二
◇◇◇
男に案内された部屋に入ると、四人の男たちが二人を待ち構えるように座っていた。十畳ほどの広さの和室の一番奥に一人、その右手前に二人、そして左手前に一人分のスペースを空けて、更に一人。
もちろん皆、胴着に袴姿の男ばかりである。男らは部屋に入ってきた二人に対し、皆一様に険しい顔を向けた。
二人は、自分らを案内してきた眼鏡の男に言われるがまま、部屋の中央より少し手前に並んで座る。左に千早が、右に少女。
そうして二人が座ったことを確かめると、眼鏡の男は二人の横を通り過ぎ、奥の中央に座る男の左側――つまり、空けられていた一人分のスペース――にゆっくりと腰を下ろした。
畳の上に直に正座した千早は、自分に向けられる冷たい視線に思わず身を震わせる。
相手を観察する余裕などなかった。これから一体何を聞かれるのか、そしてその問いに、何と答えるのが正解なのか――もしも答えを間違えたらどうなってしまうのか、それだけが気がかりだった。
それに帝のこともある。それを確認できるまでは、下手なことは口に出すまいと心に決めていた。
だがその一方で、日向は顔を上げ真正面を見据えている。昨夜の怯えた様子の彼女からは想像もさせないくらい、彼女は背筋を伸ばし堂々とそこに座っていた。
そんな二人に、一人の男が口を開く。
「おはよう、よく眠れた?」
それは、他愛もない挨拶の言葉だった。けれど、今の状況には似つかわしくないだろう。
その場にいる誰もがそう思ったし、千早も勿論そう感じた。
だが千早はそれ以上に、その声の主が気になった。何故ならその声に聞き覚えがあったからである。
昨夜、自分に刀を向けたその男。顔は見えなかったが声だけははっきりと覚えている。
だから千早は、その声に誘われるようにして静かに顔を上げた。
今のは誰の声だったのか――それだけは知りたいと思った。
けれどもう声は発せられた後だ。今さら顔を上げても遅い。しかし――。
「あんな状況で寝られると思います?」
――と、隣の少女が答えたのだ。
千早は驚いた。
何という勇気だろうか。
それにそもそも、隣の少女は千早が知るかぎりよく寝ているように見えた。
それなのに、あんな状況で寝られると思うか、などと答えるなんて、彼女は怖い者知らずなのだろうか。
そんな少女の言葉に驚いたのは千早だけではなかったようだ。他の者たちも、あっけにとられた顔をしている。ただ一人を除いては。
そのただ一人――正面向かって一番左に座る一人の青年は、どういうわけか満面の笑みを浮かべていた。歳は二十歳くらいだろうか。五人の中では最も若い。そして何より中性的で整った顔立ちをしている。
そんな彼は言った。
「まぁ普通はそうだろうね。でも君、昨夜は僕の刀も恐がらずに暴れたじゃない。脇差なんて振り回して、危うく殺されるかと思ったよ。そんな君が、あれぐらいで寝られないなんて思わないだろう?」
「――!?」
その言葉に、千早は内心で少女に突っ込みをいれざるを得ない。
だって少女は先ほど言っていた筈。“あのあとすぐに気絶させられた”――と。それなのに、まさか脇差を振り回していたとは……。
だが、少女は恐れを知らないのだろうか、青年の言葉を更に切り返そうと口を開く。
――だが、それより早く別の声がして、少女の言葉を遮った。
「総司、やめろ。言葉が過ぎるぞ。どう考えても殺されそうだったのはこいつらの方だろう」
そう言ったのは右から二番目の男。
――ああ、この声も聞き覚えがある、と千早は思った。
昨夜、土方と呼ばれていた男だ。
千早の記憶が正しければ、彼のフルネームは土方歳三、新選組の副長である。歴史に詳しくない者にも知られている男。
眉目秀麗だと言われているが、実物はそれより整った顔立ちをしていた。
そして、その土方が総司と呼んだ男。
それが、昨夜千早に刀を向けた張本人だ。
勿論千早はその名前も知っていた。
沖田総司、新選組随一の剣の腕を持っていたと言われる男。
