五
◇
土方は帝が蔵を出てすぐに、それを追うようにして蔵を出た。そんな土方がまず探したのは、見張りに立たせていた筈の日向だった。彼女は蔵と屋敷の外壁の間の細いスペースで気絶させられていた。間違いなく帝の仕業であろう。
――味方を気絶させるとは、一体どういう了見だ。
土方はそんな風に考えながら日向の頸動脈に指先を当て、脈拍が正常であることを確認する。どうやら眠っているだけで異常はない。それに、外傷もないようである。
土方はそのことに一先ず安堵し、今度こそ日向を揺さぶり起こした。そうしながら彼は、先ほどの帝の気にくわない態度と、そして“あの日”のことを思い起こす。
◇
「俺は、未来から来た人間なんです」
あの日、帝はそう言った。それまで見たこともないような、不安げな、頼りない表情で。
それから語られた帝の話の内容は、土方と、そして山南からしたら凡そ信じられないものだった。それに、帝自身も、自身の語る話が信じて貰えるような内容ではないことをよく理解しているようだった。
それなのに、帝は語った。だから土方と山南は、一先ず帝の言葉を真っ向から否定することはやめたのだ。
その後、土方と山南は帝に対し、いくつかの質問を投げかけた。
帝の話が事実だったとして、「何の為に過去にやって来たのか」。「新選組に入り込んだのは必然なのか、偶然なのか」。そして、「新選組にとって、有益な情報を提供する気があるのか」――を。
すると帝はこう答えた。「目的は言えない。だが、ここに居るのは偶然だ。少々手違いが起こり、寄る辺がないのは以前説明したとおり。だから、引き続き新選組に置いてくれると言うのなら、新選組――つまり幕府側に有利な情報を提供するつもりでいる」と。
それが嘘か真実か確かめるすべは、今の土方らには無い。けれど何にせよ、帝と千早を新選組に置いている限り、新選組に危険が及ぶようなことは無いだろう。――土方と山南は、そう結論づけた。
◇
そして今、土方は新たに確信する。「秋月と言う男は、未来人ということ以外にも何か秘密を持っている」と。それは土方の長年の勘から来るものだったが、そうでなくとも帝と千早を見比べていれば、同じ未来人と言っても明らかに纏うオーラが違うということは明白だった。
「佐倉千早」という少女は、聡明であるがただの少女である。それ以上でもそれ以下でもない。けれど「秋月帝」は違う。千早と同様聡明で理知的で、言動にはまだ爪の甘い部分があるものの、どうも特殊な環境で育てられて来たような、独特な雰囲気を感じるのだ。それが「未来人」の殆どが持ち合わせているものならば問題がない。けれど、もしそうでないとしたら……。
「おい、日向。いい加減起きろ」
土方の声に、日向の眉が微かに動く。そうして、彼女はようやく瞼を上げた。
「……あれ。……土方、さん。……私?」
彼女呟いて、ハッとする。自分が気絶していたことにようやく気づいたのだろう。
「すみません! 私、秋月くんと話してたら……突然眩暈がして」
「眩暈だと?」
「……はい。そう言えば、その前に何か強いにおいがしたような。――あの、秋月くんは?」
「……あいつは……無事だ」
土方は一瞬悩んだあげく、日向に気を遣ったのかこう答えた。まさか自分が帝によって眠らされたなどと思ってもみない日向に、余計なことは言うまいと判断した。
「そうですか、良かった。でも……何だったんでしょうか、さっきの匂い」
土方は日向の言葉に、すん――とを鼻先で匂いを探ってみる。けれど流石に時間が立ちすぎているせいか、何の匂いもしなかった。
「……ったく、あの野郎」
土方は呟く。
やはり帝は只者ではないらしい。それは先ほどの古高への態度でも明らかだった。たかだか十八そこらの子供が、初めての拷問現場の前であのような堂々とした態度を取っていられる筈がない。
それに日向に傷一つ付けずに気絶させるという芸当も。普通の人間ならこんなことは不可能であろう。
だが、帝はそうして見せた。わざわざ手の内を明かすような真似をして。
つまり、帝はこの先、自分の能力を隠すつもりはないということだろう。「未来人」――それを明かしてしまった今、これまでのように大人しくしているつもりはないと言うことなのか。
さて、そんな秋月帝という存在が、新選組にとって吉と出るか凶と出るか……。
――考えながら、土方は日向に命じる。
「日向、屯所内に残っている者で手分けして、捜索に出た者全員を呼び戻せ」
「……え?」
「古高が自白した」
「――っ、わかりました!」
日向は一目散に駆けていく。土方はそんな日向の小さな背中を見つめながら、これからの自分たちの行く末に、静かに想いを馳せていた。
◇
隊士全員が集合するまでの間、土方は山南の部屋を訪れていた。先ほどの古高と帝のやり取りを、山南に伝える為である。
土方から話を伝え聞いた山南は、少々考える素振りを見せつつ口を開いた。
「……成程。彼のその口ぶりからするに、彼の素性には信ぴょう性がありそうですね」
