三
◇◇◇
それは元治元年6月5日、西暦1864年7月8日のことだった。
「全員集まったな」
古高俊太郎が捕らえられたその日、隊士全員が広間に集められた。広間の前方には近藤さんと土方さん。そしてそれと向かい合うようにずらりと並ぶ幹部らと隊士一同がいる。
広間の空気は、緊張感でピンと張りつめていた。皆の表情がいつもより固い。私の斜め前に座る沖田さんからも、薄い殺気が漂ってくる。
「既に知っている者もいると思うが、本日早朝、山崎と島田の働きにより京都河原の枡屋の主人、湯浅喜右衛門――古高俊太郎を捕えた。枡屋で発見したものは、大量の武器、長州藩との書状等だ」
土方さんの言葉に、その場はざわめいた。
武器の貯蔵、そして長州藩との書状――それは攘夷派の活動を裏付けるものだ。皆の表情が険しくなる。ピリピリと空気が痛い。
私は池田屋事件の詳細は知らないし、政治的な動きや立場はよくわからない。けれど、そんな私でもこの状況が望ましくないことくらいはわかる。
そんな空気の中、土方さんはさらに続けた。
「だが先ほど――俺たちの管理下に置いていた武器の一部が、何者かに奪還された」
「――ッ」
その言葉に、部屋の空気は一層重みを増す。
「馬鹿なッ!」
「長州の奴ら」
皆、口々に呟き、殺気立った。私が沖田さんに視線をやれば、彼は眼光だけで人を殺せるのではないかというほど、瞳を鋭く尖らせている。
斎藤さんの後ろに座る帝も、皆と同じように険しい顔をしていた。
もちろん土方さんの表情なんて言うまでもなく……。話しかけることすら躊躇われるほどに立ち上る、殺気。
「俺は引き続き古高への拷問を行う。残りの者は奪還された武器の捜索と、武器を保持して何らかの目的に使用しようとしている勢力の捜索にあたれ」
目を合わせるのだって、勘弁願いたいほどの殺気。今まで感じたことのない異様な空気。
そんな土方さんの隣に座っている日向は、その殺気に当てられたのか顔を青くさせている。私はその姿に、いたたまれない気持ちになった。沖田さんの殺気も大概だが、土方さんのそれは別格だ。日向には辛いのではないだろうか。
そんなことを考えている間に、いつの間にやら話は終わっており、近藤さんと土方さんは広間から出て行こうとする。その後方には日向を連れ添っていた。
――まさか古高という人の拷問に付き合わせるつもりだろうか。私は一瞬、その様子を思い浮かべて身震いする。
「千早」
私が日向の小さな背中を見送っていると、いつの間にやら沖田さんが私のすぐそばに立っていた。沖田さんはいつもよりも固い声で、私の名前を呼ぶ。
「君はどうする?」
「……え?」
どうするって、どういう意味だろうか。
「僕はこれから隊士を連れて武器の捜索にあたる。君も一緒に行く?」
それは沖田さんの、私に対する配慮の言葉だった。女である私を、問答無用で連れて行くつもりはないということだろう。
返事を決めかねた私が周囲を眺めると、殺気立った隊士らは皆順々に広間から出て行く。更に視線を動かせば、広間の隅で帝が斎藤さんと何やら話をしていた。帝のその横顔はとても真剣で、私はその見慣れない表情に、途端に不安に襲われる。
沖田さんは、そんな私の帝を見つめる視線に気づいたのだろう。彼は二人の方に歩いていく。私もその後を追った。
そうして、帝ではなく、斎藤さんに話しかける沖田さん。
「ねぇ一君、秋月はどうするって?」
「今それを話していた。どうやら秋月は副長に用事があると……」
「土方さんに?」
沖田さんの声は不審げだ。沖田さんの背後に立つ私には、沖田さんの顔は見えないけれど、きっと顔をしかめているんだろうな、と思わざるを得ないような声。
それにしても、いったい何の用事だろうか。私は聞いてないけど……。私は帝から内容を聞き出そうと、沖田さんの横に並ぶ。
「帝、土方さんに用事って……どんな?」
「あー、うん。用事って言うか……呼び出されてるって言うか」
「……呼び出し?」
私たちの会話に、斎藤さんと沖田さんはどうにも腑に落ちない表情を浮かべた。もちろんそれは私も同じだ。
「どうして帝が土方さんに呼ばれるの?」
「それは俺じゃなくて土方さんに聞いてくれよ。まぁすぐに終わるだろうし、ちゃちゃっと行ってくる」
帝は私の問いに、当たり障りのない笑顔を浮かべた。そうして、斎藤さんに顔を向ける。
「すみません斎藤さん、先に行ってて下さい。直ぐに追いつきますから。……沖田さんもこれから捜索ですよね?」
「もちろんそうだけど……」
「じゃあ佐倉のこと、お願いできますか?」
「え……」
なんだろう、どうも帝の様子がおかしい。
そう思ったのは私だけではない様で、沖田さんもどうも不可解な様子で帝を見返している。
「――な? 佐倉、沖田さんと一緒なら大丈夫だろ」
