なのだ――と。


「千早――なぁ、もう一回」

 それを証明するように、彼はおねだりする。お菓子をせがむ子供みたいに。もう一度呼んで、と。


 そんな彼の態度があまりにも可愛くて、私の中で何かが吹っ切れた。

 さっきまで恥ずかしいと思っていたのに、そんな気持ちなどどこかに吹っ飛んで……私は「帝」と、もう一度彼の名を呼ぶ。


 すると益々、上機嫌な笑顔を見せる彼。


「そんなに嬉しいの?」

 私がそう尋ねれば、彼は「当たり前だろ!」と言って私の身体を抱きしめた。


 それは突然の――そして、初めてのハグ。

 それなのに、やっぱり驚きよりも嬉しさが、愛しさが勝っていて。自分が自分でなくなってしまったような、そんな気持ちに襲われて……。


 私はその不思議な感覚を、彼の腕の中で噛み締める。


「千早が覚えてなくても無理ないよ。会ったって言っても……たった数回だし。――でも、千早は俺の事、帝って、そう呼んでくれてたんだ」

 私の耳元で、彼が呟く。

 私にしか聞こえない声で。囁くような、甘い声で。


「だから……また呼んでくれて、すげぇ嬉しい」

「……帝」


 私の背中に回された彼の腕の力が――彼の言葉がいかに真実であるのかを、私に知らしめる。

 彼が私のことを、いかに好きでいてくれたのかを……。


 そんな彼の想いに少しでも応えたくて、私も彼の背中に腕を回した。

 そうして、ぎゅっと抱きしめる。


 すると私の耳元で、はっとしたように震える彼の吐息。そして次に聞こえるのは、彼の喉を鳴らす音――。


「……俺、千早が好きだ」

 帝が、囁く。


「ずっとずっと好きだった。――何にも物怖じしない千早が。思ったことずけずけ言うくせに、本当は凄い優しいところとか……。数回しか会ったことなくても、そういうのってわかるだろ?」

「……」

 ――そんな帝の言葉に、私は昔の自分を思い出す。

 確かにそうだったかもしれない。今よりずっと、昔の私は勇気があった。……彼は、そんな私のことが好きだったのか。――なら、今の私は……?


 途端に不安が押し寄せてくる。

 けれど彼は、そんな私の不安を感じ取ったかのように、私を抱きしめる腕に力を込めた。


「もちろん俺は、今の千早のことも好きだ。昔の千早も、今の千早も……。だって俺は知ってるから。今も昔も、本当の千早は何も変わってないって。――本当は色々考えて、でも周りに合わせて言葉飲み込んで。

 だけど、俺はそういうの全部知りたいんだ。千早が何を思って何を考えてるのか、全部知りたい」


 私は驚いた。

 その告白は、あまりにも突然すぎて。


「だから教えて。どうして千早は本当の自分を閉じ込めてるのか、何で思ったことを言わないのか。

 ……他の奴にはそうであっても、俺の前でだけは、嘘も気遣いも隠し事も全部しないで、そのままの千早で居て欲しいんだ」

「――っ」


 彼の、私への告白。それは“好き”と言われたとき以上に、私の心を搔き乱していた。


 ――どういう意味? と、思わず聞き返したくなる。けれど、そう答えるのはあまりに不誠実な気がして、私はやっぱり言葉を呑み込んでしまった。


 帝の言葉に思い当たることがありすぎて。でも、別にそれで困ることなんて何一つなかったのに。


「……ごめん。突然こんなこと言われたら気持ち悪いよな。でも、……昔の千早と比べるわけじゃないけど、入学してからの半年間ずっと気になってたんだ。――昔と笑顔が違うなって。まぁそれは多分俺もだから、全然人の事は言えないんだけど……」

「……」

「つまり……何て言うか、俺の前でくらい無理しないでいてくれたらいいのにって……思ってたから」

「……っ」

 

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