「そう思うか」
「正直なところ、信じたくないという気持ちの方が大きいです。しかし、古高奪還の為の会合を予知したとなれば……」
「信じない訳にはいかねェ……か」
「ええ。とは言え、会合が開かれること自体は何ら不思議ではありません。予想の範疇ですし、それは土方君、君だって同じでしょう?」
「まぁな」
「つまりここで問題となるのは、やはり会合場所でしょうね」
「“池田屋”という言葉を信じるかどうか……」
二人がそうやって議論していると、ふと、天井に気配が現れる。二人が上を見上げれば、天井裏から監察方の山崎が顔を覗かせていた。
「戻ったか」
「はい」
山崎は土方の言葉に応え、畳の上に音もなく降り立った。そうして、忍びらしく片膝を畳に付け土方に頭を垂れる。
「で、どうだった」
土方の問いに、山崎の瞼が微かに細められる。
「副長の予想どおりや。攘夷派の奴らの動きは活発化しとる。直ぐにでも動きそうな勢いや」
「ほう」
山崎の言葉に真っ先に反応したのは山南だった。彼は今しがた土方から聞かされた帝の告げた話の内容との一致に、さも面白げに唇をニヤリと歪ませる。
「して、その内容は」
山南は尋ねる。すると山崎はやれやれと溜息をついた。
「それについてはあんたらの方がよう知っとるんちゃう? さっきの話聞こえとったで。古高から引き出せたんやろ?」
「……」
「“池田屋”って、確かなんか」
どうやら山崎は、その情報が帝からもたらされたものとは気付いていない様子である。
「今それを話していたところです。……ですよね、土方くん」
「ああ。だが情報源は古高ではない」
「何やて? そら一体どないなこっちゃ。間者でも仕込ませてたってことなんか」
「本人は違うと言っているがな。それどころか、そいつは自ら俺に情報を提供した。今夜、池田屋に攘夷派の奴らが集まるってな」
「……話が見えんのやけど。その相手ってのは、隊士ちゃうんか」
「隊士だ」
土方はここまで告げて口を閉ざした。隊士――としか言わないあたり、名を言う気はないと言うことなのだろう。
それに土方の口ぶりからするに、その隊士は自分のような監察方ではなく、一平隊士ということなのであろう。であるから土方と山南は、その情報が正しいものか判断しかねている……と。少なくとも山崎は、そのように解釈した。
「山崎くん、あなたはこの情報を……そして情報提供者について、どう考えますか」
それ以上口を閉ざした土方を前に、今度は山南が山崎に見解を求める。まさか未来から来た人間の意見などとは知らない山崎からして、この情報とそして提供者がどう見えるのか……そのことに大いに興味があった。
「どうもこうもない。理解不能や」
「その根拠は?」
「根拠て――普通に考えたらその発言、自分は長州と繋がりがあります言うとるもんやろ。それが正しい情報かに関わらず、自分の首を絞めるだけや。そんなもんわかりきっとる」
「だがそれでも、彼はそうした」
「何が言いたいんや」
「少なくとも、彼は我々につく気でいる――と言うことですよ。その情報がもしも偽だったとしたら、それこそ自分の身が危ういですからね。我々を罠に嵌めようとしたところで、偽の情報だとわかった瞬間にどうなるかくらい、理解出来ている筈ですから」
「つまり……あんさんはその情報を信じる、と」
「ええ、そうです」
山南は頷いて、今度は土方へと目を向けた。
「ですが、実際にどうするかを決めるのは私ではありません。勿論最終決定を行うのは近藤さんですが……しかし私は、土方くん、君が決めるべきだと考えています」
「……」
「そう言えば、まだ確認していませんでしたね。土方くん、近藤さんは“彼の身の上話”を信じましたか? 提供された情報を作戦に組み込むかどうかは、そもそもそれにかかっているのですが」
山南が土方を睨むように見つめれば、土方も微かに目を細める。そうして、ゆっくりと口を開いた。
「近藤さんは俺に一任する、と……。それを踏まえて考えるなら、 」
*
それからしばらく後、隊士全員が広間に集合した。そしてそこで、近藤の口から作戦が告げられる。
「いいか、全員よく聞け。先ほど古高が自白した。その内容は『祇園祭を狙い京を焼き討ち、それに乗じて帝を長州へ連れ去る』と言うものである。我々はこの計画を決して無視できない。祇園祭まであと二日。今日明日にでも動きがあるのは間違いない。よって我ら新選組はこれより、過激派が潜伏しうる場所をしらみつぶしに当たることとする」
そしてその後、隊は三つに分けられた。木屋町方面を回る近藤隊と、祇園、縄手通方面を回る土方隊に井上隊――ちなみに帝の所属する斎藤率いる三番隊は土方隊に、そして沖田率いる一番隊は近藤隊に振り分けられた。
「作戦開始時刻は戌の刻とする。動けぬ者はこれより名乗り出るように。では、各自通常の任務へと戻ってくれ。以上、解散!」
――こうして、物々しい雰囲気の中、一先ずその場は解散となった。