二
「別に俺は沖田さんを避けてるつもりはない。避けてるのはあっちだろ」
「……」
「それにそもそも、俺と沖田さんが仲良くする理由もないわけだし……。沖田さんもそう思ってるんじゃないかな」
帝の言葉は、まるで何かの言い訳のようだった。他に何か別の理由を隠したがっているような、そんな言い方だった。けれどそれは嫉妬や独占欲と言った類の感情とは思えず、だとしたら他に一体どんな理由があるのか、私には皆目見当がつかない。
「……そうだよね」
だから私は仕方なく、帝の言い分に肯定しておく。今詰め寄ったところで、帝は絶対に話してくれないだろうから。
それをわかっている私は、話を元に戻すことにした。
「話それちゃったよね。えっと……どこまで話したんだったっけ」
「……」
私は帝の右手を両手で握り、膝の上にそっと下ろす。そうしてにこりと微笑めば、彼は両目を閉じて深く息を吐きだした。それは、帝が頭を切り替えようとしているときの動作だ。
「――うん。じゃあ話を戻そう。時間もあまりないし」
今帝は、斎藤さん筆頭の三番組に所属している。だから、私と帝が一緒に行動できる時間は一週間のうちに一日あるかどうかだ。勿論食事や休憩時間はあるけれど、他の人の目もあるわけで、今のように部屋に籠って話せる時間は殆どないのである。
「まずは確認からだ」
生徒会長モードに切り替わった帝は、先ほどから紙に書き留めていた文字に指を差しながら、部屋の外には聞こえない程の声で淡々と話し始める。
「俺たちがここに来た日、もとの時代は西暦2012年の4月21日だった。時間は午後7時半ごろ。下校途中に黒猫を見つけた俺たちはその猫を追い……気づいたら“あの場所”に出ていた」
「うん」
忘れもしない。4月末だと言うのに満開に咲く桜の木がそびえたった、それは不思議な場所だった。都心だというのにスマホの電波は圏外の、まるで世界から切り取られてしまったようなあの場所。
「あの時の俺たちの行動はこうだ。街灯のない道をスマホの灯り頼りに進んでいた俺たちは、猫を追って鳥居をくぐった。そして、桜の木に気が付いてその数メートル前で荷物を下ろした。スマホが圏外だと気が付いたのはその時だ。本当はもっとずっと前から圏外だったんだろうけど、それがいつからだったかは不明。
その後俺たちは、桜の木の根元にすり寄っていく猫に近づいて……」
ここまで言うと、帝は一度言葉を止める。私はそれを繋ぐようにして口を開いた。
「転びそうになった私を帝が支えてくれたんだよ」
「……そう。それで俺は、千早を支えた拍子に桜の木に背中をぶつけて……気が付いたらこの時代にいた」
「うん。私も転んだときに目をつぶっちゃって、何が起きたのかは全くわからなかった」
私の言葉に、帝は続ける。
「ああ、俺も同じだ。背中を打って一瞬意識が飛んで――気付いたときは別の景色の中にいた。そこにはそれまであった筈の桜の木も、俺たちの荷物も無くなっていた。あったのは制服のズボン後ろポケットに入れてた俺のスマホだけ。まぁそれもその後落としちゃったけどな」
そう、私たちはその後、不定浪士に襲われていた日向を助ける為に奮闘し、走り回っているうちにどこかでスマホを落としてしまったのだ。とは言え、今思えばあの時スマホを落としたのは正解だったとも言える。どうせ持っていてもこの時代では使えないし、怪しまれるだけだろうから。
そんなことを考えている私に、帝は更に続ける。
「だが、あの後俺たちが移動した距離から考えて、あのとき俺たちが立ってた場所って、未来で桜の木があったところと同じだったと推測される。あとは日付も。俺たちがこっちに来た日、元居た時代では新月で、こっちに来たら満月だった。それを考慮して旧暦から西暦に換算すると、1864年の4月21から23日に当たる。つまり、俺たちは場所はそのままに、きっかり148年の時間を遡ったってことになるんじゃないかと」
「うん。つまり、あの場所に秘密がありそうってことだよね。共通項は、今のところ「場所」だけだから」