けれど当の帝は、沖田さんの視線など気にならないと言った様子で、私をじっと見つめてきた。そんな帝に、やはり私は違和感を感じざるを得ない。
だって、最近まであんなに沖田さんのこと悪く言ってたのに、この態度の代わり様ははあまりにもおかしいではないか。
私が何と答えるべきか悩んでいると、帝は再び沖田さんに視線をやった。そうして、ごく自然な笑顔を浮かべ、私のことをお願いしている。「佐倉をよろしくお願いします」――と。すると沖田さんは、一瞬考えた末に笑みを浮かべた。
「君がそこまで言うのなら」
その笑顔はどうにも胡散臭い笑顔だった。けれども帝は、満足げに微笑み返す。
「では、俺はこれで。佐倉、また後でな」
帝はそう言い残し、私達に背を向けた。――けれど二、三歩進んで、彼はこちらを振り返る。そうして、再び口を開いた。
「――言い忘れましたけど、沖田さん。くれぐれも佐倉には怪我をさせないようにお願いしますね」
そう言った帝の口元は、先ほどと同じように弧を描いている。けれど、眼は決して笑っていない。
その様子に、私は確信した。やはり帝は沖田さんをよく思っていない。それは決して変わっていないのだ――と。
私が沖田さんの様子を伺えば、沖田さんは静かに答える。
「君に言われずともそのつもりだよ。佐倉は僕が守る。……それより君は自分の心配をした方がいい。土方さんは時間にうるさいんだ。行くならさっさと行った方が身のためだよ。何せ今日の土方さんは、特に機嫌が悪そうだから」
その声は穏やかだった。表情も、瞳も――とくに敵意は見られない。なのにどうしてだろう、沖田さんの言葉が、帝を敵視しているように感じられるのは……。
帝も私と同じように感じたのだろう。一瞬鋭く目を細め……けれどどういう訳か、彼はほくそ笑む。そうして、それ以上は何も言い返すことなく今度こそ広間を出て行った。
とうとう最後まで、私の返事を聞くことなく……。
――気づけば、部屋には私と沖田さんだけになっていた。斎藤さんもいつの間にかいなくなっている。
「あの……沖田さん? もしかして沖田さんは、本当は帝がどうして土方さんに呼ばれたのか知ってたり……しません、よね?」
――先ほどの帝の違和感たっぷりの態度。私の返答を待たずに、今までずっと避けていた沖田さんと会話を交わしたこと。その二点から、私は沖田さんにカマをかけた。……すると沖田さんは、私を不機嫌そうに見下ろす。
「僕が知るわけないでしょ」
それは先ほどと打って変わって、見慣れた沖田さんの表情だった。機嫌の悪さを素直に表に出しているときの、沖田さんの顔……。
それは決して嘘を言っている風ではない。
「そうですよね。すみません」
「別に。って言うかさ、やっぱりどう見たって秋月は僕を敵対視してるよね」
「――えっ」
「君も見てたでしょ、彼の顔――。公私混同どころの話じゃないよね、今の態度」
「……あ、……えーと」
「どう考えても、喧嘩を売ってるとしか思えない」
「……そんな、ことは」
沖田さんはここに私達以外の誰もいないのをいいことに、思いのままに気持ちを吐露する。
「君だって本当は気付いてるでしょ。――言っとくけど僕、これでもかなり譲歩してるんだ。なのに秋月ときたら……。君には悪いけど、僕もこれ以上は我慢の限界だよ。これから長州とやり合おうってときに、あれじゃあ背中を任せられない。向こうが今後も態度を改めるつもりがないのなら、僕だってこれ以上は見過ごすわけにはいかないよ」
「……そんな」
――確かに沖田さんの言うとおりだ。確かに先ほどの帝の態度はお世辞にも良いとは言えなかった。それに、私は確かに以前沖田さんにこう伝えてしまっていたのだ。「帝は公私混同はしない人間です」――と。これではその言葉が嘘だったということになってしまう。
「……すみません。帝とは……後でちゃんと話しておきますから」
どう答えるのが正解かわからず、私は帝の分まで謝罪する。けれど沖田さんは、私の言葉に更に苛立ちを深めたようだった。
「どうして君が謝るの」
――そう言って嘆息し、沖田さんは私に背中を向ける。不機嫌なオーラを全身から漂わせたまま、彼は広間から出て行こうとした。私はそんな沖田さんに対し、もはやどんな対応をしたらよいかわからず立ち尽くす。
すると、縁側に出たところで沖田さんは足を止めてこちらを振り返った。
「何ぼさっとしてるの。行くよ、武器の捜索」
「――あ、はい」
そうだった。私達は今から、奪取だれた武器の捜索に行くところだった。
私が沖田さんの背中を追えば、彼はボソッと呟く。
「長州の奴ら、絶対にこの僕が捕まえてやる」
その言葉の矛先は、既に帝から長州藩士へと変わっていた。そのことに、私は不謹慎にも安堵する。
とにかく、今は武器の捜索が最優先だ。帝には、後でちゃんと話をしておこう。私は心の中でそう決めて、足早で進む沖田さんに遅れないように、その後を追いかけた。