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 ――それは吉田の声だった。

 そして同時に、俺の知る廉さんの声でもあった。


「な――何故止めるのですか、先生ッ! この男は新選組やもしれぬのですよ! ここで倒しておかなければ、また!」

「その心配はないよ。……彼は僕の知り合いだ。危険はない。だから喜介(きすけ)、その刀を収めておくれ」

「な――ッ、お、お知り合い……? まさか……だって、今さら」

「僕が君に嘘をついたことが、一度だってあったかい?」

「……っ」


 ――何だ、これ。一体どういうことだ? 吉田は俺を知っている……?

 それともただのはったりか? 吉田は、俺を庇ってくれたのか……?


 俺は困惑する。吉田の言葉に、少しも理解が及ばなくて。


「――喜介」

 吉田は(すご)む。

 俺に向かって刀を突きつける喜介に向かって、刀を下ろせと……そう命じる。


「……ッ」

 だが喜介は、それでも刀を下ろさなかった。

 吉田の(めい)(いのち)――それを天秤にかけた末、彼は(いのち)を優先すると決めたのだろう。

 俺が吉田の知り合いであるという確信が持てない以上、警戒心を緩めるわけにはいかないと、彼はそう考えているようだった。


 けれど、そんな喜介に吉田は繰り返す。


「刀を下ろすんだ、喜介」と。


「いいえッ! それはなりません! だって、先生とこの男が知り合いと言うのは偽りだ! 何故なら、こいつは先生が先生であることを知らなかったではありませんか!!」

 喜介は叫ぶ。俺の首筋に刀を突きつけたまま。

 

「先生はお優しすぎるのです! この男の正体が何者であるかわからぬ以上、生かしておくわけには参りませぬ!」


 ――ああ、確かにそうだ。こいつの言っていることは正しい。

 俺はさっき、吉田に向かって「誰だ」と尋ねてしまった。だから俺が吉田の知り合いである可能性はゼロである。つまり、敵と思われて当然の状況だ。


 しかしそれならば、どうして吉田は俺を庇うのか。

 本当に吉田は俺のことを知っているということだろうか……?


 ――俺は考える。

 もしも吉田が俺を知っている可能性があるならば、それに賭けてみるしかないと。

 そうして、俺が二人の敵ではないと思わせなければ。でなければ、――俺の命はない。


 俺は今度こそ決意して、注意深く口を開く。


「……俺は、貴方がたの敵ではありません。戦うつもりもない。信じて下さい」

 喜介の向こうの吉田を見据えながら、俺は続ける。


「俺の名は秋月。……ご存じ……でしょう?」

 だって、貴方は千早の事を知っていた。千早が女であることを知っていた。


 ならば、本当に俺のことも知っているのかもしれない。――そうでなければ、何故俺を庇うのだ。

 俺のことを知らないならば、俺を生かす理由はない。そうだろう?


 吉田の黒い双眼が俺を見つめる。

 表情一つ見せないまま、ただじっと。


 ――沈黙が痛い。首筋に伝わる刃は冷たく、あまりの緊張に手足の感覚がなくなっていく。

 期待と不安に押しつぶされそうになる。――吉田が奥沢さんの仇だとわかっていながら。この世界が史実通りであるならば、彼は今日この日をもって死ななければならない人物であると知りながら。