「ああ。だからまずは、もう一度あの場所に行ってみることが先決だろうな。タイムスリップなんてあり得ないけど、実際こうやってあり得てるわけで。あの場所が見つけられれば、時間を移動した原因が掴めるかもしれない。……まぁ、現状それは出来ないわけだけど」
帝の言う通り、まだ私たちは単独行動は許されていない。非番の日でも、誰かと一緒でなければ外出を許してもらえないのだ。
「俺が山南さんに見せて貰った地図でも、やっぱり俺たちが居たのは学校付近の場所で間違いなさそうだった。明るい時間なら見通しもいいし、結構簡単に見つかるんじゃないかと。まぁ……そこはおいおい探すとして」
帝は思案顔で言葉を濁す。
「……今一番気になるのは、千早を助けてくれた廉さん似の男だよな」
「……」
――あの事件があった日、屯所に帰ってきた私と沖田さんが事の顛末を土方さんに伝えたあと、私はすぐに帝に“あの人”のことを話した。勿論、他の誰かには決して聞かれないように細心の注意を払って、だ。
そのときのことを一つ残らず話した帝は、すぐに“あの人”の発したおかしな言葉に気が付いた。そう、あの時彼は私のことを「女」と言ったのだ。絡んできた男たちに対し、「女子供に手を出すとは武士の風上にもおけない」――と。
そのことに一瞬で気づいた帝はこう推理した。「その人は千早のことを最初から女だって知っていたんじゃないか」と。
私も、言われてみれば確かにそうだと思った。普通なら、男の着物を着、男の髪型をした私を女だと思うわけがない。つまり、きっとあの人は最初から私のことを知っていたのだ。
「まぁ、とは言え今は何一つ手がかりはないし、名前も知らない相手をこちらから捜すのは不可能だ。向こうが俺たちのことを知っているのだとしたら、きっとまた向こうから現れてくれるだろうから……とにかく今はそれを待つしかないな」
確かに、今は待つしかない。だって私たちは実際のところ、どうしてこんなことになってしまったのかまったくわかっていないのだから。
ここに来てしまった理由も、方法も、そしてどうやって未来に帰るのかも――。
「……でもまぁ、あんまり悲観しないでいよう。取り敢えずはなんとかここででやっていけそうだし。皆いい人たちだから、しばらくは生きるのに困ることはないだろう」
「うん、そうだね」
私は再び頷いた。帝の言うとおりだ。
私たちのような素性の怪しい者を、新選組の皆は受け入れてこうやって養ってくれている。何も出来ない子供を、即戦力にもならない私たちを。それだけが唯一の救いだ。
ここまで言うと、帝は一拍置いて話を変える。
「ところで、千早は新選組の歴史ってどれくらい知ってる?」
それは、この時代に来てから初めて出た話題だった。今さら――という感じもしないでもないけれど、今まで何となく避けてしまっていた話題。
「正直言ってあまり知らないの。新選組は教科書に出てこないし……大河ドラマも殆ど見たことないから。ゲームや漫画の題材になってるから知ってるっていうくらいで」
だから、沖田総司や土方歳三という人物の存在は知っていても、私は新選組の歴史というのはほぼ知らない。
――とは言え、ここに来てから日向や山南さんたちの話を聞いて、確かにここが自分たちの生きていた時代より前の時代であることや、これから日本でどんなことが起きるのかは大凡予想がついている。
「今が1864年の旧暦5月……で、私が把握してるのは、今が下関事件の後で第一次長州征討の起こる前ってことくらいかな。薩長同盟成立まであと2年で、大政奉還までは残り3年。あとは、尊王攘夷派の長州藩と公武合体派の幕府率いる会津藩が睨み合っててよくない雰囲気ってことはわかるんだけど……。幕末って思想がごちゃごちゃしてるし登場人物多くて、はっきり言って苦手なんだ。……あんまり役に立たなくてごめんね」
今の言葉通り、私は幕末は苦手だ。1853年にペリーが来航してから大政奉還までの14年の間に歴史的事件や出来事がこれでもかと言うほどてんこ盛りだからである。そこに出て来る思想や人物は数えきれず、しかも途中で立場が変わったりもする為理解するのは非常に難しい。一応一通り年号とイベント名だけは覚えているけれど、そこに至った理由や関係性まではきちんと理解できていない。それこそ大河ドラマをしっかり見ていればわかるものなのだろうけれど、部活やら勉強やらでドラマを見ている時間は取れなかった。文系の日本史選考の私ですらそうなのだから、帝はもっと知らないのではなかろうか……。