それがわかれば、自ずと他の面々の名前もわかってくる。恐らく、中央に座っているのが近藤勇、局長だ。
そしてその左の、彼女らをここへ案内した眼鏡の男が山南敬助。
そして最後に残った右端の男は斎藤一であろう。昨夜、沖田にそう呼ばれていたから。
実際、その後の自己紹介で告げられた名は上記の通りであった。ちなみに、隣の少女の名前は早瀬日向と言うらしい。
一通り名前の紹介を終えると、近藤が口を開く。
「では、昨夜の話を聞かせてもらおうか」――と。
その言葉に、まずは斎藤が答える。
「昨夜、京の町を巡回中に不定浪士と遭遇。相手が刀を抜いたため、斬り合いになりました。そこに居合わせたのが彼らです」
そして今度は土方だ。
「てめぇら、夜の町で何をしていた。夜の京は危険なんだぞ、不定浪士がゴロゴロしてやがる。まさか知らないわけじゃねェだろ」
土方はそう言って、睨むように二人を見据えた。
だが、千早はそんなこと知る由もない。それにこっちだって、ウロウロしたくてしていたわけではないのだ。
何と答えるべきか悩んだ千早は、日向の様子を伺った。すると彼女が先に答えてくれる。
「私、昨夜京に着いたばかりでそんなこと知らなかったんです。そしたら見知らぬ男たちに襲われて……。それを、佐倉さんたちが助けて下さったんです。ただそれだけです。何もいかがわしいことなんて」
その言葉に、近藤は「ふむ」と唸る。そして、「では君は」と続けた。
「私……私は……」
千早は言いよどむ。だって、一体何と言ったらいいのか。未来から来ましたなんて言うことは出来ない。かと言って、おかしな言い訳をしたら殺されてしまうかもしれない。――なら、まずは先にこれだけ聞いておかなければ。
千早は決意する。
「あの……私と一緒にいた、男の子、いましたよね……? 彼、今どこにいますか? 私の大切な人なんです」
その声は震えていた。声だけではない。手と奥歯も震えているし、足先と指先が酷く冷たい。実際肌寒いことも理由の一つだが、何よりも緊張から来るものであるのは明白だ。帝の生死を知らされる――その緊張に。
千早は膝の上の拳を握り締め俯いた。沈黙が怖かった。帝が死んでしまっていたらどうしようと……もしもそうだったら、私はどうしたらいいのかと、そればかりが頭に浮かんだ。彼の後を追って、自分も死ぬしかないとまで考えていた。
そんな千早のただならぬ様子に、周りも流石に気づいたのだろう。お互い顔を見合わせてやや困ったように合図を取り合っていた。――そう、ただ一人を除いては。
「彼、死んだよ」
――そう言ったのは沖田総司だった。その言葉に打たれたように顔を上げた千早の視界に映るのは、自分を蔑むように見つめる沖田の顔。
そして、そんな沖田の言葉に顔をしかめる周りの面々だった。
「…………え?」
千早はわけもわからず、茫然と呟く。
「だからぁ、死んだって」
「……嘘」
「嘘なんてついてどうするの」
「嘘、そんなの嘘! だって……だって帝はずっと私と一緒にいてくれるって言ったもの!」
「……帝?」
千早の叫びに、けれどその内容よりも、帝という名前に彼らは眉をひそめた。が、今の千早にはそんなことに構っていられる余裕はない。
「お願い、帝に合わせて。ここにいるんでしょう? まだ生きてるでしょう?」
擦れる声で呟いて、彼女はその場に立ち上がろうとする。けれど結局それは叶わず、身体に力の入らない様子の彼女は、再びその場にへたり込んだ。
「……私のせいだ。私のせいで……帝が。――私が、私があんなこと言ったから」
――言わなければ良かった。猫を追いかけようなんて、言わなければ良かった。そうしたら、こんなことにはならなかったのに……。
そう――彼女は独り言のように呟いて、溢れんばかりの涙を流す。もはや彼女には、周りの声は一切聞こえていない。
沖田の先の言葉が、誤りであったのだというその言葉さえ――。