 それでも俺は、賭けてみたいのだ。

 この人が、吉田が――タイムスリップの鍵を握っている可能性が、ほんの少しでもあるのなら。



 ――すると、その時だった。



 ――ちりん。と、再びその(おと)が聞こえたのだ。

 吉田の背後の暗闇から、その()が響いたのだ。


「――ッ」


 瞬間、俺は確信した。

 ああ、やはりそうなのだと。


 ――知らず知らずのうちに、俺の唇がにやりと歪む。

 闇の向こうから現れたその猫に、吉田の足に鼻先を寄せる黒猫の姿に、俺は歓喜に打ち震えた。


「……はっ、――はは」

 吉田は――何か重大な秘密を握っている。


「貴様ッ、何を笑っている!!」

 喜介が吠える。が、今はそんなことを気にしている場合ではない。


 俺は確かめなければならない。何としても吉田から聞き出さねばならない。

 どうして俺たちが、ここ(・・)にいるのかを。


 だから俺は踏み出した。首筋に添えられた刀を左手で掴み押しのけ、裂ける手のひらの痛みを無視して歩き出す。


「なぁ吉田さん、教えてくれよ」と、呟きながら。


 そんな俺の態度の変わり様に、喜介は驚いた様子で顔を歪めた。

「貴様、何を――」と言いながら、俺に掴まれた刀を引き戻そうとする。


 それによって俺の手のひらはぱっくりと裂けたが、それすら俺は気にならなかった。


 ――ただ、未来に帰りたい一心だった。


「どうして俺はここにいる。あんたは何を知っている。その猫は一体何だ。何故俺たちをこんな場所に連れて来た。目的を言え。――俺たちは一刻も早く帰りたい。お前はその方法を知っているのか」


 俺は喜介の横を通り過ぎ、一歩一歩吉田へと近づいていく。

 自分の態度が無礼であることはわかっていた。それでも、口から勝手に出て来るその言葉を止めることは出来なかった。


 喜介の刀が俺の背中に突きつけられる。その感覚さえも、他人事のように感じていた。

 

「言え。どうしてお前は千早のことを知っていた。何故彼女を助けた。お前は俺たちにいったい何を望む。どうしたら俺たちをもといた場所に帰してくれる」


 俺はただ問いかける。まるで独り言のように。

 ただ彼に、不満をぶちまけるかのように。


 ――するとそんな俺の言葉に、ようやく吉田が反応を見せた。


 今まで俺を無感情に見つめていたその瞳をほんの少しだけ細め、そして何かを確信したかのように、ニコリと唇を歪ませたのだ。


 それはとても嬉しそうに、本当に、嬉しそうに。


 そんな吉田の表情に、真っ先に反応したのは喜介だった。

 彼は吉田が微笑んだ瞬間、「ひっ」と小さく悲鳴を上げ、そして今まで俺の背に突きつけていた刀を瞬時に引っ込める。

 それは、見てはいけないものを見てしまったとでも言うような、そんな態度。


 俺がふと背後を振り向けば、彼は吉田から目を反らし肩を震わせていた。吉田を恐れているかのように。


 そんな喜介に、吉田は告げる。微笑み、口調はとても柔らかに。


「喜介、ここはいいから君は先にお逃げ。僕は彼ととても大切な話があるんだ」

 それはどう見たって、怒っているようには見えなかった。俺からすれば、吉田は喜介を案じているようにしか思えない。


 だが、喜介は声を震わせ否定する。


「……っ、――で……です、が」

 恐れを隠せないまま、それでも、と彼は口にする。

 ――が、その言葉は吉田の声によって遮られた。


「――喜介」という吉田の穏やかな声に。

「僕の言うことが聞けないのかい?」という、優しい声音に。


「……っ」

 すると今度こそ喜介は絶句した。そうして、彼は刀を収める。

 もう何一つ言葉を口にせず、彼は俺と吉田の横を通り過ぎ暗闇の中に姿を消した。


 そうしてこの場は、今度こそ俺と吉田の二人だけになる。


 ああ、今度こそ本題だ。俺は身構える。

 この時代に飛ばされて約一月半。――覚悟していたよりずっと早く、タイムスリップの謎が解けるかもしれないという期待と、もう二度と帰ることが出来ないという答えを突きつけられる不安に押しつぶされそうになりながら。


 それでも俺は――俺を見つめ微笑む――吉田を凝視して彼と対峙する。


 すると少しの沈黙の後、ようやく彼は口を開いた。彼の足にすり寄る黒猫を大事そうに抱き上げながら。


「まずは一つ、昔話をしようか。……秋月帝くん」――と。

 彼は俺の質問に答えることなく、まるで俺を挑発するかのように、更に笑みを深くした。


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