七
「――わからない!?」
吉田の返答に、思わず素っ頓狂な声が出てしまう。
だってあり得ないではないか。そんな重要なことも知らないまま、得体の知れない神とやらに協力するなど――信じられるわけがない。
吉田は絶対に何か知っている筈だ。何かを隠している筈だ。
そう考えた俺は、再び質問を変える。
「……じゃあ聞き方を変えます。貴方は何故、その神とやらに協力することにしたのです」
この問いになら、答えられない筈はないと――俺は暗闇の中――吉田を睨むように見つめる。
すると吉田は先ほどとは打って変わって、悩むことなく口を開いた。
「面白そうだったから」――と。
それはまたもや予想外の答えだった。
「……面白そう、だと?」
俺が繰り返せば、吉田は無邪気に微笑んで夜空を仰ぎ見る。
「そうだよ。――君も知っているだろう? 僕は今夜死ぬ運命の人間だ。君たち新選組に打たれ、この生涯に幕を下ろす。それは既に決まっていることなのだよ。
けれどね、あのお方は僕にこう仰った。“私に力を貸すならば、お前の寿命を数年延ばすと約束しよう”――と」
「――ッ」
瞬間、俺は背筋が凍りつくのを感じた。
“寿命を延ばす――”と言うその言葉に。
そして、突然背後に現れた何者かの気配に。
――ああ、やはり吉田にはその神に協力する明確な理由があったのだ。
吉田は神から、今夜自分が死ぬ運命であることを聞かされていた。だから自分の寿命を延ばすことと引き換えに、協力する道を選んだのだ。
「……まるで悪魔との契約だな」
俺は呟く。
目線は吉田を見据えたまま――意識は背後に集中させる。
俺のすぐ後ろに立つ、得体の知れないその気配に――。
敵意は感じない。
だがどういう訳だろうか。どうやっても振り向くことが出来なかった。
前にも後ろにも動けない。まるで金縛りにあったかのように、俺は一歩も動けない。
吉田はそんな俺を憐れむような瞳で見つめながら、言葉を続ける。
「信じられない? ――けれど、そもそも君がここに居ること自体があり得ないことだろう? 君には最初から選ぶ権利など存在していない。つまり君は、僕に手を貸さなければならない」
「……っ」
有無を言わせないような吉田の声。全身に絡みついてくるような、どこか甘ったるい声音。
それが酷く不快で、煩わしくて、俺は今にも吉田を殴りつけたい衝動に駆られた。
――けれどそれは叶わない。
俺の背後にいる何かの気配が、俺にそれを許さないからだ。声一つ出すことさえも、許してくれないから。
「けれど……君にも心の準備が必要だろう。何と言っても君は今“新選組”に身を置いているのだからね。僕に手を貸すということは、それ即ち新選組への裏切りを意味する。君が彼女を説得するにも、時間が必要だろうから」
――ああ、胸糞悪い。
悪びれもしない吉田の言葉も、この状況を楽しんでいるようなその表情も、全てが不快で吐き気がする。
千早の兄貴と同じ顔、同じ声、同じ姿――それなのに、表情一つでこうも違うのか。話し方一つで、これほど不愉快に感じるものなのか。
「さあ、これは君への餞別だよ」
そう言って、俺の懐に何かを忍ばせようとする吉田の手に握られたそれは――俺がこの時代に来て初めての夜、どこかで落としてしまったスマートフォンで。
俺は驚きのあまり、眩暈すら感じた。
「君の大切なものだろう? もう落とさないようにね、次は拾ってあげられない」
そう囁く彼の言葉に、俺は悟らざるを得なくて――。
こいつは全て見ていたのだと。
俺と千早が、日向と共に浪士たちから逃げ惑うさまを、どこかで見物していたのだと。そうでなければ、俺の落としたスマホを拾えるはずが無い。
「……っ」
――何て奴だ。
途端に怒りが込み上げてくる。
俺たちのことを知っておきながら助けることさえせず、新選組に拾われる様子を黙って見ていただけのこの男を、決して信用してはならないと。
受け入れてはならないと――。
「いい顔だ。ここに鏡がないのが残念だよ。その怒りに歪んだ君の顔を君自身が見たら、いったいどんな反応をするんだろうな」
「――ッ」
「そんな君の顔を……彼女が見たら――」
吉田はそこまで言いかけて、クスクスと笑い声を上げる。
それはとても上品な笑い方に見えるのに、だからこそ酷く不愉快で……この状況にあまりにも似つかわしくなくて、俺は思わず顔をしかめる。
手も足も動かせない、声も出せない。それでもせめてもの抵抗をしようと、俺は吉田を睨みつける。
だが吉田は、そんな俺の眼差しなど少しも気にしない様子でただ微笑むのだ。
吉田の唇が俺の耳元に寄せられる。「もうあまり時間がない」――と呟きながら。
「最後に一つ、僕の知ることを教えよう。――僕はこれから君に殺される。君の手にかかって……僕は死ぬんだ」
――は?
全く……意味がわからない。
焦りと怒りに支配され――それでも身動き一つ取れない俺の頭は、もはやいつもの思考力を少しも残していなかった。
吉田の言葉を少しも理解することが出来なかった。
「君はただ黙って見ていればいい。君がこの僕を殺すさまをね。――では、僕はそろそろ行くよ。喜助を待たせてしまっているからね」
吉田はそう囁いて、何のためらいもなく俺に背中を向けた。俺が刀を抜くことなど少しも心配していないとでも言うような無防備な姿で。
――待て、まだ話は終わっていない!
そう叫んで呼び止めたくともそれは叶わず、この場に俺をただ一人残し、吉田の気配は闇の向こうへ消えていく。
そしてその気配が完全に消え去ると同時に、俺の背後にあった気配も消え去った。
そして――その時だった。
ようやく身体が自由になったと思うや否や、再び現れるその気配。
吉田が消えて行った方向から音もなく近づいてくる……その気配に、俺は再び神経を尖らせる。
一体今度は何なのだ、と。まさか吉田が戻って来たのかと――。
だが、違った。それは吉田などではなかった。
暗闇の中から俺に近づいてくるその正体は……俺の想像を絶するモノで……俺は文字通り言葉を失う。
先ほど吉田が言い残していった言葉の意味を……思い知らされて。
「……な――ん」
だって……それは――。こいつは……。
――どういう……ことだ……?
何故ならそれは、そこにいた人間は……この暗がりでも見間違える筈のない……俺自身だったのだから。