そんなことを考えながら、私は尋ね返す。
「帝は、新選組についてどれくらい知ってるの?」
すると、帝はどうも答えにくそうな顔をした。
「……まぁ、そこそこ知ってる……と、思う。現実とフィクションを織り交ぜた系の漫画ならいくつか読んだから」
「じゃあ、これから私達って……どうなるの?」
「……」
再び尋ねれば、帝は記憶を手繰り寄せるように視線を動かす。そうして、躊躇うように口を開いた。
「……すぐには何もない。ちょこちょこ事件はあるけど……命の危険に及ぶようなことはしばらくは、ない」
「しばらく?」
「言わなくてもわかると思うけど、幕府側の新選組は大政奉還と同時に解散することになる。鳥羽伏見の戦いは知ってるよな?」
「……知ってる」
鳥羽伏見の戦いで、旧幕府軍は新政府軍に大敗する。つまりそこか、もしくはそれ以前に、新選組の殆どが死ぬということなのだろう。
――それを自覚して、私は大きく唾を飲み込んだ。
これから世の中は目まぐるしく状況を変え、新選組はそれに翻弄されていく。そして皆、死んでいくのだ。
それは仕方のないことだとわかっている。それが史実で、私達の学んだ歴史だ。既に起こってしまったことで、変えようのない事実。今まで生きてきて、それに疑問を持ったことなんて一度も無かった。歴史上で死んでいった人々に何らかの感情を持ち合わせたことなんて無かったのに……。
「……そっか。……皆……」
――死んじゃうんだね。
私の脳裏に過る新選組の皆の顔。そして、彼らとの生活――。それはまだ出会って2ヵ月なのに、いつの間にか自分の一部となってしまっていた。そんな彼らは、あと2、3年の内に死んでしまう。
その事実に、私は胸が締め付けられた。仕方のないことだと思っていても、どうしようもなく苦しくなってしまう。目を開けていたら今にも涙がこぼれてしまいそうで……私はそれを堪えようと固く両目を閉じた。
「……千早」
そんな私に近づいてくる、帝の心配そうな声。その吐息がすぐ傍で聞こえたかと思った次の瞬間、私は帝に抱きしめられていた。
「――嫌だよな。皆が死ぬなんて……嫌だよな。俺だって嫌だよ」
「……」
「目の前で今生きてる人間が死ぬなんて、……考えたくもない。それが普通だ」
その声は少しだけ震えていた。やるせなさを感じざるを得ないと言うように、帝は私を強く抱きしめる。
「……でも、俺たちには何も出来ないんだ。何も、したらいけないんだ」
それは、必死に自分を戒めているかのような声だった。私に言っているというよりは、自分自身に言い聞かせているような……。
その言葉の内容に、私は悟る。帝はさっき、新選組の今後をそこそこ知っていると言ったけれど、きっと本当はそれ以上に知ってしまっているんだろう、と。彼はきっと、新選組のこれからのもっと詳細なことを知っている。そしてそれは、私が考えているよりももっとずっと厳しい現実なのだろう。
でも、それを私に言わないのは、私を苦しめない為なのだ。
だから私は、帝の背中に腕を回した。そして、優しく彼を抱きしめる。
「大丈夫。……わかってるよ」
そう、わかっていた。私だって最初から「新選組が永遠」でないことくらい知っていた。それにここは、自分たちのいた時代ではない。いくら未来を知っているとは言え、干渉することなど許されないのだ。もしも未来を変えようなどとしたら、私達の存在自体が危うくなる可能性もあるのだから。
私の耳元で、帝は告げる。
「……絶対に、未来に帰してやるから」――と。それは今だ願望の域を出ない言葉だった。けれど私は彼の言葉に応えるように、帝の背に回した両手に力を込めた。
◇
そしてその数日後、私達の願いを進展させる“池田屋事件”勃発の前事件が起こる。新選組が、長州間者の古高俊太郎を捕えたのだ。




